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二十四話 母さんっ!

 騒動から四日目。祝日の今日、残暑が照りつける太陽の下、直樹とティーガンは街中を歩いていた。


 直樹は白シャツと黒ズボン姿で、ティーガンはその幼い容姿に似合わない双丘をゴスロリ服で隠しながら、日傘を差していた。


 と、近くの電気屋が海外のニュースを映していた。けれど、そこには先日のことなど一つも流れていなかった。


 突如真昼間に現れた赤い月と夜空。話題にならないはずがない。


 なのに、世間はそこまで騒いでいなかった。ちょっとした異常現象が起きた的にしか騒がられなかったのだ。


 しかも海外にあるはずの魔術機関等々も接触してこなかった。強大な時の力や虚空の力等々の波動を感じたはずなのにだ。


 理由は。


「つまり、吸血鬼ヴァンパイアを直接目にしない限り、吸血鬼ヴァンパイアが起こした現象に対して認識しづらくなるということか?」

「そうじゃ。ついでに鏡にも映らんぞ」


 ティーガンが八百年前にかけた呪いによって、吸血鬼ヴァンパイアが関わることが認識されづらくなっていたのだ。


 もし魔術機関等々が強い力を感知しても、吸血鬼ヴァンパイアにまでたどり着けないらしい。


(……どこまで通用するかだな。さすがにティーガンレベルの力を持ってる相手に認識阻害など意味は為さないだろうし……)


 そう考えながら、直樹は日傘をクルリと回しているティーガンを見やった。


「……そっちの状況は?」

「順調じゃ。事後処理も進んでおる。呪いによる認識阻害でカバーできぬところは、金と政治で処理しておるしの」

「政治?」

「うむ。千年以上こっちで活動しておるからの。それなりに伝手はあるんじゃ。資金もじゃ」

「へぇー」


 直樹はぼへぇーと頷く。


「そっちはどうなんじゃ? あのショウとやらもじゃが、お主らは幻想機関の者ではないのじゃろう?」

「まぁな。白桃たちに関しても神和ぎ社――幻想機関だったか? そっちからの接触はないらしいし、俺たちもない。といっても今は調査中なんだがな」

「そうか」


 直樹たちはティーガンとウィオリナ、あとバーレン相手に素性を明かした。幸い朝焼けの灰アブギとは殆ど接触していなかったため、大人数に素性を知られないと判断したのだ。


 ティーガンは一瞬安堵の表情を浮かべた後、ポツリと語り始める。


「……たぶん、気づいていたんじゃ。なのに見ないようにしておった」

「クロノアとプロクルのことか?」

「そうじゃ。思い返せばの」


 ティーガンは後悔した面持ちとなった。


「……一度クロノアの口から聞いてしまったら、拒否できなかった。じゃから、無意識に避けておった。今思えば愚策じゃな」

「そうか? ここまで引き延ばせたと思えば良策だと思うぞ」

「違うのじゃ。それでも話し合うべきじゃったんじゃ。心から言葉をぶつけ合うべきじゃった」

「……これからすればいい。『人』としてな」


 優しく呟かれた直樹の言葉に、ティーガンは首を横に振った。


「妾はよい。とがじゃ」

「……クロノアに対してか?」

「いや。ここ千年間に対してじゃ」


 そう言ったクロノアは片手を血に包んだ。すると、ティーガンの片手の上には古びたアンティークの小さな木箱があった。収納用の血界から取り出したのだ。


「それは?」

「今まで封印した吸血鬼ヴァンパイアの全てじゃ」

「……そういえば、何故封印なんだ? いや、血闘封術師ヴァンパイアハンターが封印を使うのは分かる。消滅させるのが骨だろうしな。だがお前は違う」

「鋭いのぅ……」


 ティーガンは人差し指を血の触手に変え、木箱の鍵穴に入れる。解錠し、木箱の蓋を開く。


にえじゃ。クロノアを『人』にするためのな」

「……殺すのか?」

「いや、コヤツらも『人』にするんじゃ。吸血鬼ヴァンパイアとしての力を贄に捧げての」

「可能なのか?」

「うむ。以前、クロノアを『人』にするのに失敗したことがあっての。その時に何が足りないかを確信したんじゃ。まぁ予想はしておったから、最初から封印計画で進めておったのだがの」

