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16.挑戦

「見てたか犬ー! 人間だったらちゃんと効くだろボディ!!」

 床の上で無様にのたうつ巨漢、周囲に棒立つ甲冑どもへ構わず、義人は最前列で病衣にくるまってうたた寝していた犬の頭をわしゃわしゃ撫でた。

「ぐぅ」

 昼寝を邪魔された上にわしゃられたことへ不満を述べる犬。

 と、両側から顔を挟まれ無限軌道を描かされて、あがあが。口を開けて抗った。ちょっと楽しげに見えるのは仏頂面が物理的に崩されたせいなのかなんなのか。


 その向こう、玉座の上より下方の有様を見下ろしていた女王は、青く冷めた頬をチリと攣らせて花子へ尖った視線を投げた。

「――あれを尋常の決闘と、王者の闘いと認めよ、そうおっしゃられますか?」

 騎士の攻めをまともに受け止めもせず玩び、意識を奪うどころか生き地獄の底で苦悶させる誇りも敬いもない闘い! 初代王者の栄光を貶めるばかりではありませんか!

「彼曰くタイマンだそうだけど。武具を遣わず素手で勝負して決めた。掟は遵守したよねぇ」

 思い通りにいかなかったからって難癖をつける? それは聖女王様としちゃよろしくないんじゃないかな?

「っ!」

 思わず立ち上がった女王の形相は、花子が言外へ含めた毒牙に深々抉られたことを白状していて。

 その上にだ。

「母上は王者の掟を遵守するものと宣言されました。このセルファン、しかと聞き遂げてございます」

 顔を強ばらせながらもしっかりと語ったセルファンは、ぐっと力を込めてさらに言の葉を紡ぐ。

「末席ながらエルバダを担う王族がひとりとして問わせていただく」

 果たして視線にあらん限りの力を込め、突きつけた。

「母上は現王者を愚弄し、透白の聖女が遺志を躙られるおつもりか!?」

 周囲の者立ちは王子の引き締められた美貌の冴えに気圧され、思わず一歩分も躙り下がるその奥で、女王は喉をぐっと押し詰める。

 ここで返した言の葉はすなわち、聖女王の真意とされてしまう。初代からの悲願を果たすため、あえてその遺志を躙るのだと答えたい。が、それをしてしまえば自分は聖女王として守るべき初代の遺志を見失ったと、周囲の多くに断じられよう。

 王座を与えてやれぬ男児が故、甘やかしが過ぎましたか……! 悔いを噛み締め、無言のまま玉座へ座り込む女王。

 初にして最高の助力をくれた味方を横目で見やり、花子はうん、ひとつうなずいた。

 場は整って、調った。ここからがあたしの勝負だよ、四十三代め。


 花子は誰へも視線を向けず、声音を張り上げて高く問う。

「今の決闘を見て、彼が王者にふさわしい男じゃないと思ったかい?」

 甲冑ども、制服ども、長衣ども、誰ひとり答えない。単純に意味がわからなかったからだ。なにせこの場に在る者はもれなく義人を王者だなどと認めていなかったから。

 しかし。

 この場の内にただひとり、自分が問われたのだと心得ている者があった。


おれにそれを決めることはできん。が、あの男とこそ闘いたい」


 完全に閉ざされた大扉を背に立つ答の主は、やけに小柄な体を全身をフードで包んで隠している。だからこそその風貌はわからない。加えてこの閉鎖された空間にどうやって入り込んできたものかもだ。

