密封されたはずの血の繭の中から、悍ましい絶叫が響き渡る。
「デジール゛ザマ゛ァァァァァァァッッッッッッ」
「しつこい女は嫌われるぞっ!」
「直樹さんは私を嫌ってるんですかっ!?」
「軽口叩いている時かえっ?」
這いつくばり息絶え
しかしどんなに足に力を入れ立とうとしても、立てない。肉体はすでに限界を超えていたのだ。気力だけではどうにもならないのだ。
と、タイミングが悪い。クロノアが目を覚ます。
「ぅん……ここは」
「デジ……ル゛ザマ゛……にハン……ガッァァゥ」
それと同時にリシカは、永遠の血の繭から四肢を這い出す。
悍ましい。
この一言に尽きる程、人の
瞬間。
「ジゴ……マ゛……イ゛に……ハンエイ……ヲ゛ッッ!」
ギギギッと、もう失ったはずの片翼の
つまり。
「……ぁ」
転移。そう錯覚する程の一瞬でクロノアに接近する。
自らとその周囲の時間を加速させる事により、世界より早く流れる時を生きる。直樹たちにとってそれは瞬く一時であるが、リシカにとっては数百年にも近い時。
その加速された数百年の時の中で、亀よりも遅々とした速さでクロノアに接近したのだ。
だが、どっちにしろそれはリシカにとってであり、直樹たちにとっては転移と変わりない。
『何か』となり果てたリシカは、どす黒い血を渦巻かせ、クロノアを取り込む。喰らう。そのまま血の渦を周囲に作り出し、空間を歪める。
「チィッ!」
「届いてッ!」
「クロノアッッ!」
直樹たちは慟哭にも似た叫びを上げるっ!
直樹は鋼糸を、雪は桜の花弁一枚を、ティーガンは血に変え伸長させた人差し指を、血の渦に触れさせる。
よって。
「うっわ、厄介なの連れてきたね」
「雪っ!?」
「ティーガン様っ!?」
大輔たちと合流する。
朦朧とした意識の直樹たちは空中に放り出される。着地態勢をとることもできず、あわや地面に激突するかと思いきや。
「大丈夫ですか?」
「ぁ、ありがとう……
「感謝するのじゃ」
では直樹?
「イ゛ダッ!?」
地面に叩きつけられた。カハッと血反吐を吐き、泡を吹く。
だが、ここで終わらないのが
意識を保っているのが奇跡と言えるほどの雪とティーガンをゆっくり地面寝かせた
「さて
「ァッ! ちょ、マジでっ、なんでっ!? し、死ぬっ! っつか、あれが見えてないのかっ!?」
血反吐を吐いた直樹は、グリグリと片足で腹を押しつぶす
だが、大輔はそれを阻止しない。阻止できないのだ。
何故なら。
「把握しております。馬鹿で阿保な
下手に手を出せば、ここら一帯のみならず、イギリス全土、いや地球の半分近くの時の流れが歪み、加速したり、巻き戻されたりする。
つまり、危機的状況だ。
「分かってるんなら、足をどけろやっ! っつか回復してくれ!」
「嫌です。
「………………へ?」
直樹は思わず呆ける。マジマジと
「え?」
そしてもう一度直樹は呆ける。
それが気に入らなかったのか、
「死して償いな――」
「
が、
フラフラしている雪を支えた
「……はぁ、分かりました」
「ありがとうございます」
おや? ここにも百合の花が?
そんなどうでも良いことを考えるくらいには、珍妙な物を見た直樹は、血反吐を吐きながらゆっくり立ち上がる。
実のところ、
と、苦笑しながら大輔が直樹に回復薬が入った試験管を直樹に渡す。
「はい、これ」
「俺もあっちがいいんだが」
「無理でしょ?
