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五話 英語か、面倒な。

 少し時間は巻き戻る。


 シャワーの水音が微かに聞こえる中、冥土ギズィアは覆っていたもやが晴れて、京都の街並みが朝日に照らされていくのを眺めていた。


「はぁ」


 溜息が漏れる。


 冥土ギズィアは高度の演算能力や疑似的な魂魄によりある程度の感情を再現できる。


 だが、今、自身の胸中を占めているこの感情は、冥土ギズィアが意図して作り出したものではなかった。


(……なんなのでしょう、この無性に駆り立てる気持ちは……それに自らが自らでなくなるような……)


 冥土ギズィアはブンブンと顔を横に振った。


 そもそも自らを確立していない己に、何故自らでなくなるという感覚が出てくるのか。


 思考を切り替える。


「郭様の事もですが、まずは杏様について考え……」


 人間臭く自身を冷静にさせるために状況を述べようとして、冥土ギズィアは口をつぐむ。考え込むようにして無表情の顔に影を落とす。


 そうして数秒の沈黙を保った後、


「ッ!」


 冥土ギズィアは立ち上がる。


 それから自身に無音の魔法を使い、音を消す。ウィオリナたちが寝ている和室を素早く通り抜ける。


 そして靴を履き、焦るように、それでいてゆっくりと玄関のドアノブに手を掛けて、旅館の廊下に出た。


 走る。


 姿も音も気配も何もかもを消して、階段を降り、旅館のエントランスに行く。


 エントランスには二人の人影があった。


 一人は外国人男性。肌は白く、赤に近い茶髪。ラフなTシャツにジーパン。大き目のバックパックを背負っている。歳は三十くらいか。


 片手に観光用のガイド紙を持っているのも合わせれば、観光客だと容易に推測できる。また、話している英語に少しだけドイツ訛りがあることから、ドイツ系の人なのだろう。


 そしてもう一人は郭。朝に一服しようとしたのか、タバコ……というより、煙管キセルだ。こなれた様子で片手に煙管キセルを持ち、もう片方の手を白衣に入れていた。


「I would like to go to this Make shrine, how do I get there?」

「まけ? 京都観光でそこ選ぶ? というか、何でこんな時間に……まぁいいが」


 白衣から取り出したスマホを操作して、郭はふんふん、と頷く。それから喉の調子を整えるように咳払いする。


「こほん。ええっと、その――あ、違う。英語か、面倒な。……ごほん。Can I borrow that travel brochure?(その観光パンフレットを貸してくれ)」

「Why?(あ、何でだ?)」

「Because it's faster to write it down than to talk about it. Besides, you don't want to keep asking.(書いた方が早い。それに、何度も聞き直す必要もないだろ?)」

「That's true.(確かにその通りだな)」


 流暢だ。


 多少オーバーな仕草はあるものの、郭の発音は流暢だった。


 そのことに冥土ギズィアが少し驚いている間にも話は進む。


「Are there any other sights you plan to stop by besides the Make Shrine?(途中で寄るところはあるか?)」

「I plan to go there first.(最初にそこに行く予定だが)」

「I see.(分かった)」


 スマホでポチポチ調べながら、郭はガイド紙に色々と書く。


「I want to send a picture to your phone. Let me share your phone with mine.(写真を送りたい。共有できるか?)」

