観客席のただ中に設えられた貴賓席、そこへまで持ち込んできた玉座に座した聖女王は王者を見下ろすことも見下すこともしない。
なぜなら周りに侍らせた数人の女子――高位の女王位継承なのだろう――と何事かをささやき合うことに集中していたから。
過ぎるほどわからされた。女王がこのタイマンになにひとつ関心がないことを。
ただただ定められた結末に定められた務めを果たすため、彼女は在る。そう、王者が勝利し、約束された人の繁栄を言祝ぐためだけに。
……などということに当然気づくわけもなく、義人は女王へ向けて大声を張り上げた。
「女王様!! なんでゴブリンいねーんすか!? こんなんガチじゃねーっしょ!! ゴブリン呼んでくださいよ、ねーっ!!」
この言葉に対し、観客はそろって呆気にとられた顔を傾げる。それはそうだ。調えられたこの状況におかしなところなどなにもないのだから。
数百年ぶりに再来した王者をその目で見るため、彼らは集まったのだ。全力で応援し、全力で盛り上がり、その勝利を讃えるために。
だというのになぜ、王者は惨めに倒れ伏すばかりのゴブリンを気にかける?
そう。それでよろしいのですよ。
疑問の込められた民の視線が十分集まったことを確かめた後、女王は玉座より立ち上がる。
今なお美しい面へ薄笑みを浮かべ、芝居がかった仕草で両手を拡げて、溜めて溜めて、ようやく義人へ答えた。
「王者は人の世を守るため闘うもの。その尊き決闘の顛末を見届けたいと奮う民の心、無碍になされるおつもりですか?」
挑戦者1匹がいれば十二分というものでしょう。視線で告げた女王が座りなおせば、安心したように観客が沸いた。
まったくもってその通り。わずかにでも卑賤なる敵を力づけてやる必要などない。偽りの王者の下らない希望をかなえてやる必要も同様に、ありはしない。
義人の後ろにあるセルファンは震える顔を左右に振り、激情を噛み殺した。
女王の行いは正しい。彼女がもっとも重視するべきことは人の国と民の営みを守ることで、そのために手段を選んでいいはずなどないのだから。
でも僕は……!!
おぞましい怪物と思い込んでいたゴブリンが肩を並べて笑い合える存在であることを、自分はもう知っている。彼らが敵であることは間違いない。されどそれだけの存在でもありえない。
と。
義人は彼の肩に手を置き、力強く告げたのだ。
「こんなんダメっしょ。ぜってーやらせませんって」
その表情の意味は見抜けていたのに――セルファンの劣悪な運動神経は自分を硬直させるばかりで、義人を止められなくて。
「ちっと話し合いってのしましょーぜ女王様ーっ!!」
どう見てもカチコミの勢いで義人は駆け出した。
視界が赤く濁るほど怒っている。が、別に女王に対して怒っているわけではない。彼が怒っているのは自分へだ。
俺がちゃんとすげーヤツだったらこんなんならねーのに!!
でも、頼むよ。信じてくんなくていいから、この試合だけマジで見てくれよ。そしたら女王様だってガチで燃えっから!
たどたどしくもどかしい思いを早くぶつけたくて逸る義人だったが。競技場と客席とを隔てる壁に達するより前にその足は止まる。
貴賓席へ向かうその先を、白々と輝く甲冑どもが陣を組んで塞いだためにだ。
「どけよ。あんたら挑戦者じゃねーだろ。殴れねーんだよ」
答はない。大盾を押し出し、文字通りの壁を構築して動きもしない。
先日見た突貫騎士団とは統制も練度がまるで違うことは瞭然だ。
――だからどーだってんだよ!?
止めた足を再加速。盾壁へまっすぐ突っ込んだ義人だったが。
「不敬也」
跳躍して踏み越えておこうとした彼を押し止めた盾が彼をぞんざいに押し返した。
「痛って!」
尻餅をつかされた時点で思い知らされている。
この壁を真正面から越えるのは不可能。そして盾で潰したり殴ったりしてこなかった理由は、決闘前の王者をいたずらに傷つけないことを優先しただけのことだと。
その上で即座に立ち上がり、尖った視線で盾を睨みつけた。そんでも俺ぁ行くんだよ!!
愚かしくもあの下賤はまだあきらめていないらしい。が、これ以上つきあってやる気などない。ここはひとつ、餌をくれてやるとしようか。
女王は顎先をそびやかし、失笑を形作った唇を開いた。
「あなたが決闘に勝利したなら、そのときこそわたくしの前へ立ちなさい。その際は殴り殺すもこの座より引きずり下ろすもご随意に」
かりそめの王者殿。どうぞわたくしという餌に飛びついてくださいませな。あなたを嵌めるための備えはひとつならず調えております故。
ええ、もちろん傷つけなどいたしませんよ。真の王者の用意ができるまでの間、あなたには都合よく働いていただかなければなりませんからね。
なにせこちらに先んじて王者の身柄を狙った者たちはずいぶん痛い目を見せられたらしく、ほとんどが手を引っ込めていた。つまり、今なら楽に彼を絡め取り、捕らえられる。
下賤にしても、どうせ利用されるならより多くの駄賃をくれる者に繋がれるほうが幸いだろう?
長々と思考した後、含み笑いを漏らす女王だったが、しかし。
「後とか先とかねーっしょ! 俺ぁ今! ゴブリン呼んでくれってハナシしてんすよ!!」
ああ、ええ、忘れていました。あの下賤、少々いえ多分に思考力が鈍いのでしたね。
眉間に寄った皺を指先で揉みほぐす女王だったが、そんなことをしていていい暇などありはしなかったのだ。
なぜなら義人はその間に肚を据え、再び甲冑どもへ突撃していたのだから。
そもそも頭脳労働専門の女王に読み切れるはずがあるまい。単純バカの爆発力がどれほどのものかなど、絶対に。
「ぜってー踏んでやっからよ!! いい子で待っとけコラぁー!!」
どよめく観客。慄く女王。前へ押し出される盾列。猛る義人。果たして結末は――
「はいそこまで」
「ぅえーっ!?」
いきなり宙へ引っこ抜かれた義人が後ろへ引き戻され、すとん。花子の背後に着地させられて。
「王者殿の愚行をお止めくださったこと、感謝いたしましょう」
慇懃さの端に棘を押し立て、感謝を述べる女王。
それに花子が返したセリフはといえば「わかんないかなぁ」。
女王の眉根がぎりと引き絞られる。竜魔の疑問がなにを指しているのか、まるで読み取れなくて。そして、女王陛下たる自分が読み取れないような言葉を吐く花子が忌々しくて。
彼女の胸中に逆巻く憤怒を読み取ってか読み取らずか、花子は軽い口調で突き立てた。
「端役が出しゃばるな」