「……分かってる」
試験管をあおる。すると、死人のように真っ青だった顔色が良くなり始めた。それでも多少マシであって、立っているのがやっとだが。
「なぁ、確認なんだが、どのレベルだ?」
「イザベラやヘレナさんレベル。因みに杏も何故かそこに入ってる」
大輔と直樹は5であり、また異世界での仲間や大輔たちの家族は4だ。それは絶対であり変更はない。その他諸々のレベルに関しては、大輔と直樹の命令や
ここで重要なのは、大輔たちが強固な
なのに、何故か雪や杏がそこに入っている。大輔も直樹も命令していないのに。
だからこそ、直樹は思わず呆けたのだ。
「……名前? っつか呼び捨て?」
「まぁ色々あってね」
「どっちにしろ、今の気分は?」
「天まで聳え立つ外壁を建てられた気分だ」
「まぁ直樹って
「うるさい。……っつか、お前はどうなんだ?」
「僕? 僕は問題ないね。イザベラ一筋だし」
「俺もだっ」
そんな会話をしている間に、クロノアとデジールを取り込んだ『何か』のリシカは、蠢いていく。
周囲に血の歯車を投影しては、壊れたが如くギギギと廻し、そして消える。
それを何度も何度も何度も繰り返し、容を変えていく。
「現状は?」
「まだ駄目。少しでも刺激を与えたら、即暴発」
「そうか」
少し回復した大輔は、“天心眼”等々で『何か』のリシカを調べていく。それらの情報を共有された
「目標は?」
「時の核らしき物が見えるか?」
「見えるね」
「クロノアっていう始祖だ。始祖は分かるか?」
「まぁ。で、彼女を隔離すればいいの?」
「そうだ。あとはあれの抹消だな」
「隔離は……問題なさそうだけど、抹消はちょっと」
「だろうな」
安定化に向かっている『何か』のリシカを解析した大輔が、今の彼我を確認してそう結論付けた。
それに異論がない直樹は、だがそれでも溜息を吐きながらガシガシと頭を掻く。
「はげるよ」
「生やす。っつか、何か案は?」
「どうにでもなれって感じだよ。タイミングが悪すぎる」
「だな。[極越]使ってなければ、もう少しやりようがあったんだが……」
建設的な話し合いも出来ず、そうこうしている内に。
「ガァァァァァァァァァッッッッッ!!!!!」
『何か』と成り果てたリシカが安定した。
それは宙を浮くどす黒い血の塊だ。
節々から血の歯車が連なった触手を伸ばし、蠢かす。顔と
『何か』のリシカがいる上部の空は、一瞬一瞬の間に夜になったり昼になったりしている。奇怪だ。
そんな存在を見上げた大輔は、おもむろに右手のイーラ・グロブスを上げ、引金を引く。
が、『何か』のリシカにたどり着く前にホロホロと崩壊していき、
「朽ちる、か」
「だね。防衛したというより、そもそも加速した時間を纏っている感じかな?」
さて、どうしようか。
落ち着いた会話の裏で二人が必死に思考を巡らせていたその瞬間。
「封印っ、ですわっ!」
「ガァァァッッ!」
突如現れた巨大なダイヤモンドが、『何か』のリシカを押しつぶそうとする。『何か』のリシカは、それに抗う。
ダイヤモンドの周囲に血の歯車が浮き、高速で回転していく。それでものダイヤモンドは、その血の歯車を吸収していく。
その
「降り注げっ、〝ウォーターサンダー〟ッ!」
「虚在。隔離」
百にも昇る雷を纏った水弾が現れる。それは鮮血の光を纏い、半透明となる。雷が迸っているのに、音が聞こえず、まるでこことは別の場所にあるかのようで。
そんな雷を纏った水弾が掃射される。
それと同時に、大輔たちの上部に空間を断絶された結界が作り出され、『何か』のリシカと別けられる。
と。
「顕在」
「ィィイ゛イ゛イ゛ア゛ア゛ア゛ッッッ!!!」
半透明だった水弾が時の防衛を突破した瞬間、実体化する。雷を迸らせ、空気を
穿てるのだ。時の流れが異常な『何か』のリシカに攻撃が当たるのだ。そして蠢く血の歯車の触手を消滅させる。
心胆を寒からしめるその叫びが響き渡る中、小さなつぶやきが聞こえる。
「……闇の鎖よ。彼の者に楔を」
「ッッッッッッッッッ!!!」
臙脂色の巨大な鎖が、ダイヤモンドごと『何か』のリシカを縛り付ける。絶叫すら上げられず、声にならない焦りが反響した。
そんな中。
「では、存分に使ってくださいましっ!」
