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25.偽竜

 端役が出しゃばるな。

 花子に告げられた女王は思わずひと言。

「は?」


 端役? エルバダの聖女王たるこのわたくしが、端役? うろたえている内、次なる説明が届く。

「この場の主役は王者と挑戦者だよ。ふたりを盛り上げるのが道化の仕事でも、やり過ぎたらそれこそ舞台が台無しになる。……さすがに空気読もうよいい歳なんだからさぁ」

 このわたくしが道化!? いやそれよりも、いい歳!? それを言えばあなたはわたくしよりも相当ご高齢でしょうに!

 激高した女王は美しいはずの顔をそれはもう酷く醜く引き攣らせ、甲高い声音を絞り出した。

「ならばあなたが控えなさいっ!!」

 すると女王の左右より長衣を着込んだ者たちが踏み出し、鶴翼を描き出す。エルバダが誇る魔術士団の精鋭による戦闘陣形だ。

 ただならぬ緊迫に観客たちが押し固まる中、魔術士たちは互いに魔力を通し合い、結び合って、強固な増幅術式を完成させた。

「おとなしく見ていていただきますよ、竜魔!!」

 その陣の中心より、白々輝く魔力を迸らせる女王。

 空に青々と描き出された式が純白へと染め替えられ、集約。縒り合わされたそれが一条(ひとすじ)を成し、ついに花子の身へと降り注いだ。


 聖白の御光。

 それこそは聖女のみが遣うことを赦された封印術である。対象の挙動を封じ、声音を封じ、果てには思考と生命すらも封じるという、先代王者を窮地から幾度となく救った聖女の力。

 それを見た長衣どもが感涙をだくだくと垂れ流す。

 ああ、なんと清らかで力強い術式であろうか!

 あれこそはまさに奇蹟の軌跡! かび臭い過去より這い出し来た怪しき竜化術師風情、刹那も耐えきれずに打ちのめされ、惨めに這いつくばるだろう!

 花子は焦りも揺らぎもせず、ただ指先で宙を掻く。だというのにそこから放たれるものはなにもなく、結局彼女は突き立った光柱に飲み下され、消えた。


「竜魔殿も御自身の分(ぶん)というものを弁えてくださったことでしょう」

 冷静を取り戻した女王は酷薄な視線を下向け、打ち立てられた光柱を見た。

 本来は聖女ひとりで放つところを、卓越した術者たちの支援をもって超強化した封印術式である。一度囚われれば抜け出すことは、それこそ竜であれ不可能だ。

「さ、決闘を始めさせなさい」

 つまらない時間は少しでも早く終わらせたい。セリフに加えて露骨な態度で示した女王だったが。


「いい歳なんだし? そんなに怒ると皺が増えるよ?」

 声音が光柱を割って伸び出した――そう思いきや、ぱぎん。光が固く澄んだ音を立てて粉砕され、八方へと飛び散って。


 舞い飛ぶ光片のただ中より、それは顕れる。

 鋭く尖った先から赤炎を噴く赤鱗、それをもって鎧われた身は全高にして30メートルにも達するだろうか。

 頭の先からも尾の先からも太々しい角を伸び出させ、さらにその先には鱗同様、赤炎がまとわっていた。

 背より伸び出した飛膜はけしてその巨体を飛ばせられるものではありえないのに、飛ぶことを疑わせない。なぜなら、そう。飛膜のみならずその渾身から、周囲の空間を捻り歪めるほどの魔力が溢れ出しているのだから。

「あ、ああ、あ」

 女王はこれまでは見下ろしてきたものを、わななく両目で見上げるよりなかった。

 そう。努める必要などありはしない。ただ在るだけで生命の頂点なることを約束された超越存在の、超然とした薄笑みを。

「高評価はあげられないけど、初代聖女と違って他人に助けてもらえるのは好評価だね」

 女王の増幅術式をさらりと評した竜が無造作に生み出した一歩、それは地を大きく揺るがし、炎のひと揺らぎが空を焦がして、金瞳より放たれる無機質な視線が見る者すべての魂を串刺して。