「そうか」


 ティーガンはパタリと蓋を閉じる。それから人差し指の血の触手で施錠する。そして再び血に包んで収納専用の血界にしまった。


「殺すことは簡単じゃ。妾の生命に干渉する力を使えばの。たぶん、百年近くで終わっておった」

「だが、それをすればお前は無事ではないだろ?」

「そうじゃな。じゃが命惜しさに千年以上のも犠牲を払ってきたのは事実じゃ。それにそれだけの間、殺すこともせず吸血鬼ヴァンパイアを牢獄に閉じ込めておったしの」


 ティーガンは悲しそうに、されど美しく微笑んだ。


「責任じゃ。逃げるのは妾の矜持が許さん」

「……そうか」


 直樹は目を細めながら頷いた。


 ティーガンはそんな直樹を見た後、それに、と呟き、前を見た。


「妾にはほかにも咎があるからの」


 そこには杏がいた。雪や大輔、ウィオリナもいた。そこは病院の前だった。



 Φ



「本当に、本当にすまぬ」

「……顔を上げてください」


 とある病室。ピコンピコンと電子音が響き、黒髪の女性――百目鬼芽衣がベッドに寝かされていた。


 つまり、ここは芽衣がもともといた病室だ。一日なら兎も角、数日芽衣がいないことを神和ぎ社に偽装するのは難しかったので、元も戻したのだ。


 そんな病室でティーガンは杏に頭を下げていた。杏は困ったように眉を八の字にしていた。


「ティーガンさん、本当に頭を上げてください。ティーガンさんに頭を下げさせたなんて母さんに知られたら、怒られてしまいます」

「お主を傷つけたのだから、怒られるのは妾じゃな」

「仕方なかったことです」

「仕方ないですましてはならぬ」


 あくまで下げた頭を上げないつもりか。一向に頭を上げない杏は、チラリと大輔を見る。大輔は肩を竦める。


「……はぁ。分かりました。受け取ります。受け取りますから、顔を上げてください。アタシを困らせないでください」

「……すまぬ」

「謝らないでください」

「……ありがとうなのじゃ」


 ティーガンはゆっくりと顔を上げた。だから、次は杏が頭を下げる。


「母さんの命を救ってくれて本当にありがとうございます」

「なっ、お、お主っ。頭を上げるのじゃっ!」


 ティーガンは慌てふためく。


「お主に頭を下げられては困るっ! それにメイの命を助けるのは当然じゃっ! 妾の大切な親友じゃぞっ!」

「けれどです。ティーガンさんが魂を現世につなぎとめてくれなかったら、母さんは死んでいました」


 そう。ティーガンは芽衣の友であり、器を失った魂魄の拡散を防ぎ地上にとどめ、肉体の死の偽装をしていたのだ。


 幼少期の芽衣はイギリスのとあるアパートに住んでいた。


 その際、ティーガンは一人暮らしに憧れており、血界から無理やり這い出てこようとする吸血鬼ヴァンパイアの動きも落ち着いていたため、そのアパートに隣人として引っ越してきたのだ。


 芽衣とティーガンは直ぐに仲良くなった。


 そして、それは数十年も続いた。


 最初、ティーガンは直ぐに縁が切れるだろうと思っていた。なんせティーガンは不老だ。成長しない体は目立つ。それに真っ白の肌や鮮血の瞳もある。


 だが、ティーガンの予想に反して芽衣はティーガンと縁を切ることなく、むしろそれ以上にティーガンと接するようになった。親友になった。


 成長し、日本に帰った後もティーガンに手紙を送り続けた。大人になり、ティーガンに会いに行ったりもした。逆にティーガンが会いに来たこともある。


 芽衣は鈍くない。むしろ、杏の母親であるからして、とても鋭い。一向に老いることもなく変わらぬ姿を保ち続けるティーガンの不思議には気が付いていた。


 けれど、それを些細なこととして切り捨て、一人の親友としてティーガンと接し続けた。


 だから、ティーガンは芽衣を好いていた。大切に思っていた。


 それこそ、こっそり寿命以外で芽衣が死なない様な施しをするほどには。


 その施しは本当に簡易なもので、ティーガンが治療に行くまでの間、一時的に命を取り留めるようなものだった。


 けれど、四年前。交通事故にあい、ほぼ即死状態だった芽衣を治療することはできなかった。すでにティーガンは血界を出られなかったのだ。


 さすがのティーガンでも、血界に籠りながら芽衣の蘇生はできない。できたのは、施しを無理やり拡大して、魂魄の固定と肉体の腐敗防止、そして死の偽装をするだけだった。


「ウィオリナからも事情は聞きました。吸血鬼ヴァンパイアに狙われた母さんを助けるために、弱体化した身で囮になったと」

「それは違う! 妾が原因でめ――」

「違います。ティーガンさん。悪いのは吸血鬼ヴァンパイア――あの、デジールであってティーガンさんではありません」


 クロノアの力を奪ったはいいものの、天敵であるティーガンの行方を一向に掴めなかったデジールは芽衣を人質にしようとした。どうやって芽衣の存在を知り得たからは分からないが、そのために日本に吸血鬼ヴァンパイアを派遣した。


 それに気が付いたティーガンは自ら囮となって吸血鬼ヴァンパイアたちの意識を引いた。


 その間にウィオリナに芽衣の保護を頼んだのだ。


 杏が下げていた頭をゆっくりと上げる。ティーガンを見つめる。


「ティーガンさん、本当に感謝しているんです」


 杏は周りを見渡した。芽衣を見た。


「ハッピーエンド。アタシは大して役に立ちませんでしたが、それでも最良の今があるんです。だから、謝らないでください。自分を責めないでください」

「……そうじゃな」


 ティーガンは杏の言葉に微笑んだ。それから、杏の手を取り、


「じゃが、傷つけたのは事実。故に誓う。妾はお主の味方と。いつだって、どんな時だって、味方になると」


 手の甲にキスをした。杏は一瞬驚いたものの、仕方ないと頷く。


「……はぁ、分かりました」

「それと、呼び捨てでよい。ため口もじゃ」

「……分かりま――分かった」


 杏は困ったように頬をかき、そんな杏をティーガンは懐かしそうに見つめた。杏の仕草が芽衣にそっくりだったから。


 と。


「ようやく終わったな。じゃあ、さっさと蘇生を開始するぞ」

「だよね。せっかく蘇生用幻想具アイテムも作ったんだし」


 直樹と大輔が雰囲気をぶち壊しながら、肩を回す。そんな二人を雪とウィオリナが諫める。


「こら、直樹さん。情緒がないですよ」

「そうです。ユキさんのいう通りです、ダイスケさん」

「はいはい、分かった」

「分かったよ」


 直樹と大輔は手をぶらぶらと振りながら、ベッドで横たわっている芽衣に手をかざす。


「おい、ティーガン。さっさと始めるぞ」

「……分かったのじゃ」


 ティーガンは一度杏を見やった後、直樹たちと同様に芽衣に片手をかざす。


 そして……


「………………あ……ん?」

「ッ。母さんっ!」


 芽衣の蘇生は成り、杏が飛び込んだ。

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