扉が開いた先にまず見えたものは白光だった。
白はやがて赤青緑へ分かれ、他の色を得て形を成して――神殿めいた石造りの広間を見せる。
そして。
「ガチ異世界ーっ!!」
「変わらないな、なにも」
そんな彼の右隣、
数百年前に離れた、郷里を有する世界。門を繋いだ広間の様子が変わらないのはそう保たれているためかもしれないが、おそらくは……いや、断じるにはまだ早いか。
ちなみに義人の左隣、彼女同様数百年ぶりに帰還したはずの全身真っ黒な中型犬は、口に咥えた病衣を振り回してひとり遊びの真っ最中だった。
と。
「聖なる御手を継がれました王者殿、御目にかかれましたこと光栄至極に存じます。エルバダ聖女王朝継承序列第12位、セルファン・オ・ラケシーザ・エルバタと申します。何卒お見知りおきを」
斜め下から唐突に声がして。
片膝をついた美少年が――育ちの悪さにだけは自信のある義人をしてひと目でお貴族様だと察してしまった貴公子が、礼儀正しくこちらを見上げたのだ。
長く伸ばした金の髪は瀟洒な衣装へさらりと降りかかり、肌は青みを帯びて見えるほどに澄んだ透白を魅せていて。
地球に存在するどんな人種とも異なる顔立ちながら、圧倒されるよりない美しさ――!
義人は目を3回しばたたき、はい! 右手を挙げた。
さすがの後輩くんも目の前の彼が何者かはわかったみたいだね。花子はやれやれとかぶりを振りつつ「はい後輩くん」。
「俺、あのイケメンさんが言ってるなんか難しいやつ、ガチでわかんねっす!」
義人がアレなのはもうしょうがないとして、セルファンが難しいことを言っているまではわかるなら、翻訳術式の機能に問題はあるまい。あとは翻訳された言葉をさらに噛み砕いて伝えてやればいい。
花子は重々しくうなずいて、くわっ! 顎をしゃくれさせて説いたものだ。
「自分エルバダって国で12番めに偉ぇ王子張ってるセルファンってもんすけどー、後輩サンと会えてガチうれしっすー。マジなかよくしてくださいっすね! って感じっすわぁ」
「マジっすか!? ガチやばいっすね!!」
先輩がしゃくれた理由はまったくわからなかったが、とにかくイケメンが挨拶してくれたことはわかった。よっし、俺もイッパツ仁義切らしてもらうぜ!
「義理と人情、義人っす! 王子様、ガチよろしくお願いしまっす!」
今度はセルファンの理解が追いつかなくなったのだが、さすが王子様である。優美な一礼をもって謝意を示し、そして。
「ヨシト殿、僕のことはセルと呼んでください」
丁寧さを保ちつつ幾分か言葉を崩し、優美な笑みを添えた。
「セルさんっすね、押忍押忍。あ、そういやこっちが佐藤花子先輩で、そっちが犬っす」
「セルファンくんだね。知っての通り佐藤花子だ。よろしく頼んでおくよ」
一応はにこやかに手を振ってみせる花子とは逆に、犬は病衣をこれまで以上に噛み締め、後じさって「ぐぅ」。
「いやー、こいつ最初っからこんな感じなんで気にしないどいてください……って、あれ? 俺なんかやっちゃいました?」
犬はともかく花子とセルファンのどちらもが妙な顔をしていて。
なんだこの外した感は? 小首を傾げたところへ、セルファンがやわらかにうなずきかけてくる。
「存じて、いえ、よく知っています」
笑みを深めたセルファンはなぜか、ろくろを回すように両手を構えて、
「なぜか!? それはもう、“玲瓏なる竜魔”様、そして“ぬばたまの閃牙”様は先代王者殿の供連れですから! ええ、知っているどころかそこそこ詳しいのです僕は!」
あんなに綺麗だった笑みがたった数秒で粘っこい擬音まとわる醜怪な代物に成り果てて。これガチやばいやつじゃね!? 義人が本能的に察したときにはもう遅く。
「“玲瓏なる竜魔”様は前王者殿を明晰な頭脳で支えた大魔術師! 式を声音でなく指先で編むその魔術の原理は今なお解明されておらず、その身に竜を顕現させる竜化術式共々、多くの魔術師が生涯の研究課題としているほどです!」
それはもう超強火でしゃべるしゃべる。
通訳時の花子よりはマシながらちょっとしゃくれているのはなぜなのか? 異世界ルールなのか? しかも有り余った美しさは目減りしつつもそこそこ残っていて、なんとも怖い。
「そして“ぬばたまの閃牙”様は前王者殿をその機知と鋭利とをもって幾度も救った聖獣ながら、文献に記された情報が少なくお姿もお力も不確かです。しかし獣、獣人、人へ変じられて八面六臂の活躍を魅せられたとの逸話から今も童話や物語の題材として人気を博しており、多くのぷっ」
