大輔たちが頷くと、酒呑童子と名乗った三本角の巨漢鬼はパンッと柏手を打つ。騒いでいた異形たちがシーンと静まる。
「お前ら、歓迎会は後だ、後っ! お客人も混乱している。さぁ散った散った!」
覇気だ。天性のカリスマともいうべきか。
スッと耳に入るその声音はビリリと響き渡り、異形たちは多少不満な様子ながらも、その言葉に従う。
酒呑童子は頭を下げる。
「すまねぇな。悪い奴らじゃねぇんだ。ただ、外との交流が少なくてな。歓迎したいだけなんだ」
「い、いえ。悪気があったわけではないのは分かっていますし」
「はいです!」
「恩に着る」
名前とか伝承とかの割に腰の低い人だな……、と内心思いつつ、大輔は苦笑いした。
と、酒呑童子がぼへぇとしていたぬらりひょんを見やる。
「ぬらりひょん。客人の相手をしてくれたこと、感謝する」
「も、もったいなきお言葉……」
「そう、縮こまるな。毎度毎度、トラブルの際に真っ先に対応するの、マジで助かって――」
裏表のない豪快な笑みと共に酒呑童子はぬらりひょんの肩を叩こうとして、
「坊。その前に案内です」
「おお、すまないすまない」
ウカと名乗った空狐に窘められる。
ウカは適当に頷く酒呑童子にやれやれと首を振りながら、ワンっと一鳴きする。
すると、ウカの目の前に二メートル程度の高さの朱色の鳥居が現われる。転移門のようだ。
「ふぇ?」
大輔が目をまん丸にする。転移門を作り出したこともそうだが、その鳴き声だ。ワンっと鳴いたのだ。狐なのに?
「お客人。どうかいたしましたか?」
「い、いえ。なんでも……」
大輔は首を振る。
ウカはそうですか、と頷き、その鳥居をくぐる。酒呑童子もぬらりひょんと共に鳥居をくぐる。
大輔も仕方ないのでウィオリナと共にその鳥居をくぐった。
そこは、
「へぇ」
「わぁ」
思わず大輔とウィオリナが感嘆の溜息を漏らす。
酒呑童子が少し嬉しそうに鼻を鳴らす。
「いいところだろ」
「ええ。はい。みんな、安心できる場所です」
「優しくて、嬉しくなります」
別に京都の街並みが絶景だったわけではない。
確かに、今では見ることのできない風景ではあったが、大輔たちが感嘆したのはそこではない。
街が生きていると言えばいいのか。
いわば営みだ。そこの街に住んでいる者の営みの雰囲気が滲み出ていたのだ。優しく温かく、穏やかで、和やかで。
「そうか」
酒呑童子が目を細めて、頷いた。
と、玄関の前で後ろを振り返っていたウカが、わざとらしくワンッと鳴く。
「おお、すまねぇ、すまねぇ。どうぞ入ってくれ」
「あ、はい。失礼いたします」
「失礼するです」
一瞬微妙な表情をした大輔は、けれど直ぐに酒呑童子が開いた玄関の引き戸を潜り抜ける。ウィオリナもだ。
そこから、縁側を進み、京都の街並みが一望できる和室へ案内された。
簡素なその和室にはすでに座布団が二つと三つで向かい合うように置かれていて、ウカが三つのうちの中心に座る。
真っ白の狐が神社などのお稲荷さんの銅像のような恰好で座布団に座っている様子に、戸惑いを隠せない大輔とウィオリナに、ウカは気にせず柔らかな声音で座るように促す。
「座ってください」
「失礼します」
「失礼するです」
ウカに少し頭を下げ、大輔とウィオリナは二つの座布団の方に座る。大輔は正座、ウィオリナは女の子座りだ。
ウィオリナは大輔を見て、正座に変えようとしたが、あまりうまくいかず断念した。
と、酒呑童子が天井を叩く。二メートル越えの身長だと、余裕で天井に手が届くのだ。
「お客人、少し待っててくれ。おい、ぬらりひょん。手伝ってくれ」
「わ、分かりました」
「うぉ」
「きゃっ」
大輔とウィオリナは突然聞こえた気弱な男性の声に驚く。
酒呑童子と一緒に奥に消えたぬらりひょんの存在をすっかり忘れていたのだ。
少し気まずい雰囲気が流れる。
しかも、大輔は先ほどのウカの鳴き声が気になって、失礼だと分かっているがチラチラと見てしまう。
ウカはそれに目聡く気が付いた。
「眼鏡のお客人」
「あ、鈴木大輔と申します」
「では、大輔さま。私は現世に
「あ、はい。なんといいますか、すみません」
大輔は久しぶりに恥ずかしさというべきか、申し訳ない気持ちになる。
「いえ。慣れていますので。それよりももっと崩した口調でよろしいですよ」
「それは遠慮しておきます」
「そうですか」
一応敵意が無いとはいえ、それだけだ。これからの内容によっては敵対する可能性も大いにあるし、初対面に対してはよっぽどの事がない限り敬語だ。
……大輔は常識というか、倫理観とかはないけど、良識みたいなものはキチンとあるのだ。
と、その時、
「お茶、持ってきたぞ」
「お、お菓子もです」
酒呑童子がお盆に載せていた緑茶のよい匂いを漂わせる上品な湯呑をそれぞれの前に置く。ぬらりひょんは、おはぎと団子のお皿だ。
それにしても、ウカは狐なのだがどうやって湯呑から緑茶を飲むのだろうか。
大輔のそんな疑問は他所に、酒呑童子は堂々と座布団で胡坐を掻き、ぬらりひょんは座布団や湯呑等を引っ張って部屋の隅に移動した。いつもの事なのか、酒呑童子もウカも気にしない。
