それは直樹と雪がティーガンから
「……一つ聞いておくぞ」
「うむ、よいぞ」
ホテルの一室のベッドの上でもっさもっさと食料を胃に収め、ゴクゴクゴクと甘すぎる缶コーヒーを飲みながら、直樹は鋭く尋ねる。
「なんで生きてるんだ?」
「ちょ、直樹さん。まるで死んでなきゃおかしいなんて言い方は……」
「ユキ、大丈夫じゃ」
ティーガンは直樹を
「お前たち始祖がこっちに来てから、
「うむ、その通りじゃ」
ティーガンは
「何故お前と、あと二人の始祖は『人』にならなかった? 何故、
それを聞いて雪は直樹の最初の質問の意図が分かった。だが、やはりその尋ね方はないだろう、と思う。
「直樹さん、もう少し柔らかな質問はできないんですか?」
思って、それを口に出せる雪は豪胆というか、なんというか……もちろんそれを自覚しているから厄介なのだろう。
「できないな」
「なら、これからしてください。会話は大切です」
「……善処する」
大きく可愛らしい黒い瞳に見つめられ、ここで言い争っても平行線だと思った直樹は、絶対にしないだろ、という返事を返す。
雪もそれが分かっていたが、流石にこれ以上会話を逸らすのは駄目だと感じ、一度引き下がった。
「で?」
「……そうじゃな、まず、
「お前が?」
「うむ。妾は生命に干渉する力を持つ。生物の生殺はもちろん、このように自らの体を変成することが可能じゃ」
そう言いながら、ティーガンは右手を血に包んだかと思うと、いつの間にか人の手ではなく猫の手になっていた。
「じゃが、この力が使えるのは妾が
「つまり、お前が『人』になるのは最後だと? あと残り二人の始祖が『人』になれば、お前は『人』になるのか?」
「うむ……と頷きたいところじゃが、それはじゃった、というべきかの」
「だった? どういうことですか?」
ティーガンの猫の手をニギニギしていた雪が首を傾げる。その黒の瞳には、少しだけ悲しそうな色があった。それでも憐れみはなかった。
「ユキ、お主は変なところで察しがよいの。うむ、その通りじゃ。妾は『人』になれなくなってしまったんじゃよ」
それは異世界に移動するという大それた事をしてまで成し遂げたかった願いが、叶えられなくなったという事。
それは想像もつかないほどの絶望だったはずなのに、ティーガンは平然としていた。凛としていて、ユキに微笑む。
その微笑みは、幼さがある容姿とは似ても似つかない年数を感じた。そんな凄みのような雰囲気を湛えながら、ティーガンは直樹を見やる。
「今、現存している始祖は妾を含めて三人、プロクルとクロノアじゃ」
「クロノア? 最強とかどうとか言っていたが……」
「うむ。始祖は世界の根幹に干渉する力を持つと言ったじゃろ? 妾は生命。プロクルは隔たりと虚。そしてクロノアは時、じゃ」
それを聞いて直樹は、厄介だな……と頷いた。
「時間が固定、もしくは巻き戻しか。『人』にしても、
「察しが――いや、前にそのような存在にあった事があるのかえ?」
「まぁな。といっても、時というよりは世界そのものに固定されてるっていうのが本質だから、時より強いな」
「ふむ」
ティーガンは
「クロノアは自身の
「ティーガンさん……」
雪が思わず息を飲む。とても強く切ない想いがそこには込められていたから。自身を
けれど直樹はそれを無視して、
「で、それがお前が『人』に成れない理由となんの――」
矢継ぎ早に尋ねようとした瞬間。
「白桃っ、お面を付けろっ」
「雪って呼んでくださいっ! それとデザインの変更を要求しますっ!」
「はぁっ? それ、カッコいいだろっ! ってか、お前は白桃だっ。名前は呼ばねぇっ!」
「そんな事言っておる場合かっ!」
スチャッとそれぞれのお面を付けた直樹と雪が、緊張感のないことを言い合いながらベッドから飛び退く。
ティーガンが日傘を開く。日傘を持つ手が血流へと変わり、日傘を伝って噴き出す。血の壁を作り出す。
ガキンっと音が響いた瞬間、部屋全体に衝撃波が舞い、ベッドや椅子、机は
「チッ。弱っていても超克者。簡単に拘束できねぇか」
「小童如きが妾をどうにかしようなど、千年早いわっ。もっといい男になってから出直してくるんじゃな」
