周囲に壁を作った甲冑どももその裏にある他の者どもも、一様にうろたえていた。
自分から受けるだと? 全力でごねるのでなく? 嫌がる彼に無理矢理引き受けさせる手を数十も用意してあったというのに……いや、エルバダという国にとっては都合のいい展開、ここは余計な口を挟まず見守るべきか。
予想外の展開にざわつくばかりな者たちの向こう、女王ばかりは悲願が果たされるそのときを思い、薄笑むのだ。
さて。借り物の力を封じられた下賤が、志と武力とを兼ね備えた強者相手になにができましょうか?
「いざ尋常に勝負ううううぅぅぅうぅうっ!!」
勢い込んで踏み出た巨漢が握り込んだ右拳を打ち下ろす。
「先輩! ジンジョーってなんすか!?」
上体のわずかな捻りで頭をずらすヘッドスリップによって拳打をすり抜けた義人は、続けざまに飛んできた右回し蹴りをバックステップで置き去り、問うた。
「正々堂々くらいに思っておけばいいかな」
答える間にも花子は下へ垂らした両手を蠢かせる。探り、なぞり、読み、解いて解いて解いて……あと少し。
「だったら身長半分に縮めてこいっての」
吐き捨てた彼はしがみつきに来た巨漢をサイドステップで躱し、3歩分引き離して動きを止めて。
「殴ってこいよキコー」
「ぬうううぅうぅう!! 戦場ではまるで遣えぬ貧相な身を晒す小僧が某を愚弄するかああぁあぁあぁ!! この鉄拳をもって思い知らせてくれるううぅぅうっ!!」
結局殴んじゃねーか。思わないでもなかったが、それはそれとして。
吸い込んだ息を止め、迫り来る巨体へ自らを半歩踏み込ませた。
「っ!?」
ただそれだけで巨漢の突進が鈍り、バランスが揺らぐ。獲物である義人のわずかな前進によって踏み込む先を塞がれ、歩を狂わされたためにだ。
しかし、前へ泳ぎかけた身を力尽くで踏み止め、巨漢は「うぉおおおぉおぉお!!」、右腕を横薙いでのロングフックを振り込んできた。
かすめるばかりで牛をも昏倒させし某の拳閃! 戦場で一切の使い物になるまいその貧弱な身など木っ端微塵に噴き飛ぼうぞ!?
もっとも、かすめられすらしなかった。
上体を後方へ引くスウェーバックで空振りさせておいて、義人は立てた人差し指でちょいちょい。意味するものは当然、もっと打ってこい。
「おのれおのれおのれおのれええぇえぇぇえいっ!!」
憤怒を噛み締めた奥歯をきしらせ、巨漢は拳を振りかざした。
剛拳豪拳轟拳――左右の拳を上から横から真っ向から叩きつける。まさにその連打は嵐がごとくであり、周囲の甲冑どもも思わず嘆息を漏らしたが、しかし。
義人はことごとくを最少の動作で回避し、空振らせていった。
目がいい、っていうか、よすぎるんだよねぇ。
義人の回避を見、花子は胸中でつぶやいた。
犬とのタイマンを思い返してみても彼の反応速度は異様だ。手を抜いていたとはいえあの犬の攻めを直撃させずに闘い抜いたのだから。
手の力がまるで遣えないわけじゃないのかもしれないね。このあたりは要観察だけど。
「くらえぃ誇りの聖拳んんぅううぅうっ!!」
いっぱいに弓を引いて振りかぶり、思いきり握り込んだ拳をそのまま振り回す巨漢の拳打、勢いはあってもとにかく遅い。だからこそだ。ほんの少しの隙間を空けて躱すのだ。
「ぬふぁおっ!! 卑怯なり凡俗ぅ!!」
あとわずかで届くと思えばこそ、巨漢は歯を剥き出して拳を振り回す。そしてこうまで打ち続ければ、上体を支える砲台、つまり両脚は動かせない。つまり彼は蹴りを打つことはもちろん、位置取りを換えることすらできはしないのだ。
「誇り高き某に感じ入り、誇り高く互いの顔面を打ち合おうぞ!!」
「マジで無理無理。お断る」
言いながら、義人がバックステップで大きく一歩分を空けた。
巨漢にとってそれは、全力の一打を打ち込める最高の間合である。
「我が手に握り込んだ誇りをもって、かならずや偽りの王者を打ち砕かん!!」
固い床をしならせる力をもって踏み込み、打ち出した誇らしい右拳。それはこれまでの拳打を大きく凌ぐ速度をもって突き進み、体重を加えた超威力で標的を打ち砕く――はずだったのだが。
膝を落として上体を下降させるダッキングであっさりやり過ごした義人は。巨漢の右腕が前進を止めない内に我が身を跳ね上げ、左肩でそれを打ち上げた。
「やらせぬぅっ!!」
腕と共に身を浮き上がらせた巨漢は、前に置いていた左足を爪先立ててバランスを取り、右膝を突き上げる。
倒されず、しかし完全に崩された体勢から即反撃を繰り出す彼の能力、実にたいしたものではあった。相当な遣い手であれ、虚を突かれて顎先を打ち抜かれてもおかしくはない。
ただし。結局のところ義人へは届かなかった。
胸元を窄めるように構えた義人の左腕が内から彼の膝を弾き出し、爪先立った身をくるりと旋回させて。
「なぁんと!?」
一回転して戻り来たその脇腹へ、体ごと振り込んだ左拳をぶち込んだのだ。
「いちっ!」
巨漢の鍛え抜かれた筋肉もその上に被せられた脂肪も技も誇りもなにもかも、その拳を妨げることはかなわない。
「ぐっぷぇ」
抉られた肝臓がひしゃげ、胃を押し込んで空気を押し出して。
「か、ヒュ」
裏から押し上げられた横隔膜は息を吸い込むことを許されず、喉を高く鳴らすばかり。そして。
「にっと!」
義人は打ち込んだことで生じた反動を利して引き抜いた左拳へ再び弧を描かせた。
遠心力に乗った拳は引きつけられる中で加速、杭がごとくの鋭さをもって巨漢の脇腹――今なお残る拳型の窪みへと突き立つ。
「ぱ、ぁっ」
巨漢の口がぱくりと開き、コヒュゥ。身の内に残されていた息を噴き出した。
彼とてこの好機をものにするため選抜された騎士だ。それこそ常の戦いであれば気合で耐えてみせたことだろうが、散々に空振りさせられ、疲れ切った身ではそれもかなわない。
水上へ引きずり上げられた魚よろしく口をぱくつかせ、擦り合わせた膝を上下にがくつかせていた巨漢はその蠢きを停めて「ぱ、はぁぉぷ」。
ついにかくりと膝を折り、崩れ落ちた彼が言の葉に次いでなにを吐き出したものかは語るまい。
が、女王の目論見はただの2発であっけなく打ち砕かれたのである。