 ヒイイィイイィイィイ!! 噴き上がった甲高い悲鳴が、唐突に現れた実体ある災厄を呆然と見上げるばかりだった観客たち、その心の栓を引き抜いた。

 途端。彼らはわめきながら互いを押し退け合い、踏みつけ合って外へと逃げ出し始める。


 まさに阿鼻叫喚の様相を呈した観客席の下で、セルファンはうっそり且つうっとりとつぶやいた。

「炎竜」

 あれはまさに、おとぎ話や詩人の唄に語られるばかりの竜だ。

 できることなら姿形を細密に記述したい。絵にも残したい。なんなら指の先でいいから触らせて欲しい。と、思いはするのに、体がまるで動かなくて。

 これが圧倒されるということなんだ。うん、絶対忘れない! 生き延びてこの感情と思考をもれなく記録するまで、僕は死なない!

 ぐっと手を握り締めた彼へ、竜は口の端を上げて説いたものだ。

「火に惑わされちゃいけない。これは古竜の一形態さ。普通の炎竜だと体に魔力が灯らないから見分けるのは簡単だ。確か、城の図書館のどこかに文献があると思うんだけど」

「帰ったらすぐ探します! 隅々まで舐めるように!」

「君はそれ以上知識ぶっ込まないほうがいいと思うんだけど」

 実に場違いなのんびり感を醸していると。


「あれは竜ならぬただの魔術師!! 恐れるに足らん!!」

 盾列を崩していた甲冑どもへ、この場の長と思しき甲冑が活を入れて「総員、抜剣ぅんぅうっ!!」。

 掲げられた剣身の輝きに混乱を払われた甲冑どもは速やかに整列、盾を押し出し竜へと駆け出した。

「我らも助力を!!」

 客席の高みより長衣どももまた魔術を飛ばし、前線の支援を開始する。

 その連携は精鋭の名に恥じない見事なものだ。それはもう間違いなく。

「確かにあたしはもちろん偽物だけど」

 まず届いた数十の攻撃術式は、鱗へすら達せられずに灼き尽くされた。

「真似するのは結構得意なんだよ」

 次いで炎を引っ込め、押し寄せる甲冑どもに鱗を叩かせ、突かせ、斬らせておいて、やさしく蹴り払う。

「ぎゃああぁぁああぁっ!?」

 それこそ撫でられただけだというのに甲冑はぐしゃりとへこみ、地をがらんごろんぐしゃりと一転二転三転、それでも止まらず壁に叩きつけられて。なかなかに惨めな有様だが、炎に灼き尽くされるよりは幾分ましだろう。

「うわあ、詰まって気持ちが悪い」

 ぶつぶつ言いながら竜が身を震わせると渾身から炎が一気に噴き出して、火雫とでも表すよりない灼熱塊と化して周囲へ降り落ちた。

 魔術を併せて丹念に踏み固められ、岩ほどの強度を得ているはずの地面が瞬時に溶け、底が見えない穴を空けられて、空けられて、空けられる。

 音がするならまだいいのだ。が、無音のまま触れたものが破壊されていく光景は、淡々としているからこそむしろ恐ろしい。

「ああ、これだとまずい? もう少し抜いとこうか」

 竜の顔が天を仰ぎ見て。

 高々と炎を噴き上げた。

 晴天の青が赤く塗り潰される様はまさにこの世の終わりの始まりめいていて、この場に残っていた数少ない人間どころか都に住む人々をもれなく打ちのめしたものだ。

 その中でただひとり、

「おのれぉのれおのれおのレェエエエェエエ!!」

 今にも憤死しそうな勢いで玉座の肘掛けを握り締める女王だが、なにもできはしない。なにもできるはずがない。


 かくて緊迫がおそろしい速度で引き絞られていく中、事態はゆっくりと転がり出す。

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