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5.頑迷

「君さ、どうしていいようにやられてるわけ?」

 うずくまった背中へどストレートな質問を投げかけられて、義人は「うっ」。胸を押さえてうつむいた。

「パンチ、通んねーんす、よ?」

「なんで通んないのかって訊いてるんだよ」

「ううっ」

 花子はしょぼしょぼとへたり込んだ彼の顎へ指先を差し込み、ぐいと上げさせて。

「その手にはね、すごい力が詰まってる。君が気合入れたら勝手に発現するはずなんだけど」


“彼”が遺した手には、それこそ凄まじいと表すよりない力が詰め込まれている。

 ここで多くを説く野暮はしないが、剣士の剣を神威顕す聖剣へ、ガンナーの銃なら星すら穿つ魔銃へ、握り込んだ得物を文字通りの唯一無二へと成り果せさせるその力、ボクサーの拳ならトールハンマーへ変容させるに違いあるまい。

 そして暫定であれ、手を繋げた者はその力を遣えるものだ。いざ闘いが始まれば義人もおのずと理解し、遣えるようになるだろうと、花子はそう思っていたのだが。


「だからっすか」

 義人は両手を凝視して握って開き、顔を上げて彼女の顔を見た。

 なんだ、ちゃんとわかってはいたのか。ああ、ああ、彼の心情は理解できる。こちらの世界の人間が持ち得ない、大きすぎる力にとまどい、発現を恐れてついつい封じてしまったと、そういうことなのだ。うんうん。

「いつもよりちょっと手、軽いっす」

 うん? 予想外の答がキタ!

「手が軽いって、それだけかい?」

「おす、ちょっとっす」

 んー。それって多分、グローブつけてないからじゃないかなぁ?

 言ったところで出力弱めな彼の頭には染みこむまい。だからその代わり、輩のこめかみを土の術式で固めた拳で挟みつけてぐりぐりぐりぐり。

「あはぁっ!! それガチで痛いんすけどぉだだだだだだ」

 四つん這いで逃げ出した義人はするりと立ち上がり、背中越しに言った。

「力とかいらねっすよ」


 は?


「ちょっと待って、あれだよ? 君だって憧れたでしょ魔法! そういうの出るよ? ファイヤーボールとかウインドカッターとか超サンダーとか!」

「魔法!? 出たらかっけーっすよね!」

 残酷な事実がこれで確定した。

 これまでの暫定後継者全員が普通に遣えた力を、義人は一切遣えないのだ。

 素養がないのか他の原因があるのかわからないが、これはまずい。義人が死ぬ。

 いや、正直なところ死んだら死んだでしょうがない。ただし、いいところなく死なれるのが困る。

 適材ではありえない義人が演じられる役どころはただひとつ。“あの子”の餌だ。

 ずっとこの場に独り留まり、“彼”が遺した手を守り続けてきた番犬。その限りない無聊をわずかにでも慰めてやるための、おもちゃ。


 かつて“彼”は、花子にとってもっとも近しい存在だった。そして、固い約束を交わしたただひとりの相手でもあって。

 すべての力を尽くして夢に向かう“彼”を支え続けたのだ。花子自身の願いを果たしてもらう、そのために。

 だが“彼”は道半ばで斃れ、力持つ手のみを遺して逝ってしまった。

 だから約束をあきらめる? ありえない!

 花子は自分や“彼”、犬の故郷である世界ならぬこちらの世界へ紛れ込んだ。手を継げる者を探し出してみせる。“彼との”約束を果たしてくれる後継者を!

 されど100年経て疑い、300年経て迷い、500年を経てようようとあきらめて。今の関心事はただ、無意味な時をいかにやり過ごしていくかだけ。


“彼”の手を保存するため作ったこの狭間へ来たのも数十年ぶりだ。

 そういえば、“彼”に連れられてはいたがそこまで親密でもなさげだった犬がここに居座った理由はなんなのだろう?

 わからないし、わかる必要もない。

 おもちゃをくれてやったのだからまた数十年は寝転んでいてもらおう。会ってしまえばどうしても“彼”を思い出してしまう。それはさすがに、辛過ぎるから。


「とりあえずの処置だけど、あたしが君の手から力引き出したげる。ドリルパンチとかどう? サービスでビームもつけたげるし、男子は好きでしょそういうの」

 お願いしまっす! その言葉が届くのを待たず、彼女は術式を編み始めた。

 これまでの暫定後継者と同じ条件にしてやればあと3分は保つだろう。犬の満足度はそれだけ上がり、自分も後ろめたさなくここを後にできる。

「いらねっす」

「うんうん、いらねェ!?」

 なにを言い出すのだこの単純バカは!? 自分の単純とバカを弁えて複雑才女の言うことをきけ!

「バカ発動させてる場合じゃないんだって! あれ、犬に見えるけどすごい魔獣だし!? 殴っても効かないのわかったでしょ!? 引っかかれたら死ぬし、噛まれたら死ぬんだよ!?」

 苛立ちを押し詰めた顔を突きつけ、圧をかける花子だったが。

「死んでもいらねっす」

 頑なに言い張った義人は左右の手を握り込み、さらに。

「タイマンはちゃんとタイマンじゃなきゃだめっしょ」

 タイマンって、昭和のヤンキーか!!

 単純バカのシンプル倫理を複雑才女へ思い知らせておいて、彼は犬へ右手を挙げてみせた。

「1分経ってねーけど2ラウンドめ始めんぞ」

「ワゥ」

 短に応えた犬が踏み出し、両者は再び2メートルを空けて対峙する。

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