血の壁がパキパキと音を立てて割れる。そこから見えたのは、病的なまでに肌が白く犬歯が伸び、鮮血の瞳を持つ緑髪の青年。
つまり
「さっき言ってた血界だなっ? 歪みをほぼ無しで転移って卑怯だぞっ! おかげで阻害できなかったじゃねぇかっ!」
「直樹さんっ、その前に外にっ。ここだとホテルがもちませんっ!」
「わーってる。ティーガンっ!」
「うむっ、こっちじゃっ」
狭い室内で戦うのは不利だと判断したティーガンは、ガラスが割れた窓から外に出る。直樹たちもそれに続く。
ティーガンの背中からバサリっと黒の翼が生える。飛翔する。
直樹も足元に作り出した漆黒の障壁を蹴り、空中を駆けようとして気が付く。そういえば、雪は覚醒姿を取らないと――
「おい、しらも――」
「大丈夫です。覚醒しなくても空中くらい走れます」
と思ったのだが、雪は普通に空中を走っていた。靴の裏に桜を渦巻かせ、それを足場に走っていたのだ。
直樹は思わずビックリする。
「はっ? おい、白桃、それどうやってやったっ!? それ、エフェクトだろっ? 大輔が遊び半分に付けたエフェクトじゃんっ!」
「どうやったって……教えて貰ったんです」
「はぁっ?」
黒の翼を羽ばたかせ追ってくる緑髪男
神和ぎ社とだってまだ本格的にコンタクトをとっていないはずだ。なのに教えてもらった? 誰に?
その疑問に雪は笑って答えた。ニィッと反転して、拳を後ろに引いた。
「私は想いを奪ったんですよっ!」
「ッ。おい、抑え込むだけでも精一杯だろがっ! 飲み込まれたらどうするっ! 死ぬぞっ。お前の母親や弟がかな――」
直樹が馬鹿かお前っ! と言わんばかりに叫ぶが、雪はスゥッと息を吸い込む。
「飲み込まれません! 全てを知って知って知り尽くして、ようやく祓うための一歩が踏み出せるんですっ。だからリスクがあっても、彼女たちの想いと真摯に向き合うために、常にっ! 理解して、誤解して、問い直して、解き直して――」
四六時中という言葉では片付けてはいけない。食事中であろうが、入浴中であろうが、そして就寝中であろうが。
雪は常に
そして想いを少しだけ理解できたからこそ――
「また理解するんですっ!」
雪は叫びと共に、拳に
「どうぞ、怨んで下さい。〝怨伝〟ッ!」
「ッッッッッッ! アァア”ア”ア”っ、俺は……俺は何をっ!」
飛んでいた緑髪男
「さぁ、今のうちにティーガンさんを追います」
「あ、ちょっ」
足止めができたと言わんばかりに、雪は少し離れたところを飛んでいるティーガンへと空中を駆ける。ティーガンに並ぶ。
ほけ、と目を点にしていた直樹は慌てて二人を追いかける。
「のう、今のは想起かの?」
「いえ、ただ私が知っている
だが、≪想伝≫は過去に想った想いを作り出すことはできない。そこまで便利ではない。≪想伝≫は今想ったことを伝える魔法だ。多少増幅したりはできるが、今その想いを抱かないといけない。
つまり、人外である
なのに、雪はフフッと鮮やかに微笑んだ。
ティーガンは瞠目し、左目を
「……お主の怨念かえ?」
「違います。混沌に背反する現実と想いに苦しんだ女性たちの叫びです。私はその喉を奪って自分に移植したんですよ」
「……お主は……お主は、本当に強いの」
「いいえ、違います。弱いです。弱いからここにいるんですよ。……ティーガンさんもでしょ?」
「……そうじゃな」
感慨深げのティーガンは、会話に入り損ねた直樹に視線を向ける。
「ところで、ナオキ。ユキの体が、いや種族そのものが『人』のそれとは違うのじゃが、お主かえ?」
「ああ、そうだ。色々あってな。あ、もちろん合意だぞ。
「えっ?」
雪は驚く。
別に『人』でなかったことに驚いているのではない。それは覚醒した時に受け入れていたし、軽く直樹たちから聞いていた。今更人ではないと言われても問題ない。覚悟していたし。
なのだが。
「あ、あの。ちょっと、直樹さん。少女姿の種族ってどういう事ですか?」
雪は少しだけ青ざめながら直樹に尋ねる。直樹はあれ、言ってなかったか? と首を傾げながら答える。
「そのまんまだ。死ぬまで少女姿ってことだぞ? 覚醒したときにな、
「ちょ、ちょっと待ってください」
雪が慌てる。青ざめ、胸の辺りに手を当てながら、ガクガクと震える。
