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18.暗闘

 今日という日もまた、延々走った後に地味で過酷な筋トレと反復練習が続いたあげく、鶏的な鳥の胸肉と色の濃い野菜を塩味で煮ただけのスープがメインの、体作りしか考えていない地獄のような夕食で締めくくられた。

「明日の朝また伺います。ヨシト殿と同じ食事を摂ることはすなわち王者と同じ栄養によって生きる歓び。ああ、待ち遠しいですね明日が!」

 疲弊しきって青ざめた美貌をにちゃりと笑ませ、足を引きずり側防塔の共有スペースからセルファンは帰って行く。

 彼が振り返る気配を察した花子は即座に扉を閉め、苦笑を漏らした。

「ようやく解放されたか。あたしは顔戻してから寝るし、じゃあまた明日ってことで」

「え、先輩すっぴんじゃなかったんすか?」

 女子の努力にまるで聡くない義人だが、少なくとも花子の化粧顔と未化粧顔はバイトで見てきている。今の彼女が素顔であることは間違いないのだ。だとしたら、なにを戻す?

「ああ。この顔は擬装だからね。君には日本人っぽい顔にして見せてるし、こっちじゃエルバダ人っぽい顔にして見せてるのさ」

 衝撃の事実!

 そういえばそうだ。義人はごりごりの異世界人顔だと女王から貶められたのに、花子はまるで触れられることなく普通に受け入れられていた。そうか、そういうわけだったのか。

「それも魔法ってことっすよね!? マジですげー! でもやっぱ俺先輩のガチ本物の顔みてーっすわ!! 綺麗系っすか? かわいい系っすか? 俺どっちも好きなんすけど!!」

「全部口に出すなデリカシーを絞り出せ」

 暑苦しく詰め寄る義人を編み上げた風魔力の圧で押し戻し、踵を返した花子は背中越しに言ったものだ。

「ちなみにすごい綺麗な顔にできるけどやんない。身長も伸ばしたり縮めたりできるけどやんない。爆乳にもなれるけどやんない。あとは」

「もうやめてくださいよ!!」

 耳を塞いでいやいや、頭を振り乱す義人。

 今にも涙が噴き出しそうな両目を見開き、花子へ吐きつけた。

「だってやんねーんでしょ!? 生殺しじゃないっすか!! やればいいのに!! 俺になんかこう、夢とか見してくれたらいいのに……!!」

「めんどくさいし。絶対。やんない」

 青年の夢を踵で躙り潰し、花子は室を出て行くのであった。


「犬ぅー、先輩のすっぴん知ってんだろー? どんな感じなん? なんかいい感じだったら俺ちょっと明日っからやばいかも! あ、でも先輩ってすげーお歳なんだっけ? やばい、お歳そのまんまな感じだったら……そういや犬もすげーお歳!」

 室の隅に病衣を敷き、その上で丸まって寝入っていた犬を揺り起こし、騒ぎ立てる義人。

「ぐうう」

 貴重な睡眠を妨げられた犬はいつも以上の力を込めて不満を述べ、病衣を咥えてさっさと逃げ出した。

「犬が冷てーっ!! せめてちょっとくらい相手しろよー!!」

 なにを言われようと完全無視。

 小僧にかまってやるよりも、今は少しでも体を休めておかなければ。なにせ夜は長いのだから。




 数時間後。

 ひとり寂しく眠る義人の室へ忍び寄る5つの人影があった。

 黒装束に身を固めた彼らは、携えてきた剣を鞘からそろそろと引き抜く。

 彼らは威風堂々を掲げる騎士であり、だからこそ卑しい者どもの真似事がうまかろうはずはなかったが、問題はない。玲瓏なる竜魔は別室で就寝中、魔術を遣いでもしなければ気づくまいし、ぬばたまの閃牙も室を出て帰ってきていない。まあ、伝説の聖獣らしいがどうみてもただの犬だ。干し肉のひときれでも食わせてやれば済むだろう。

 さあ、高貴なるお方より命を賜った自分たちが、偽王者から御手を奪還するときが来た。所詮は戦場で遣えぬ体しか持ち合わせぬ下賤、正義の刃に太刀打ちできようものか。

 異界の下賤でなく憂国の士が御手を継いでやるのだ。女王も満足することだろう。いや、自分の意図を潰された彼女は騒ぐかも知れないが、そうするほどに彼女の威信は穢れ、王城の支持はこちらへ集まってあのお方が玉座へと近づく! 結果的に自分たちも共に高みへ行ける!