「受け取ってくださいぃ」
「……ん」
浮遊する三人の覚醒姿魔法少女、ジュエリー――
受け取るのは。
「無理なお願いに答えて下さり、本当に感謝いたします」
白髪の初老
五十年前から力の殆どをその虚空に移して存在を偽装し、普通の
その試験管の中には、『魔法少女』である望たちの血が入っており、つまりプロクルの力が過剰なまでに横溢する。鮮血の極光が天を貫く。『何か』のリシカに匹敵するほどの力。
同時に、望たちを空間断絶の結界で隔離する。自分と『何か』のリシカを空間断絶の結界で閉じ込めたのだ。
そして、五十年前から虚空に溜め続けて血力と望たちから受け取った血力の全てを『何か』のリシカに突き付ける。
瞬間。
「!!!!!」
どんなに叫んでも響かない。存在が唸らない。
つまり、全てが
静かにプラズマが迸り、全ての存在を否定し、無へと還す虚空が『何か』のリシカを包み込む。
時の力と拮抗しているためか、それでも『何か』のリシカが消失することはない。
が、それもいつまで持つか。それほどまでの力がそこにはあるのだ。
「チッ」
「厄介な」
怒涛の展開に息を飲んでいた大輔たちは、けれどプロクルの、いやクロノアの意図を読み取る。
その時には、ウィオリナや
「駄目じゃっ、プロクルっ! お主が死ぬぞっ! それにクロノアが――」
「全て承知しています。それが願いなのです」
「……ぇ」
ティーガンが喘ぐ。まるでそれが当たるなと願うように。まるでそれを絶望を知ってしまったかのように。
それとは、予定。決められた未来。
数百年間溜めた力を消費して未来を見たクロノアが立てた
何故、そんな
それは辛かったからだ。
最初、クロノアは他の始祖と同じく『人』になる事を望んでいた。けど、数百年の時を重ねるごとに自分の為に『人』にならないプロクルやティーガンへ申し訳なさが募っていた。
それに幾度か
だが、決定的だったのは四百年前。
その日、ティーガンが全力を
それは、まだいい。それはまだ耐えられた。
だが、その時の反動でティーガンが『人』に成れなくなったのだ。
目の前が真っ暗になった。かける言葉すら見当たらず、ただただ申し訳なさと自身への怒りがクロノアを押しつぶした。『人』になりたい。一番最初にそう言ったのはティーガンで、一番それを望んでいたのを知っていたから。
なのに、ティーガンはクロノアを責めることなく、謝ったのだ。『人』にできず、すまないと。そして次こそは、『人』にしてみせると。
たぶん本気でそう思っていたのだ。一ミリもクロノアを怨まなかったのだ。
その優しさに、強さに、辛くなったのだ。自分なんかのせいで、そんな優しさと強さをもったティーガンに『人』に成れない呪いをかけてしまったのだと。
その時から、クロノアは決意した。もう『人』になることは望まないと。そんな事よりも自分がいなくなることを望んだ。そのための行動を開始した。
それがティーガンとプロクルの為になると。
幸か不幸か、それはクロノアの為にここまで
そしてプロクルは、クロノアの意思を尊重した。それどころか、自らも一緒に消滅すると言い放った。
プロクルは思っていたのだ。自分に『人』となって死ぬ資格があるのか、と。役立たずで、ティーガンにだけ全てを押し付けたきた自分が。
だから。
「さようなら、ティーガン。そしてごめんなさい」
「……ぇ。ぁ。クロ……プロ……ぁ」
プロクルが虚空に包み込まれようとする。自らを虚空へと変え、抵抗している『何か』のリシカを飲み込もうとしているのだ。
ティーガンが届かない何かを掴むように手を伸ばす。けれど途中であきらめた。
直樹たちは悪態を吐く。
「ったく、最初から踊らされたってわけか。……チッ」
「だろうね。どれだけ先を視たかは知らないけど。勝手に人を巻き込んでおいて、はいさようならって。自分勝手すぎるよね」
「だな。大体、ティーガンの反動も人の件もどうにかできるんだから。……まぁあいつらが来るまで待つ必要はあるが」
「反動? 人? どういう――……あっ! 良いこと思いついた」
「……ちょっと待て」ポンッと手を打ち、
だが、無視。
「ねぇ、白桃さん、杏。どれくらい魔力ある?」
「え、ええっと≪想伝≫一回分です」