「そのくらいで。話がオタクすぎて後輩くんがまるっきり理解できてないし」
さらにしゃくれ続け、しゃべり続ける王子の口を物理的に手で塞いで、花子はなにも理解できていない顔を泳がせる義人へさくりと説く。
「まとめた言ったら、あたしも犬もすごい強いってことさ」
「ガチっすか!! マジやばいっすね!!」
口の封印から解かれたセルファンは、「すごい強い」で納得してしまった新王者へ対し、弱々しくかぶりを振るよりなかった。
「あの、ヨシト殿? これはおそらく僕の思い違いかと思いますし、きっと勘違いなのですけれど。竜魔様や閃牙様のことを知らない……はずがありませんよね?」
義人は澄んだ目で彼を見つめ、そっと両手を挙げてみせた。降参、ただそれだけを告げるために。
「うそだ――まさか王者のことも――ない。ありえ、ない」
呆然とつぶやく王子様をよそに、義人は犬の前へしゃがみこんで問い詰める。
「おまえ有名人じゃなくて有名犬なんかよー。そういうのちゃんと言っとけよー。ってか俺にもっとやさしくしろよー」
「ぐぅ」
要求を不満げに突っぱねる犬だった。
そんなこともありつつ。
王子の先導で石造りの広間を後にし、一行は美しく磨き上げられた大廊下を行く。
その途中、花子がふとセルファンへ言った。
「ところで、あたしたちがこっちへ来ることは報せていたはずだけど」
「え、いつっすか!?」
思わぬ方向からびっくりする義人へ彼女が「君が犬の顔挟んで無限軌道描かせてる間に」と答えれば、犬は「ぐぅ」。思い出し不満を述べる。
その傍ら、気まずげな顔をうつむかせていたセルファンは思い切ったように顔を上げ、苦く説いた。
「聖女王の通達により、ご一行の歓迎は謁見の間にて行うと」
「セージョオー!? って、誰っすか?」
盛り上がりきれずに失速する義人と、大声にびくっとする犬。
「聖女王はこのエルバダの第四十三代の女王です。一応、僕の母でもありますね」
説明してくれたセルファンに義人は今度こそ盛り上がり、
「お母さんが女王様ってガチかっけーっすね!」
「ええ、ありがとうございます」
そんな彼らに気づかれないよう浮かない顔を彼らから逸らし、花子は細い息を吹き抜いた。
もう四十三代めなのか。で、当然っていえば当然だけど、歓迎されてないんだなぁ。
エルバダを建国した人物は、王者の供連れであったもうひとりの人物――治癒術に長けた『透白の聖女』である。
人間世界最大の宗教組織からの異様な推薦をもって一行へ捻じ込まれた少女は、その清廉さと可憐な顔立ちから大人気となり、聖女の名で呼ばれるに至ったのだが。
実際は斜め上な使命感を燃やして王者を狂信したあげく、行く先々で散々にやらかしてくれたものだ。まあ、王者の偉業を永遠に讃えたいだけのために一国を立ち上げるバイタリティの持ち主なのだから、推して知るべしというやつか。
そしてエルバダの王位は基本的に、彼女の子孫である女子が代々継承している。花子が顔を合わせたことのある聖女王は第五代までだが、全員が自国から手の継承者を出すことを悲願に掲げて大騒ぎしていたものだ。聖女の妄執と血の濃さ、恐るべし。
そうしたわけでいろいろあって、花子は第六代の立位を待たずにこの世界と繋がる門を勝手に閉ざし、現在に至る。
だってのに「ただいま帰りました新王者は異界人でーす!」って、そりゃ怒るよねぇ。
花子は小さくため息をつき、義人へ言い聞かせた。
「いろいろ言われるかもだけどね。聖女王は女王つまり女子だし。うっかり泣かさないこと」
先輩との約束だよ? 念を押した彼女に義人は力いっぱいのサムズアップで応えてうなずいた。
「王様だからって女子ども泣かしませんって!」
まったく安心できないが、ここはよしとするよりあるまい。
花子はこの世界に自分がいた頃とまるで様相の変わらない大廊下の先へ視線を据え、唇を引き結んだ。
揉め事は避けられまいが、最少に抑える努力はしよう。
全部とは言わないけどほとんどはあたしのせいだしね。
と、ここで彼女はふすふす鼻息を噴く犬を見下ろし、愚痴をこぼす。
「まったくしがらみってのは面倒なばっかりだなぁ。その点、君は気楽そうでうらやましいよ」
答はといえば、安定の「ぐぅ」であった。