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13.女王

 幾度となく右へ左へ曲がり、ようようと辿り着いた廊下の突き当たり。一行は廊下同様巨大サイズな扉の前へ立つ。


「よろしいですか?」

 セルファンの言葉に、義人はぐっと力を込めて「押忍」。

 それを頼もしげに見やった王子はほろりと笑んだものだ。

「感服いえ、感動しました」

「え? なにがっす?」

「鍛え抜いた肉体を示してご自身が王者と報せる。貧相な僕ではとても真似ができません」

 買いかぶりが過ぎる!!

「戦場とは違う闘いの場ではこのような肉体が活躍できるのでしょうね」

 王子様まで戦場で遣えない体扱いをする!!

 それはさておいて、自分が半裸だったことを忘れていた。慣れってガチコワイっすわー。

「マジで違うんすよガチで。服、犬に獲られただけなんすよおまえ返せよこれじゃ俺そういう人になっちゃうだろ」

 とにかく病衣を取り戻そうとしゃがみこみ、犬の咥えたそれを取り上げようとしたのだが……さっと後じさられ、伸ばした手は見事に空振った。

「ぅあうっ!」

 仏頂面の中にきらめく黒眼が告げる。

 絶対に、この布は、渡さない!

「なんでこんなのばっかすげーやる気出すんだよ……」

 犬はふすふす鼻息を鳴らし、義人から距離を取った。

「あの、ヨシト殿! この国に王者を知らない者はありませんし、皆が王者を深く尊敬しています! 本当にすごいのですよ、王者は! その、たとえ裸でもですっ!」

 最後のひと言はさておき、知識語りを封印してまで取り成しに入るセルファン。

「マジすか!? すげーすね王者! でも服はくださいお願いしまっす!」

 どの程度理解できたか知らないが、とりあえず落ち着いたようでなにより。


 その騒ぎを内から聞きつけたものか、大扉が内へと引き開けられる。

 現されたものは大広間であり、そこへ居並んだ人々が一斉にこちらへ向き、膝をつく様であったのだ。

 人が一斉に動く。ただそれだけのことが、これほどの迫力を醸し出すものだとは。

 しかしため息をついている間はなかった。

 鈍色の甲冑をつけた騎士と思しき者たち、ローブをまとう文官めいた者たち、その他制服なのだろう装束で固めた者たちの向こう――幾段分かの高みに据えられた白き玉座に座した女性がすがめた視線をもって義人を見下ろしていて。

「あなたが王者が御手を継いだ者ですか。この国にありえぬ容貌、それこそが王者の御意を心得ぬ異界のものなのですね」

 冷え切った声音が紡いだ言の葉は、単純バカにすらわからせた。

 つまり彼女は自分を見下ろしているばかりでなく、見下しているのだということを。


「母上! 初代聖女王は王者を迎えるに際し、歩み寄りて膝をつき、敬いを尽くせと記しております! そもそも王者がこの国の父たる存在であることは多くの文献にて言及されており、されど人々の求めに応えず王位を望まず去った理由は初代のぶっ――ちょ、わたっ、まっ」

 同じことを感じ取ったセルファンがたまらず進み出て、いろいろ不要な知識を足しながら訴えようとしたが。制服より棘付革鎧が似合いそうな屈強すぎる男たちの津波に攫われ、あえなく広間の外へと運び去られていった。

