さらに数日の後。
「決闘は3日後、日の出と共に行います。異存はありませんね」
「押忍」
見かけばかりはなにひとつ変わりない謁見の間にて、今日はさすがに用意された衣装をまとった義人が女王の言葉へうなずいた。
「3日あとの朝イチで試合っすよね?」
こそっと花子に確かめて。あらためて玉座の上の女王へ問う。
「場所どこっすか?」
「決闘の行方を見届けたい者もありましょう? 彼らを受け入れるため、城の西にある競技場にその準備をさせているところです」
答えた女王は青く冷めた顔をさらに引き締め、言い足した。
「まずは人の王者として務めを果たしてくださるものと期待しています」
と、義人は“よくわかんねーんすけど顔”になって。
「その“人の王者”っての、なんかすげーやなんすけど」
は? 女王が眉根を跳ね上げて、周囲の甲冑や制服たちがざわついて。
そのただ中、彼は満面の笑顔を作り、びしりと親指を立てて、
「いい試合しますんで、人とかゴブリンとかめんどくせーもんナシで見てくださいってことっす!」
「ゴブリン風情と、よい闘いを?」
よもや本気で言っているのですか?
女王の視線で思い出す。場違いな日本人ボクサーを見下す人々がリング下から向けてくる冷え切った視線を。
さすがに萎えかけたが、それはそれと無理矢理思い直して自分を奮い立たせた。
女王やそれを取り巻く者たちは自分もゴブリンも見下している。だが、だからこそ魅せてやるのだ。飛田義人というボクサーの力と技で。
「押忍。よい闘いするんで」
「……期待させていただきましょう」
ひと欠片の期待も情もないセリフを紡ぎ、女王は義人から目を逸らす。見なかったふりをする犬を思い出したのはつまり、そういうことなのだろう。
「押忍押忍!」
だからといってあきらめたりはしない。
差別も区別もしねーしさせねー。俺が沸かせやっからな、女王様!!
「前がよく見えませぁっ、閃牙様すみません!」
「ぐぅう」
「犬は見えてんだろ? だったらよけてやれよ。ってか俺のこと引っぱってくんねー?」
「ぐぅ」
「はいはい、気にしないでとにかく歩けばいいよ。一本道だし、逸れる心配ないしね」
暗闇のただ中に声音ばかりが響く。
ここは先日シャザラオが抜けてきた、花子作の抜け道である。
が、明かりひとつない、なにやらふわっとやわらかなもので囲われた管の中を進むのは、まるで巨大生物に丸呑みされたような感じがして……義人とセルファンはどうにも落ち着かなかった。
ちなみになぜ彼らがここを通っているかといえば、ゴブリンに試合のことを伝えるためだ。
『彼奴らへは当日にでも告げてやれば足りましょう』
吐き捨てた女王に、はいっ! 右手を挙げてみせて義人は言った。
『だったら今から俺が言いに行きますよ。ちゃんと平等じゃねーとガチになんねっしょ』
女王は声を張り上げかけて、ぐぅ。喉へ押し詰める。
壊された封印術式の修復は手つかずだ。この状態で王者に手の力を遣われれば、今度はどれほどの被害が出るものか知れない。そうでなくとも竜魔が暴れたら……どうなるかわかったものではない。
結局彼女とその配下どもは苦い顔で見送るよりなく、すっかり一行の一員となったセルファンからの「町に出て目立つのは避けるべきです。中に異界からの王者を認めたくない輩もいるでしょうから」との意見により、花子が道の入口を開いたのだ。
それにしても困ったねぇ。
花子は宙に指先を滑らせ、女王配下の魔術師の追跡を断ち斬りつつ眉根を引き下ろす。
『平等もあるんすけど、俺ゴブリンちゃんと見たことねーんで見てみてーんす』
確かに見たことのないものを見たいというのは普通の感覚だし、それが創作話の中に出てくるだけだったゴブリンとなればぜひとも見たいところだろうが、少しはモンスターを恐れてほしい。それこそ相手は人間にとってモンスター以外の何者でもないのだから。
いや、花子にしても彼らが襲ってくるとは思わない。彼らが欲しい王者の称号は決闘で勝ち取るよりないものだから。
ただ、義人はただでさえ余計なものまで抱え込みたがり、背負いたがる質だ。余計な情報を与えて彼の自在を損なわせることは避けたい。心からそう思うのではあるが。
後輩くん、とにかくだめな方とかまずい方とか選んで首突っ込みに行きたがるしねぇ。きゃっきゃ、ガチ勝負っすーとか騒いで満足しててくれればいいのにねぇ。シンプル残念なんだから。
ま、あたしはあたしで利用させてもらってるわけだし、そういう君でいてくれたらいいんだけど。
義人がなにを負おうとどうでもいい。最後に自分の思惑を果たしてくれさえすれば。
そのときまでは全力で支えよう。誓った通り、自分を尽くして。
トンネルならぬ黒いばかりの道を抜けると、そこは都の縁を守る柵の外――無人の街道と左右に建ち並ぶゴブリンたちのテント、そのただ中だった。
「何用か!?」
速やかに一行を囲むゴブリン兵の一群。武具も防具も磨き上げられており、精鋭であることがひと目で知れる。
「わっ」
武辺どもの圧にごくり。青ざめた顔を震わせ、緊迫の唾を飲み込んだセルファンだったが……次の瞬間、すとんとなにかを据えて、滑らかに語り出した。
「私はエルバダ聖女王朝継承序列第12位、セルファン・オ・ラケシーザ・エルバタと申します。王者との決闘、いえ、タイマンの開催日時を伝えに参りました」
ゴブリンたちは鋭く視線を見合わせ、すぐに得物を構え直す。
「人間の国にて特使を務めるは王女であろうが! 何奴か!?」
花子はセルファンが発揮した思いがけない王子らしさに感心しつつ、それはそうなるだろうと息をついた。人間の国における王子の地位はおそろしく低いのだから。
しかし、ここへ彼を連れて来たことには意味がある。外交に役立ってもらうためではもちろんない。彼の身柄を女王へ渡さないために、だ。
エルバダはセルファンという“万一の備え”を失えない。だというのに彼は新王者へなつき、形としては陣営に取り込まれていて。
そのため決定的な手を打てずにいる女王としては、なんとか彼を取り戻したいと躍起になっている。それを撥ね除けているのは王子本人でなく、花子の暗躍であった。
ほんとにもう、術数とか謀略ってのはめんどくさいねぇ。それこそ殴り合いで全部決められたらいいのに。
と、ここで義人がへらへらと笑いながら進み出し、なにも武器を持っていないことを示しつつ言う。
「義理と人情、義人っす。シャザラオさんに会いたいんすけど」
「ギリトニンジョー……しばし待たれよ」
義人の正体に気づいた1体がすぐさま駆け出し、そして。
「王者殿か」
護衛と思しきゴブリンたちを引き連れて現れたのは、謁見の間で会ったゴブリンの勇者シャザラオであったのだ。