 が、その渾身から噴き出す気迫は、見る者すべての足をじりと後じさらせるだけの強さとおそろしさを見せつけていて。

「癖者を退治ナサィィッ!!」

 玉座の上で裏返った女王の絶叫を受け、正気に戻った甲冑どもがガチャガシャと前へ出、得物を突き出して身構えた。

 彼らは先に無様を演じた巨漢の同僚、突貫騎士団の面々である。なんとしてでも汚された名誉を取り戻したい。

 魔術が遣えないこの広間において、数という絶対の優位がある団の必勝は約束されている。あとの問題はいかに美々しく侵入者をぶち殺せるかだ。

「突撃ぃっ!!」

 穂先、切先、尖先、数十の“先”が、飄然と立つ侵入者へ殺到する――と。

「ぬわ!?」

 半円を描いた突撃陣形がぎくしゃく拡がったかと思いきや、ガチャギヂゴジャッ! 団員全員が尻餅をついたのだ。

「己も今日は生きて帰りたい。抜かせてくれるなよ、人間」

 吐き捨てた侵入者は、フードの端から伸び出させ、自分の肩にあてがっていたものを引っ込め、再び歩き出す。

 場に在るほとんどの者が呆然としている中、義人はしっかりと今起きたことを見届けていた。

 甲冑のどもの攻撃の下を潜った侵入者は陣の真ん中にショルダータックルをかけた。

 その肩へあてがわれていたものは、無骨な革鞘に納められた刃物だ。身の分厚さと短さからして鉈のようなものだと思うが、それ以上は不明。


 起き上がれずにじたばた騒ぐ甲冑の間を抜け、ついに義人の前へ立った侵入者が彼の顔を見上げて言った。

「汝が奮迅に震え、奮えたぞ」

 語る声音は大人のものと言うには高く、されど舌っ足らずな子どもっぽさもない、不可思議な代物である。

 そしてフードマントで覆われた体は、横幅こそ義人と変わらないながら、頭の先がようやく義人の鳩尾へ届くほどと小さい。

 が、この小柄な侵入者は、自分の二倍以上も巨大で重量もある騎士どもにただひとりで押し勝ってみせた。

 が、そんなことより、真ん前に立たれれば嫌でも思い知らされるのだ。

 この侵入者は、強者だ。


 犬を放して立ち上がった義人は、フードの者の渾身から沸き立つ気配に押されかけ、踏み止まる。ここで恐怖に駆られて後じされようものか。できねーしやらねーよ!

 あえて爪先を躙り出し、いつでも攻防を演じられるよう重心を体の中心へ置いて、名乗った。

「義理と人情、義人っす」

 強者はうなずき、マントを脱ぎ落とす。

「シャザのシャザラオ。ゴブリン486432を負い、王者へ挑むがため推参した」

 ファンタジー世界を代表するモンスターであり、ゲームにおいては初期の雑魚敵として登場する小鬼の姿がそこにあった。


「下種がわたくしの許可もなしに王者へ挑む!? ありえまひぇ――」

 玉座を跳ね飛ばす勢いで立ち上がった女王だが、そこから一歩たりとも踏み出せず、叫ぶことすら中断する。なぜか? 発現するはずのない花子の術式に挙動を縛られたためにだ。

 いつの間に術式を編んだ? なぜこの広間で術式を発現させられた? 問いたくとも声音を発せられない女王はいたずらに口をぱくつかせる。

「いやいや、おかしいことはないだろう? 挑むために王者の元へ来ること、それは彼らに認められた権利だよ」

 女王の引き攣った顔の端々に血管が浮き立ち、ぶくりと膨れ上がった。

 ああ、これはいけない。憤死でもされたらいろいろ面倒だ。肩をすくめた花子は、鋭く尖った人差し指を振り振り種を明かす。

「ここに書き込まれてる術式は全部解いて半分壊した。聖女王のもてなしへの意趣返しさ」

 我らの必死をこうも易々と凌いでみせようとは!! ますます憤死に近づきながらも、女王はふと気づいた。竜魔の指、あれはまさか……

 注目してしまったせいで見届けてしまった。

 そこだけを竜化させた花子の手指が、わざわざ視覚化させた半壊状態の術式の端を摘まんで一気に引き千切る様を。


 封印術式は複雑怪奇で、それ故におそろしく強力だった。

 が、結局のところ花子の智慧を凌ぐものではありえない。少し時をかけるだけでほつれ目は探り当てられたし、あとはこうして千切ってやるだけで終わる。

 もちろん、通常の術式を遣うだけの魔術師なら達人の域にあっても無理な話。術式を編むという唯一無二のわざの遣い手、“玲瓏なる竜魔”だからこその力業だ。

 君たちがするべきだったのは式をごちゃつかせることより、この何百年かであたしのやり口を解明することだったよ。まあ、できるわけないんだけどね。

 ――と、そんなことよりも。

 一番乗りはやっぱりゴブリンだったか。


 先んじて飛ばした報せはエルバダ王家だけに向けたものではない。かつての約定によって王者へ挑む権利を有する、人ならぬ種族へも等しく届けられたのだ。

 異種を押さえるための防備を現女王が固めるだろうと、花子は予想していた。いつか生まれる新王者へ人ならぬ種族が挑むことを封じ、人間の世界を守ろうとした第五代までの聖女王同様に。