「ここじゃ貴重な味方なんだけどなぁ」

 花子の苦い言葉が物語る通り、頼れないという最大の弱点は如何ともし難いものなのだが。


 と。

 女性はふと義人から視線を外し、ため息をつく花子へ言った。

「お初にお目もじいたします、佐藤殿。第四十三代エルバダ聖女王アソラマにございます」

 言葉ばかりは美しく整えられていながら冷め切った言い様。情愛のぬくもりなど欠片すらありはしない。初代聖女王の供連れであった魔術師への敬意も。

 が、当の佐藤殿はそんなことより、わざと眼中から外された義人が怒り出さないかと、そればかり気にしていた。やんちゃな輩はそうした礼儀にうるさいものだから。

 しかし義人はムっと引き下げていた眉根をあっさり解いて、こそっと言ってきたものだ。

「先輩の名前ってガチで佐藤花子さんなんすか? 異世界っぽくなくねっすか」

 そうだった。バイト先の利用者に鍛えられてきた彼は、理不尽にめっぽう強いのだ。それに感謝しつつ、花子はうなずいた。

「もちろん本名さ」

 嘘である。本当の名前はまるで違う。翻訳術式が自動的に偽名へ変換し、彼へ聞かせているだけのことだ。

 ついでに言えば義人に見せている自分は日本人に擬態した姿だし、こちらの世界の人々にもまた彼らにとって違和感のない姿を見せている。面倒臭いので一切説明はしないけれども。


 花子の思考を読み取れるはずのない義人は「そっすか」と返しつつ女王を指して。

「あの人なんか服ヒラヒラしてますし、顔があれ、クールビューティー?」

 揉めずに済んで胸をなで下ろした花子は苦笑して返す。

「衣装は初代聖女王、つまりあたしと犬の同僚だった聖女様のをイメージしてるんだよ。それより君って横文字とか知ってるんだなぁ」

 それはもう意外気な顔をする花子へ、半裸マッチョは得意げにサムズアップ――したかと思いきや、なにか引っかかった顔をして。

「そういや先輩って歳いくつなんすか?」

「いきなり過ぎないかい!?」

 あ、これはまずいかも。花子は内心の大慌てを力尽くで噛み殺す。

 こちらの世界の人間の平均的寿命は知らなくとも、目の前に初代聖女王の同僚と四十三代めの聖女王が並んでいるのがおかしいことは知れる。それは引っかかるだろうとも。

 だったら打つべき手はひとつ――

「魔術師はね、ちょっとあれだし。ほら、だって魔術だよ? 君だってなんとなく想像できるだろ? なにせ魔術師は魔術が遣えるわけだし!」

 ――全力でごまかす!!

 果たして。

「マジすか……やばいっすね」

 よし! 後輩くんが単純バカでよかったー!

「竜魔様は出自も師事した魔術師も修めた術式も不明ですが、文献への登場時にはもう稀代の遣い手であったとのことです! これは私見ですが、竜魔様はこのせぷっ」

 後はいつの間にか戻ってきたオタク王子の口を塞ぐだけだ。


 とりあえず場が収まったところで、花子は顎をツンと上げ、高みにある女王をぐいと見下ろして。

「王子が先に言ってくれたけど、君たちを背負う王者が来るんだ。門の前まで迎えに来るのが最低限の礼儀ってもんじゃないか? それとも足腰弱っててそのお高そうな椅子から降りられないのかな?」

 これに対し、女王は感情の色を一切含めずに返し来た。

「礼儀? 責を棄てた魔術師くずれと愚かしいばかりの害獣、そして我らが悲願を躙って王者の御手をかすめとった、到底戦場には立ち獲ぬ身体を晒す下賤。さて、わたくしに礼を尽くさなければならぬ義理が何処にありましょうか?」