酒呑童子は、目の前の緑茶のいい匂いに我慢できず、けれど口をつけるかどうか悩んでいるウィオリナに気が付く。
「
「あ、いえ、そういうわけではないんです……」
ウィオリナは、一瞬大輔を見やろうとして自制。自らで考えて判断し、一息吐いて、湯呑に口をつける。緑茶をすする。大輔は何も言わない。
「おいしいっ!」
「おお、それはよかったぜ」
酒呑童子は心の底から嬉しそうに笑った。
そして、鋭い目つきで大輔を見やる。
「それで
「はい。ある程度は」
“天心眼”などで酒呑童子やウカなどを解析していた大輔は、すまし顔で頷く。
酒呑童子はその朱の瞳をさらに細める。
見えない重圧が大輔にのしかかるが、大輔は表情一つ動かさず湯呑に口をつけ、「あ、美味しい」と呟く。重圧に冷や汗を掻いているウィオリナは何とも言えない表情をする。
酒呑童子が溜息を吐く。
「なるほど。妖魔界に害をなしにきた存在ではないらしい」
「……妖魔界?」
「そこからか」
酒呑童子は後は頼んだ、と言わんばかりの視線をウカに向ける。ウカに説明を押し付けるらしい。
ウカはやれやれ、と項垂れ、大輔とウィオリナに尋ねる。
「大輔さま、それと……」
「ウィオリナです。ウィオリナ・ウィワートゥスです」
「……ウィオリナさま。まず、確認なのですが、数時間ほどお時間を頂くことは可能でしょうか?」
「それは……む――」
「僕は問題ありません」
ウィオリナが目を見開く。
「ダイスケさんっ? アンさんは……」
「ここに来る前に連絡があって数時間ほど一人で行動するらしい」
「え、どいうことです?」
「外国人観光客を案内するらしい」
「らしいって……」
ウィオリナは少しだけ唇を尖らせる。杏が心配ではないのか、と瞳を大輔に向ける。
大輔は首を振る。少しだけ自分に言い聞かせるような表情をしたことを、ウィオリナは見逃さない。
「杏が決めたなら、それでいい。心配することもない。それに何かあったら直ぐに把握できる」
「え、どうやって……」
「それは後で」
言葉を濁し、ウカの方へ目線を直した大輔にウィオリナは何も言えなくなる。
ウカはウィオリナを一瞥するが、大輔に視線を移す。
「本当によろしいので? 今すぐにでも現世にお返しすることはできますが」
「その数時間の内容にもよります。ぶっちゃけた話、ここがどういう場所かはどうでもいいんです。貴方たちの存在もとても驚いていますが、それも是が非でも知りたいというわけではありません。ここから出る方法も分かりましたし」
その言葉を聞いて、ウカも酒呑童子も一瞬だけ瞳を細める。それに気が付きながら、大輔は続ける。
「ただ、僕たちは修学旅行という、ええっと学生が学校行事で――」
「わかります」
「あ、その修学旅行でここに来ているだけなので、まぁ観光ができるならそれでいいかと」
「……なるほど」
ウカはチラリと部屋の隅で縮こまっていたぬらりひょんに蒼穹の瞳を向ける。ぬらりひょんはビクリと肩を震わせた後、音もなく立ち上がり、どこかに消えた。
「では、少し
「御輿……ですか?」
「はい」
ウカは京都の街に目を向ける。
「彼らは皆、心優しい者です。しかし、何も変わらぬこの世界に飽きているのも事実」
「……先ほどの祭とやらですか?」
「はい。御輿としてあなた方を担ぎ上げ、この町を案内しながら祭をしたいと考えております」
「……なるほど」
大輔は未だに納得のいっていないウィオリナを見やる。
「さっきはああいったけど、僕はどっちでもいい。今すぐここから出て、杏を追ってもいいと思ってる。ウィオリナが決めていいよ」
「わたしは……」
ウィオリナは言葉に詰まる。
脳裏を
そして……少しだけ暗い考え。
(ッ! わたしはなんてことをっ!)
その暗い考え――杏抜きに大輔と二人っきりでいたい――を抱いたことに、ウィオリナは自らに
けれど、ウィオリナは今すぐ杏のところに行くという決断はできなかった。
(……たぶん、一人っきりになりたいんだと思うんです)
ウィオリナは杏が好きだ。あの出会った短い一日から、今日まで。それを通して杏を好きになっているし、友として大切に思っている。
だから、修学旅行ではしゃいでいたとはいえ、気が付いていた。杏が時折見せる暗く寂しい表情に。そして何かを我慢するような辛い瞳が大輔に向いていたことにも。
特に、清水寺以降はそれが増していた。増す理由も、なんとなく想像がついていた。
ウィオリナはゆっくり深呼吸をし、大輔に尋ねる。
「アンさんに何かあった時、直ぐに分かるんです?」
「うん。それは絶対。直ぐに行く」
「……分かったです」
ウィオリナはウカに体を向ける。
「ウカさんのお話、受けようかと思うです」
ウカはほっと少しだけ安心したような表情をする。まぁ、狐なのでそんな雰囲気だったという事しか分からないのだが。
「坊」
「あいよ」
ウカの言葉に酒呑童子は頷き、立ち上がる。
「付いてきてくれ」
「わかりました」
「分かったです」
大輔とウィオリナは酒呑童子に案内された。
残されたウカは、
「……姫さまにも似た
一抹の不安を覚えていた。