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20.友誼

「押忍押忍。試合決まったんでお報せに来たんすよ」


 気軽な調子で言う義人にシャザラオは無骨な顔を驚かせた。

 あの聖女王がゴブリン含む異種すべてを見下していることは承知している。だからこそ竜魔の道を辿って単身謁見の間へまで踏み入り、気概を示してみせたのだ。

 たとえあの場にある人間のすべてを相手取ることとなろうと、己はけして退かず、負けず、死なず、王者へまで迫ってやろうぞ!

 もっとも、その王者の有り様が彼を思いとどまらせ、こうして向かい合わせている。そうと思えばなんと奇しき縁であろうか。

 噛み締めながら、彼は佩剣の柄頭より左手を離し、誘った。

「忝い。ここでは満足なもてなしもできぬが、せめて茶を用意させていただこう」


 宿営のただ中、他の者と共に敷物の上へ座した義人は茶をひと口すすり。

「番茶っぽくてうまいっす」

 妙に懐かしげな顔をしてほろりと言った。

「それはなによりだが」

 向かいに在るシャザラオはほろりと苦笑し、茶碗を抱えた手をびくびく跳ねさせて周囲をおどおど見回すセルファンを差して。

「王者殿は今少し用心されるべきであろうよ」

 王子の有様は実にか弱く滑稽だが、正しい。なにせここに居るゴブリンはもれなく汝の敵だ。そうでなくとも己が毒を盛らんとも限るまい?

 言わずにおいたことを視線へ乗せて差し伸べたが、当の義人は……

「え、マジっすか!?」

 眉根を跳ね上げ、あろうことか驚くではないか。

 いや、驚きたいのはむしろ己のほうなのだが……さすがにとまどうシャザラオの右脇を指し、王者は顔いっぱいに笑って言い切ったのだ。

「用心しねーっすよ。シャザラオさん、正々堂々じゃねっすか」

 皆が思わず彼の示す先を見る。

 そう。鞘の鐺を前に、柄頭を後方に向けて横たわった勇者の剣を。


 ヨシト殿! そんなに友好的過ぎては付け込まれます! どうかお控えください!

 セルファンはひとりで悩み焦り顔を顰め、悶えたがる自分の体を必死に抑え込む。

 言われるまでもなくここは敵地なのだ。

 確かに挑戦者に害意はないだろう。鞘を掴む左手の逆に剣を置き、しかも右手が届かない後方に柄を向けてまでいるのだから。

 しかし、周りを囲むゴブリンがよからぬことを思いついたなら――いや、花子と犬がいる以上心配はない。ないのだが、ないのだとしても!

 猫舌なのか、冷めた茶をやっとすすり始めた花子へ狂おしい目で訴えかければ、彼女は肩をすくめて報せるばかり。

 いやいや、あたしだって別に後輩くんマスターじゃないし。

 ならば犬は!? ああ、だめだ。病衣に鼻先を埋めて昼寝中である。


 そんな麗しきオタク王子の焦燥に気づいていないふりをして、シャザラオは義人へうなずきかけた。

「そうと言っていただけるのは実に、そう、面映ゆいが誇らしい」

 彼が見せた意気を信じればこそ、義人は他のゴブリンの意気もまた信じると告げている。

 彼はけして智慧に恵まれた男ではない。残念ながらすぐにわかってしまった。が、それに代わるそれ以上のなにかを備えてもいて。

 おそらくそれは実直さなのだろう。差し出されたものと真っ向から対した上、そのまま受け容れてしまうという、悪く言えば迂闊さ。

 実に武辺らしい裏表のなさだが、それをシャザラオが快く思ってしまうのは、彼もまた武辺だからに他なるまい。

 そしておそらく、他の同胞たちも……


 と、ここで唐突にやってきた王者はまたも唐突に言った。

「実は俺、いっこ言いたいことあるんす」

 周囲から遠巻きに突きつけられた緊張のまなざしをぐるりと見返して、大きく息を吸い込んで。

「俺、差別も区別もしねーはずだったんすけど、やっぱどっかでゴブリン舐めてたっす! 最初来たとき騒ぎんなんねーよーにってヘラヘラしてたのに、普通にシャザラオさん呼んでくれたじゃねっすか。義理立ててもらってんのに舐めてるって、ガチ何様だよって」

 ゲームや物語で雑魚というポジションにあるゴブリン。しかし実際に会ってみれば印象はまるで違っていて、自分の思い込みと思い上がりを思い知らされる。

 義理と人情を名にした自分が義理を欠くことを、自分は絶対に許さない。

 ならばどうする?