 すでにお決まりとなりつつある義人の体への異世界的感想は置いておくとしても、さすがにこの平らか過ぎる台詞、聞き間違えられはしなかった。

 歓迎されてないどころではない。おそろしいまでの悪意を抱いた聖女王に待ち受けられていたのだ。

 どうとでもできるけど、ここはまあ、こうしとくべきかな。

「後輩くん! さくっと逃げるよ!」

「了解っす!! って、なんかあったんすか!?」

 訊きながらもちゃんと犬を抱えて逃げだそうとする義人。が、「ぐぅううう!」、赤子よろしく背をぎゅうっと反らして犬は抗い、彼を走り出させない。

「やめろっておまえー! 連れてくって言ってんだから抱っこされろコラぁ!」

「わふぅおぉおぉぉおん!」

「ヨシト殿、僕が閃牙様をおつっ! ぁっ。閃牙様っ、爪が痛っ、いたあぁああぁああ!」

「単純バカと空気読まない犬と役立たない味方、こりゃどうにもできないかぁ」

 大無駄騒ぎを繰り広げる現王者チームへ対し、女王は息子同様人種不明な美貌を傾げてみせる。

「そう急くものではありませんよ、王者殿」

 言い終わる頃にはもう、退路はおろか周囲のすべてが駆け込んできた厳めつらしい甲冑どもに塞がれていた。

「これ、なんなんすか? 王者ってそんけーされてるって王子様から聞いたんすけど」

 引き絞られる不穏を肌で感じながら、義人は花子と一応犬を背へかばって立つ。

「ヨシト殿、ここは僕が」

 慌てて前へ出ようとするセルファンを迫り出させた肩甲骨で制し、義人はかぶりを振った。周囲の甲冑どもの王子を見る目に情というものが一切ないことを感知すればこそ。


 緊迫が重く押し詰まる場のただ中、待ち構えていたのだろう女王が口を開いた。

「ええ、エルバダに生まれし者のすべてが彼の王者を敬い、愛しておりますとも」

 無表情が罅割れ、一気に露わされる。底知れぬ憎悪と焦燥と喜悦とが。

 我らが愛し求める王者はあなたなどではありえないのですよ。ですが、誰もが敬い愛する王者の御手、よくぞわたくしの代に携え来てくれましたね。心より感謝しますよ下賤。


「なんかすっげーやばい感じなんすけど!?」

 うろたえながらもけして背にかばった者を離さない義人。

 その筋肉もきもきな背中を見やりつつ、花子はふんと鼻息を吹いて言う。

「うん、実にやばい感じだよ」

 空を掻いた指先、そこへ集約させたはずの魔力は式を為すことなく霧散し、赤と緑の粒子と成り果てて散った。

 妨げられたのだ。この広間の床、壁、天井、その裏へ刻み込まれた魔術封印の陣によって。


 広間そのものをひとつの陣として構築する。言葉にすればそれだけのものだが、広さに応じた術式を詰め込むとなれば莫大な費用、労力、時間が必要だ。

 そうまでして女王は封じたかったのだ。花子の術式と、それ以上にいつか異界から来る新王者の力を。

 そうまでして女王は欲しかったのだ。人が世界の主であることを約束する王者の手を。


 甘く見てなかったつもりだけど、あたしは結局甘く見てたみたいだ。四十三代に至るまで熟成されてきた聖女王の執念を。

「顔色がすぐれぬご様子ですね。わたくしどもになにか粗相がありましたか?」

 嘲笑を向けてきた女王に対し、花子は義人の背後から失笑を返す。

「なんにも変わってないかと思ったけど、ずいぶん小狡い感じに変わったなって思ってね」

 げんなりしたのさ。肩をすくめる彼女へ対し、女王はどこか懐かしむような表情で言った。

「お言葉ですけれど、なにひとつ変わってなどおりませんとも。無為であるこそがわたくしどもの願いですから」


「よくわかんねーんすけど」


 びぐり。女王が、甲冑が、その他エルバダの者どもが、視線を一点へ集中させる。眉根を引き下げ、口を半開きにした顔をちょっと傾げた新王者へと。

 一見バカっぽく見えるが、違う。こちらの理不尽を正しく見切り、彼はここに示そうとしている!

 女王は竜魔を圧倒したことで緩んだ心を引き締め直し、あらためて義人を見下ろした。

 あなたがどれほど憤り、舌先を繰ろうとて、なにもできはしませんよ。この広間の内ではその手の力を発現させることがかなわないのですから。

 ええ、ええ。もう思い知っているのでしょう? あなたにできることは跪き、王者の手と称号とを差し出すことのみと。

 口の端を吊り上げる女王。

 義人は傾げた顔を直ぐに戻し、真っ向から彼女を見据え、息を吸い込んで、口を開いた――

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