「Well……Ok.(ああ……分かった)」


 それからSNSで調べたであろう駅の写真などを外国人男性のスマホに送る。共に欠けたリンゴのスマホだ。


 そのあとも少しだけガイド紙に何か書き込んだ後、外国人男性に返す。


「This should be no problem.(これで問題ないと思う)」

「Oh, thank you(おお、助かった)」


 外国人男性は郭に手を差し出す。郭は差し出された手を握り返し、それから去ろうとする外国人男性に煙管キセルを持ちながら、手を振る。


「Have a good trip.(良い旅を)」

「Have a good day, kind teacher.(良い一日を、親切な先生さんよ)」


 そして外国人男性は旅館を出て行った。


 郭はエントランスの時計を見る。


「一服する時間はないな。既に会議の時間だ」


 やれやれ、と溜息をついて少し体を伸ばした郭は冥土ギズィアが隠れている場所ではなく、少し奥まった場所へと消えた。エレベーターで自室に戻るのだろう。


 そして郭が完全にいなくなったのを確認して冥土ギズィアは――


「あれ、冥土ギズィア。どうしたの、こんな場所で?」

「ッ、創造主様マスター


 エントランスに置いてある自販機で飲み物を買いに来たのか、大輔は小銭を入れたがま口財布を弄んでいた。


 冥土ギズィアはふぅ、と息を吐く。大輔が不審がる。


「うん? どうした?」


 大輔に胡乱な瞳を向けられ、冥土ギズィアはどうするか迷う。しかし、冥土ギズィアの使命は創造主様マスターである大輔のために動くこと。そして今は、大輔が安寧に修学旅行を過ごせるようにすることが重要だ。


 つまり、ここで嘘を吐くことは背信にはならない。


 自らに論理言い訳をして、冥土ギズィアは大輔を見る。


「いえ、それよりもこれから私は限定スイーツを入手すべく外出して参ります。ですので、今日はご一緒できません」

「限定スイーツ? 直樹がそんなの頼んだの? っというか、今日はって昨日も一緒にいなかったじゃん」


 責めるような大輔の言葉を冥土ギズィアは無視する。何度か逡巡した後、真剣な表情を大輔に向ける。


「……それより、一つ頼みが」

「え、何?」


 あまりに真剣な冥土ギズィアの表情に大輔は首を傾げる。冥土ギズィアは一度だけ、ふぅ、と息を吐いた後、ゆっくりと頭を下げた。


「杏様とウィオリナ様の想いを、どうかできるだけでいいので尊重してください。では、私は限定スイーツを買いに行ってまいります」

「あ、ちょ。その恰好で外に出るのっ? ってか、どこのスイーツを――」


 大輔が制止をする間もなく、冥土ギズィアはサササと旅館を出た。


 隠蔽されてたとはいえ、魔力を宿していた外国人男性を追うために。



 Φ



 二時間半ほどだろうか。


 既に多くの学生や社会人はそれぞれの本分に力を入れ始める頃だろう。


 魔力を持った外国人男性を追って京都を横断した冥土ギズィアはいつの間にか旅館の浴衣姿ではなく、ビクトリアンメイド服に着替えていた。


 冥土ギズィアはしゃなりと境内に足を踏み入れる。一応姿や音、気配などを隠蔽しているとはいえ、建物の影に隠れる。


 視線の先には外国人男性がいる。


 傍目から見れば観光を楽しんでいる様子だが、足や重心の移動、視線の動きが一般人ではなかった。


 外国人男性は適当に参拝する。一般の観光客ならそのまま踵を返すだろうが、やはりそうではなかった。


 キョロキョロと間断なく鋭い瞳で辺りを見まわし、人がいないことや防犯カメラの位置を把握した外国人男性は、とても身軽な動きで神社の裏に回る。


 そのまま、草木の塀を乗り越え、奥の山へと足を踏み入れた。


 冥土ギズィアも距離を取りながら追随する。


 そうして外国人男性が山を駆けること数分、少し開けた場所にたどり着いた。円状に木々が禿げていて、その中心に二メートルほどの岩が置いてあった。


 その岩には護符のような札が何枚も貼り付けられていて、しめ縄が巻かれていた。


 冥土ギズィアは不審に瞳を細める。ネットで得られる航空写真で、京都周辺の地形などはデータとして事前に入手している。


 故に、自身が地図のどこにいるかも緯度と経度で正確に言えるほど把握していたのに、この場所は知らない。


 と、外国人男性は辺りを見渡し、何度か岩の周りをぐるぐると回った後、岩に背を預けて座り込んだ。


 背負っていたバックパックを脇に置き、瞑目する。


(……誰かを待っているのでしょうか? まぁ、関係ないことです。解析スクリーバも終了いたしました。魔力量も大したことはありませんし、持ち物も普通。手早く記憶を覗いて――)