 義人がいきなり立ち上がった。

 思わず得物を構え、一斉に踏み出すゴブリンたち。

「っ!!」、悲鳴を噛み殺してすくみあがるセルファンと、不穏な気配に揺り起こされて「わぅ?」、昼寝から顔を起こす犬。

 シャザラオと花子ばかりは座したまま王者を見上げていたが、状況はまさに一触即発で、緊迫が引き絞られて引き絞られて引き絞られて、ついに。


「マジすんませんしたー!!」

 シャザラオへ、周囲を囲むゴブリンたちへ、頭を垂れたのだ。


「よ、ヨシト殿、だめです、それは、王者がそんな、敵になど」

 ぎくしゃくと強ばった体を蠢かせ、セルファンがどうしようもなく義人の背を揺する。

 敵の拠点で謝罪するなど、なにをされても文句を言わないと自分を投げ出すことと同義ではないか!

 どうすれば義人を守ることができる? どうすれば、獰猛にして残虐なるゴブリンどもを言いくるめて脱出できる? どうすれば、どうすれば、どうすれば……


 押し詰まった場のただ中、ゆっくりと立ち上がったシャザラオが義人の前に立つ。

 思わず背に義人を庇うセルファンだったが、しかし。

 ゴブリンの勇者は王者と同じように頭を下げてみせ、言ったのだ。

「人間を見くびっていたのは己も同じ。なにせ初陣で対する弱き敵だからな。まずは王者殿にそれを詫びたい。そして」

 視線を真っ向からセルファンに向け、あらためて頭を下げて、

「王子殿下。王者殿を背に守った意気、実にお見事。臆病と断じた己が無礼を許されよ」

 右拳を胸に当てるゴブリン最上の礼を添える。

「汝らの最初の敵となり得たこと、心からうれしく思う」


 王者が礼を尽くし、勇者もまた礼を尽くした。

 その光景に胸を打たれなかったゴブリンはない。ないのだが、それでも。押し隠した人間への敵意が晴れるわけはない。

 初代王者が遺した決闘の掟によって殺し合いにまで行き着くことはほぼなくなったにせよ、居住地の近さもあって小競り合いの尽きない間柄だ。この場にも親族を傷つけられた者が多くいる。

 ああ、いっそ雄叫びを上げて得物を振り下ろせたなら……焦燥が彼らの内に波打ち始めた、そのとき。

「よっし、なんかモヤっとしてるみてーなんで勝負しますか!」

 義人の陽気な提案が場に詰まったなにもかもを真っ白に噴き飛ばしたのだ。




「ぎっ、ゃあああぁぁあぁあああっ!!」

 セルファンが美貌を青く歪めてもんどりうつ。

 彼は今ゴブリンに縛められていた。なんとか抜け出そうとあがいてもがいて暴れて、それでも逃げられず、ついに。

「僕の負けですぅ!!」

 彼を捕らえていたゴブリンが後ろに固まった同胞を返り見て、空いていた左手を握り締めた。

「セルファン殿下を仕留めたぞ!!」

 おおっ!! 太い歓声が返り、勝者を讃える。

 そして一方のセルファンを助け起こし、「よき勝負でしたぞ」と讃える者たちもまたゴブリンであった。


「君にしては考えたじゃないか」

 花子がシャドーボクシングで体をあたためている義人へ笑みを投げる。

「そりゃー男の勝負っつったらあれかこれっしょ」

 今、この場は勝ち抜き戦の真っ最中だ。もちろん得物で打ち合う血なまぐさい代物ではなく、指相撲の、である。

 ちなみに「あれ」とは腕相撲だが、腕の長さが人とゴブリンでは違うので、こちらは却下となっていた。

「次はヨシト殿、対決を願う!」

「押忍押忍、かかってきなさーい!」

 腕相撲も指相撲もこちらの世界にはない遊びだが、シンプルなルールだからこそゴブリンたちもすぐに理解した。しかも、彼らはそろって武辺である。力比べに燃えないはずがない。