 まったくもって不思議なのは、他の派閥から同様の刺客が送られていないことだが。思いつけていないだけか? これだから志低く、智慧に恵まれない凡俗は困る。

 果たして5人はうなずきを交わし、ひとりが扉へ合鍵を差し込みかけて――ぱしっと手を払われ、鍵を奪われたのだ。


 5人の目が一斉に鍵を追う。これがなければ忍び込めない。偽王者を害し、手を奪えない。取り戻さなければ――あ?

 ぐにゃり。鍵だったものが一瞬で金属の玉に成り果てた。

 合鍵は万が一のため、魔術で強化した合金を使用しているのに。なんだ? なんの冗談だ? もしかして奇術の類いか? そうでなければおかしい。やわらかげな女の指でこんなことができるはずはないのだから。


 そう、女だった。

 夜陰をそのままに削り出したかのような黒髪は長く、前髪も後ろ髪も俗に云う“ぱっつん”に整えられている。

 それに縁取られた細面もまた黒く、黒く輝く瞳はまさにぬばたまそのもの。

 スレンダーな肢体には得体の知れない衣服――タイトなラインを描くタートルネックの膝丈ワンピース――をまとっているが、これもまた黒く、肌との区別がつかなかった。

 たすき掛けに背負った包みだけは薄青いのだが、それがなんなのかはまったくの不明だ。


 ともあれどこから現れたものか知れない真黒の女は、愛想も愛嬌もまるでない無表情を傾げて5人を見やり、くわっ。両手腕を上へ突き上げて手首をきゅっと曲げ、指先をこちらへ向けつつ踏み出した。

 威嚇されているのだということはさすがにわかる。

 おのれ誇り高き我らを愚弄するか! 言い放ったはずが音となる前にかき消され、霧散して。

 これはよもや竜魔の干渉!? ならば密かに命を果たすは不可能! やるよりあるまい! こうして5人は女を向かえ討つべく踏み出し、剣を突き込んだ。

 ケェエェェエッ!! 怪鳥さながらの気迫はやはり音とはならなかった。刃の風切り音も、石床を踏み鳴らす足音も同様に。

 しかし、竜魔はなぜこの騒ぎを彼女が隠したがる? むしろ周囲へ報せて王者暗殺を暴くほうが有益なはず。いやそれ以前に、この黒い女の正体は誰なのだ?


 疑問を乗せた切先はしかし、ことごとくが女の脇を行き過ぎて。気がつけば通路にみっしりと詰まっているはずの彼らの脇を抜けられていた。

 これも魔術か!? 違う。これは体術だ。女はやわらかな身ごなしで迫る切先の陣の隙を滑り抜け、その先に待ち受けた彼らの隙を潜って後方へ抜けただけのこと。

 あわてて半転する5人をむっつりと見やった女は、真っ先に振り返ったひとりの頬へ指を全部曲げた掌打というか、平手を打ち込んだ。

 音がしなかったのは打たれずに済んだ4人にとって幸いだった……のだろう。覆面で隠した顔を真横にまで傾がせた同志が噴き飛ぶことすらできず、ぐしゃりと崩れ落ちて痙攣する様の生々しさを感じずに済んで。

 女は小首を傾げて自分の掌を見下ろした後、またも両手を挙げて威嚇のポーズを取って4人を見据える。

 ただそれだけで、ぞぐり。誇り高き騎士どもは背筋を震わせた。あの目に灯る無機質な輝き……獣だ! あれは獣の眼光だ!