 だからこそ、報せの内に含めておいた。花子がこの世界を去る前に造り上げておいた王城の内へ続く抜け道の存在を。まあ、それを謁見の間に繋げ直してやったのはそれこそ、女王への意趣返しというやつだ。

 そしてゴブリンの多くは人里近くに居着いている。真っ先に駆けつけるだろうことは予想していたが、だからといって単身で乗り込んで来ようとは! おそろしいまでの胆力ではないか。

 と。ふいにシャザラオが花子へ歩み寄り、右拳で胸を叩くゴブリンの礼を添えて感謝を告げた。

「竜魔殿の道あればこそここへ駆け込めた。まことに忝い」

 知能はともかく粗野な輩が多いゴブリンらしくない礼儀正しさだが、言の葉に込められた気迫を見れば丸わかりだ。

 道を使わせていただいたのは竜魔殿の心遣いへ義理を立てるためのこと。己は城門を真っ向から破ってくるつもりであった。

 あえて口にしないのはそれこそ礼儀なのかもしれないが、こうして竜魔相手にすら主張してくるプライドの高さはやはりおそろしい。

 いやはやまったく、シャザラオの名前は伊達じゃないね。


「――」

 口を動かすこともかなわず、かすかに無表情をひくつかせる女王へ構わず、花子は義人へ問う。

「王者の使命は挑戦を受けることだ。お断りもできるっちゃできるけどどうする?」

「決まってんじゃねっすか。義理はきっちり通しますって」

 なぜ、この国の者は王者になりたがるのか。

 なぜ、ゴブリンまでもが王者になりたいのか。

 なせ、王者は挑戦を受けなければならないのか。

 わからないことしかない有様だったが、しかし。

 人々を差し置いて手を継いでしまった自分がその使命を放り出してしまっては、それこそ仁義にもとる。

 それに加えてだ。

 異世界トリップした自分の初試合、その相手がゴブリン! 物語の開幕としてこれ以上ふさわしいものはない。

「シャザラオさんの挑戦、受けるぜ」

 わくわくと握手を求める義人へ、ごつごつとした顔に疑問を浮かべたシャザラオは自分の胸元を軽く右拳で叩き、

「感謝する。時と場が定まり次第報せをいただきたい。我らは都の門前にて待つ」

 己が様を堂々と見せつけつつ広間を後にしたのだった。


「よっ、いっ、ゴっ――ぅつもりですか!?」

 竜魔が編んだ術式の呪縛を引き千切り、ついに言葉を取り戻した女王が義人を責める。

「なんのつもりかさっぱりわかんねっすけど」

「よりによって卑しきゴブリンとの決闘を勝手に受けるなどどういうつもりですか!?」

 繰り返された非難に彼は眉下げ口開け、例の表情を作ってみせて、

「王者の使命っしょ? いや俺ガチでゴブリンと試合すんの初めてなんで楽しみっすわー」

「お黙りなさい!! いえそれよりもお断りなさい!!」


 噛み合わないやりとりの傍ら、セルファンはへなへなと床にへたり込む。

 城の中のことしか知らない彼に、これまで人間以外の種を目の当たりにする機会はなかった。

 王者をモチーフにした数々の物語、そこへ登場するゴブリンはまさに下卑た噛ませ役で、王者の力であっけなく滅ぼされるのが定番だ。

 現代においてもゴブリンは人にとってもっとも遭遇率の高い異種であり、詩人たちが語る戦いの唄でも雑魚敵としてよく登場している。

 だというのに――あのシャザラオはどうだ? あんなに堂々としていて理知的で、歴戦の騎士を越える風格と強靱とを備えていたではないか。

 僕は知ったつもりになっていただけだったのか? ゴブリンだけじゃなく、他のこともすべてすべてすべて!

 それならば、知りたい。

 異種のこと、これまで穴が開くほど読み返してきた物語の中の竜魔様、閃牙様、そして新王者ヨシト殿の真実を――誰より正しく深く多く隅から隅までうふうふふ。

「あ、なんかわかんねーっすけどやべー感じするっす」

「奇遇だね、あたしもだよ」

「ぐぅ」

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