「っしゃおらー! これが王者の実力ってやつっすわー!!」

 立て続けに三勝を決めた義人が両拳を突き上げれば、ゴブリンたちは悔やみながらもその勝利へ歓声を送る。

 先ほどまでの緊迫はどこへやら。場は快い熱気で満ち満ちて――そのただ中へとシャザラオが進み出た。

「では、己が挑もうか」

 勇者の登場に轟と沸き立つゴブリン。

 対する義人は顔いっぱいの笑みで迎え入れ、ぐっと表情を引き締めた。

「ここでも負けねーっすよ」

「応。ここでも負けんさ」

 果たして右手を組み合わせたふたりが音ならぬ気合を発し、親指を向かわせる。


 ステップを刻むように親指を左右へ振り、攻めを誘う義人。

 これに乗っては絡め取られるだけだ。瞬時に判断したシャザラオはあえて直ぐに親指を伸べた。

 こちらの指の動きをあえて読まず、指の根元を押さえにきた勇者の攻めを、義人は指先で払いつつ押さえに出る。さながら敵のパンチを掌で叩き払うパリングからのカウンターパンチであった。

 が、払われたときにはもう、シャザラオは指を引かせて防御を固めている。押し止めた王者の指を咥え込むように、上から自分の指を被せ、押し潰したが。

 指の顎に噛みつかれるより先に指を抜いた義人は、左へ逃がしたそれをもって勇者の手をノック、右へ切り返して斜めから攻め込む。

 されどシャザラオの守りは固い。ノックという奇策にびくとも揺るがず攻め手を押し返し、攻めては躱されて――


 一瞬で攻防を入れ替える接戦、セルファンとゴブリンたちは息を詰めて見入っている。

 気がついているのだろうか? 互いに疎むことなく肩を並べ、それどころか「ヨシト殿が絶対勝ちますから」、「いやシャザラオは負けませぬよ」などと張り合う自分たちの様を。

 男子ってのはしょうがないねぇ。みんなそろって単純なんだから。

 やれやれと息をついた花子はぱんぱん、手を打って声音を割り込ませた。

「それくらいにしとくんだね。ここで妙な因縁作ったらタイマンがつまんなくなるだろう」

 場の全員が我に返り、目を見合わせた義人とシャザラオはゆっくりと指を引かせて、苦笑を交わすのだった。


 かくて闘いは終わったが、名残惜しさは尽きず、互いの健闘を讃える宴へと雪崩込む。

 義人は多くのゴブリンと埒もなく語らい、茶杯を酒杯へ換えて飲み、肉を喰らって笑い、そして。

「王者殿、今日ことを己はけして忘れまいぞ」

「俺もっすよ」

 シャザラオに応えた義人は顔いっぱいに笑ってサムズアップを決めた。

 俺が沸かしてやる? バカじゃねーの? シャザラオさんがいてくんなきゃムリっしょ!

 思いに突き上げられて、彼は言葉を継ぐ。

「シャザラオさんとタイマン張れんの、マジ楽しみっす」

 義人の渾身から湧き立つ思いの熱。シャザラオは心地よさげに目をすがめ、表情を締めて返した。

「互いに背負うものがある身の上だ。が、決闘……タイマンの場においてはただ己を尽くし、挑ませていただこう、ヨシト殿」

 シャザラオが差し出した右拳の意味を思い違えるような真似はしない。

 右拳を軽く突き合わせ、義人は強く応えた。

「押忍、ガチのガチで!」


「僕は今、伝説が生まれる瞬間に立ち合っているのではないでしょうか」

 感動に打ち震え、たまらず涙をこぼすセルファン。

 今、自分の目で見たのだ。王城に閉じ込められたまま生きていたならけして知り得なかった、ゴブリンたちの素顔を。

 この偉業を早く帰って記録したい! ヨシト殿が口にしたものはもれなく僕も味を確かめた! 王者が初めて味わったゴブリン料理のことを僕が後世に伝えないと!

 速やかにいつもの感じを取り戻していくセルファンへ言葉を返さず、花子は眉根を引き下ろした。

 人の王者とゴブリンの勇者が手を握り合う、初代王者はそんなことを思いつきもしなかったし、思いついたとしてもけして実行しなかったはず。

 今成されたことは確かに偉業だ。ただし、この世界の人間の多くが認めることのない、むしろ過ちと吐き捨てるだろう代物。

 でもね、それはどうでもいいことなんだよ後輩くん。問題はそれじゃない。もうじき剥き出されるどうしようもない現実さ。


 彼女の語った現実は3日の後、タイマンの場にて明かされ、証される。

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