 ヒイイィィィイ! 恐怖に駆られたひとりが剣を突き出し、女へと駆けた。正気を噴き飛ばされていながら得物を振り回さないのは、これまで積んできた訓練の成果か。

 が、あっさり躱され、頬を張られて45度傾がされて、かくり。膝をすれ落とさせられただけで済んだのだが、実は始まりに過ぎなかった。


 女が振り上げた手を剣で受けようとすれば、すり抜けられて頬を打たれ。

 打たれるより先に斬ろうとすればその剣を追い越されて頬を打たれ。

 一旦距離を取ろうとしてもあっさり追いつかれて頬を打たれ。

 なにをしようとすまいと頬を打たれ、打たれ打たれ打た打打打打。

 きさまっ!! ゅるさんぞっ! ぃや待て。やめっ、ゆるひれ――

 唇の先で紡がれるセリフがどんどん悲惨な訴えへと変化する。

 実際、生殺しではあった。一発で昏倒できた最初のひとりがうらやましくなるほどに。

 ようやく気絶することを許されたふたりめを置き去り、女が残る3人へと向かう。


 ふす。ひとくくりに縛り上げた刺客どもを塔の外へ放り棄て、女は鼻息をひとつ噴いた。

 魔女の注文通りに手加減してやったが、本当にあの程度で足りるのだろうか?

 女は側防塔のほうへ表情のない無機質な顔、というより仏頂面を向けて鼻先を蠢かせる。金属や術、薬の臭いはしない。一応の安全は確保できたようだし、定位置に戻ろう。

 背負った包みの角度を慎重に直し、彼女は周囲が見渡せる塔の屋上へと向かった。

 夜が明けるまでにあとどれほどの数が来る? まったくもって不本意だが、しかたない。応対はしてやらなければ。

 本当にまったく、あの嘘をつかなかったバカのお守りは手がかかる。おかげで今夜も寝不足だ。




「昔助けられた燐青蛾はさすがに無理ありすぎるよ。恩返しはあっちの世界でも定番だけどさ、いないからね燐青蛾。次は家の人ともっと設定練り込んで。蛾とかより猫とかにしたほうが無難だよ」

 黒い女とは逆方向、側防塔の先にある詰め所にて、花子は義人の寝室へ単身突入しようとしていた娘さんに説教中であった。

 えぐえぐ泣いている娘さんは、燐青蛾をイメージしたらしい豪奢で脱がしやすそうな衣装をまとっていて。頑なに白状しないがどこぞの貴族の血縁なのだろう。

「次は酷い目に合わせるしって竜魔が言ってたって、家の人に言っといてねぇ」

 ぐだぐだ抗う彼女を魔術で無理矢理城外まで押し出して、花子は深いため息をついた。

 予想はしていたし実際その通りなわけだが、たった数日の間に義人の元へは100に近い数の刺客が送り込まれていた。

 手を奪いに来る暗殺者はまだいい。なにせ最強の守護者がついているから、こちらも最低限の助力を送るだけで済む。

 しかし、籠絡して陣営に取り込もうとする輩はこぞって令嬢を送り込んでくるのだ。せめて本職を使えばいいものを。

 大事に育てられた令嬢どもは諭せば泣くし、怒ればわめくし、脅せば家名を連呼して抗うし、面倒過ぎる。

 初代のときにはなかった苦労だなぁ。もともと地位も立場もそれなりだったし、そもそも聖女がひっついてたしね。後輩くんにもいっそひとりくっつけとくかぁ。

「そういや彼、彼女いたことあったっけ?」




 凶刃から守られていることも素敵な機会を損失させられていることも知らず、義人は眠り続ける。

 見ている夢はけして楽しいものではなかったが、それでも。

 全力でまた動き出せる力を貯えて、朝を迎えるのだ。

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