「≪白焔≫十発分だな」
雪は戸惑いながら返事を返し、杏は消費魔力ほぼ零で発動していた弱い≪直観≫もあり、躊躇いなく答えた。それが、今後に繋がると信頼して。
すると、大輔はニヤリと笑い、問いかける。
「じゃあさ、ムカつく?」
その瞬間、意識を失う程強い疲労感に耐えていた雪が食らいつくように答える。
「当たり前ですっ! こんなの悲しすぎますっ!」
「アタシもだ」
「うん、だよね」
と、食らいつくように答えたためか、雪がフラリと倒れ込む。杏が直ぐに抱きとめる。
そんな様子を見て一瞬迷ったが、大輔は大丈夫かと頷き、直樹を見やった。直樹は顔を顰めつつも一応尋ねる。
「……何をすればいいんだ?」
「魔力ほとんどないでしょ? だからあの空間エネルギーを一点に流れるようにするだけでいいよ」
「だからの意味が分からないんだが。めちゃくちゃハードなんだが。っというか、やっぱり嫌なよか――」
疲れ切って役に立たない肉体と精神が、されど鳴らす警鐘に従って、大輔を止めようとしたが。
「
「あ、お前っ!?」
「じゃあ、杏、白桃さん。合図したら僕に魔力を注いで」
「ああ」
「はい」
“収納庫”を発動し、手元を金茶色に輝かせながら、大輔が叫ぶ。
「直樹っ!」
「ああ、もうしょうがねぇなっ! 俺はやめろって言ったからなっ!」
やけくそだ。そう言わんばかりに、直樹は“空転眼”を発動。真っ黒の瞳から血を流しながら、それでも渦巻く虚空のエネルギーを転移門に集中させる。
プラズマを発生させていた全てを無に還すエネルギーが流れを持ち、転移門へと流れていく。
「今だよっ!」
「ああっ!」
「はいっ!」
杏と雪。二人の魔力を受け取った大輔は気力をふり絞り、魔力一滴すら残さず手に持つそれに注ぐ。
それを転移門に向かって投擲する。
そして。
「
転移門を通り抜けたそれは、集められた虚空エネルギーを吸いつくしていく。
金茶色に渦巻き、やがて晴れる。
「チッ、やっぱりかよ」
直樹がそれを見て悪態を吐く。
そこにあったのは、片開きの扉。
木製で簡素な扉は、されど強い存在感を放つ。上部の窪みにはオムニス・プラエセンスがはめ込まれ、
そして何より、目を引くのが静謐で透明に輝く水晶の
中央に鍵穴があるそれは、
異世界だろうが、過去未来だろうが、あらゆる場所と繋ぐ扉を作り出す
皆無、絶無、虚無……。
「仕上げだよっ!」
“天心眼”、“黒華眼”、“星泉眼”。全力発動っ!
血涙を流しながら、ニィィッと嗤った大輔は“収納庫”から取り出したもう一つのそれ――転門鍵を投擲する。
拓道の扉柄の鍵穴に挿すッ! 明確なイメージと強い意志のもと、遠隔操作で転門鍵を捻るッ!
「開けゴマっ、てね」
ガチャコン。
そう音が鳴り響くと共に、扉が金茶色に輝きながら開く。
晴れる。
そして、
「っと。で、どこだここ? ……っというか、あっ!」
扉から現れた現れ、地面に着地した青年は、
「久しぶり、大輔と直樹。うん、つまりどういうことだ? ここ地球なのか? でもなんか変な――」
「汚物は消えろっ!」
「穢れるっ!」
大輔たちの仲間で勇者の八神翔であり、
「ぶべっ」
全裸だった。
全裸だったのだ!
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公開可能情報
静謐で透明に輝く水晶で作られた握り玉であり、中央に鍵穴が空いている。空中に挿す事により、片開きの木製の扉を作る。また、その扉の上部にはオムニス・プラエセンスをはめる窪みがあり、縁には時空自体を安定させる幾何学模様の術式が彫られている。
基本的に、拓道の扉柄を捻るだけでも扉は開くのだが、転門鍵を鍵穴に挿して捻ることにより、消費魔力の軽減やイメージ補助を行う。
何処につなげるかという明確なイメージと強い意志がないと安定的に扉を開くことができず、また非常に膨大なエネルギーを使う。それこそ地球の半分を崩壊させる時間エネルギーを無に還そうとした虚空エネルギーを全て消費するほど。それでも安定的に扉を開くことはできず、万が一の賭けにも近かった。
ちなみに、拓道の扉柄が作り出す扉にはいくつか候補があり、その中に地獄の門があった。が、縁の彫刻が面倒という理由で却下された。