 そう冥土ギズィアが判断し、茂みに隠れていた冥土ギズィアが足を一歩踏み出そうとして、


「ッ」


 空から矢を象った火が岩の周囲一帯に降り注いだ。


 外国人男性は慌てない。


「〝魔導・グリモワール――四。属性指定――水。状態――結界。範囲――二から十三。展開実行っ!〟」


 英語ではない。日本語でもない。この世界にはない言語。


 冥土ギズィアに組み込まれた“万能言語”によって翻訳されたその言葉に従って、魔力がうねりことわりが為される。


 魔術陣が上空を覆ったかと思うと、水の壁が出現。降り注ぐ火の矢を防ぐ。


 が、水の壁は蒸発し、辺り一帯が水蒸気に包まれてしまう。ちょうど太陽が雲に隠れてしまったこともあり、濃霧に入ってしまったかのように視界が悪くなる。


 冥土ギズィアはサーモグラフィーなどのあらゆる感知機能視界を起動し、様子を把握する。聴覚を増強し、心臓の音すら聞き逃さない。


 水蒸気にまぎれて上空から落ちてきたのは外国人の女性。スレンダーで、黒装束を纏う。フードを被っているせいでハッキリとはしないが、チョコレート色の肌とくすんだ金髪なのは分かる。


 猫のごとくしなやかに着地した外国人女性は、一寸先も見えない視界の中迷わず岩に向かって一直線に跳ぶ。


 が、


「〝魔導・グリモワール――三。属性指定――木。状態――拘束。範囲――四から六。展開実行っ!〟」

「Fuck.(クソッ)」


 視界を悪くしたのはわざとだ。いくら目的の岩の位置を把握していようと、周りに仕込んだ罠には気付かない。


 そう言わんばかりに、濃霧の中、しなやかなツルが地面から伸び、外国人女性を拘束する。


 水蒸気が晴れる。


「Hello, Emerada.(久しぶりだな、エメラダ)」

「……」


 外国人男性はツルに拘束され地面に縫いつけられている外国人女性――エメラダを見下ろす。


 唇を噛み覚悟を決めた様子のエメラダはキッと外国人男性を睨み、怨嗟えんさの叫びを上げる。


「〝喰らえ、喰らえ、喰らいたまえっ! 罪なる我が身の糧としてっ! 魔導・グリモワール――零っ!〟」

「ッ!」


 瞬間、どす黒い魔力がエメラダから立ち上り、包み込む。


 慌てて飛びのいた外国人男性はジリっと冷や汗をかいて、腰を落とす。岩を守るように拳を構える。


 そして、エメラダを覆っていたどす黒い魔力が晴れる。


「燃えろっ!」

「ッ! 〝魔導・グリモワール――二。属性指定――氷っ。展開実行っ!〟」


 エメラダの言葉に魔力が反応して、業火がおこる。


 外国人男性は頬を引きつらせながら、脇においていたバックパックからペットボトルを取り出し、中身の水をぶちまける。


 瞬間、その水が凍り、巨大な壁を作り出す。業火を防ぐ。


 外国人男性がエメラダを見据える。黒炎を足元に纏ったエメラダは、不敵な笑みを浮かべて一歩、一歩と歩みを進める。


「You've degraded yourself in the monster.(魔法に身を落としたか)」

「Yes. And die.(そうよ。そして死ね)」


 狂気に染まった絶叫が響く。エメラダだ。


 体のどこからそんな絶叫が出せるのか。優雅にわらう彼女は、無造作に右手を振るう。人外の力をふるう。


「ッッ!!」


 黒炎が滝のごとく降り注いだ。外国人男性は対応する前に飲み込まれた。


 エメラダはそれを冷徹な瞳で眺めていた。


 そして、十秒近く経った後、再び無造作に右手を振るった。


 黒炎が晴れ――


「ッ」

「Thank y――いや、感謝する。助かったぜ、芦屋さん」

「いや、こちらも遅れてすまぬ。グスタフ殿」


 中肉中背の黒髪黒目。右手に白き炎を宿した烏帽子えぼしに狩衣姿の中年男性――芦屋つよしが外国人男性――グスタフ・フリードリッヒを守るように立っていた。


 左手にはお札を持っていた。 


 影に隠れていた冥土ギズィアが思わずスマホを取り出し、写真を撮ってしまうくらいには芦屋剛は陰陽師だった。

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