「せ、成長はしないんですか?」
「ああ、未成熟なのを気にしてるのか。なら、大丈夫だぞ。大人として、女性として必要な機能はキチンと――」
「そうではなくっ、身長が伸びたりとかっ?」
「しないぞ? 言っただろ? それで登録されてると」
「……そうですか」
雪はこの世の全てに絶望したと言わんばかりに、項垂れる。今なら、心の
暗黒面に堕ちた表情で、ブツブツと「胸が小さい、このまま、小さい」と呟く雪を尻目に、ティーガンが直樹を見やる。
知りたかったのはそれではない。
「お主、もしくはお主らと言った方がいいか。反動はどうなのじゃ?」
「……なるほど、『人』に成れない理由は――」
直樹がティーガンが『人』に成れない理由に思い当たった瞬間。
「東洋の女ァッ、我に何をしたッ!?」
「思い出をプレゼントしただけですよ? どうでしたか、『人』だった時の思い出をプレゼントされて。ああ、お代はいりませんよ。私はその罪悪感に満ち溢れた顔が見れただけで結構ですので」
緑髪男
表情が抜け落ちていた雪は、けれど怒る緑髪男
「ッッッッ!」
緑髪男
それでいい。≪想伝≫で緑髪男
「あ、もう一回。プレゼントしましょうか?」
「キサマァァァッ!」
紫電では足りない。雷雲が血の巨槍纏わりつく。
そしてそれが投擲される瞬間。
「なるほど、周りに生きた血が多いほど、血界自体に揺らぎがなくなるのか」
「なっ!?」
直樹の得意とする隠形で気配姿存在感全てを隠し、背後を取ったのだ。
もちろん、それだけで万全でない直樹が背後を取れるわけではない。雪が挑発し、緑髪男
直樹が緑髪男
「直樹さん、下はっ!」
「いや、こっちでいいんだ」
雪は豪速で落ちる緑髪男
それは下が住宅街なのだ。
雪は≪想伝≫で思考を読み取り、緑髪男
だから、その悦に浸る余裕を失わせる意味でも挑発したのだ。
「クッ」
緑髪男
そんな道路には呆然と上を見上げている通行人がいて。雪は桜吹雪で止めようとするが、直樹が止める。
その瞬間。
「ガーデニングは好きかえ?」
「なっ、やめ――」
血界を利用した疑似的な短距離転移で、緑髪男
とある住宅街の庭に緑髪男
「ガァァァァッッッッッッ!」
その前に、緑髪男
そして凝縮して、卵みたいな形になった。
直樹がやっぱりな、と呟き、雪が
「……どういうことですか?」
「呪いだ」
「へ?」
「ほら、
「……あるような、ないような……」
「それが事実だった。そも俺たちに迷惑をかけないために逃げようとした奴だ。なんの考えもなしに住宅街に来ない」
そうだろ? と卵型に凝縮した赤の灰を回収したティーガンに視線を向ける。
「うむ、そうじゃ。これは妾が施した呪いじゃ」
「そして
「そうじゃ。世界の理に、一つの種の合理に反する力を行使するのじゃ。反動はあるじゃろう。むしろ、お主がユキを変成させた反動がないのが不思議でたまらんのじゃが」
直樹は手元に小さな漆黒の光を出しながら、肩をすくめる。
「それは血力と魔力の違いとしか言いようがないな。お前がやった呪いを魔力でやれば、四倍程必要になる」
「……そうじゃな。血力は本来己に干渉するのが得意なエネルギーじゃ。世界法則や他者への干渉には優れておらん」
むむむ、と雪が首を傾げる。二人の会話への理解が少しだけ追いついていないのだ。
「結局、
「うむ。じゃが、建物ではなく家じゃ。『人』が生活している敷居じゃな。庭も入る」
そう言いながら、ティーガンは卵型に凝縮した赤灰を持つ手を血液の手へと変成する。
「ガルレウェアラケラカラ。……
そして血の手から人を出し、卵型の赤灰を包み込んでいく。
「……封印か。しかも、その中だけ永久、いや停止か」
「うむ。クロノアの性質を参考に妾が編み出した封印術じゃ。
「分かった」
ティーガンは自ら作り出した血界の門に消えた。直樹も雪もそれに続いて、その門の中に入っていった。
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公開可能情報
〝怨伝〟:≪想伝≫を応用した技。
また、一口に怨みといっても、元は混沌とした存在の想い。全く同じ〝怨伝〟はなく、それ故に雪は状況状況によって想いの偏りを変える。それができるのは、雪が