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十二話 妾が貰ってもよいかのぅ

「……戻ってきてしまったのじゃな」


 起き上がったティーガンは、そう呟く。忸怩じくじたる様子で顔を歪めた後、直樹と雪を見て、息を飲む。


 下唇を強く噛みしめ手を強く握りしめ、近くに立てかけてあった日傘を手に取ると、ベッドから降りる。


「世話になったのじゃ。礼は必ずする」


 足早に部屋の扉へと向かおうとする。一刻もここから早く立ち去ろうと藻掻もがいているようだった。


 けれど雪が立ちふさがる。クークーと直樹の寝息だけが部屋に響く。


「どこに行くつもりですか?」

「どこでもよいじゃろうっ!」


 鮮血の瞳が雪を射貫く。そこをどいてくれ、と強く叫ぶ。


 雪はゆっくりと首を横に振る。


「駄目です。ティーガンさんの安全が確保できていませんし、それに顔色がとても悪いです。もっと休まなければなりません」

「……この青白い顔の事を言っているのなら、元々じゃ」


 ティーガンは大丈夫じゃ、と言いながら強引に雪の横を抜けようとする。けど、雪はティーガンの腕を掴む。


「離すのじゃっ! 妾に触れてはならぬ!」

「駄目です。ほら、憔悴しょうすいしきってる」

「じゃから――」


 一瞬フラリとよろけたティーガンはそれでも怒鳴る。離せと何度も腕を引くが、雪はティーガンの腕を離すことはない。それどころか、手際よくティーガンを拘束し、ベッドに座らせる。


 直樹を電車から無理やり降ろした膂力があったはずなのに、だ。


「お主っ、早く離すのじゃ! 妾から離れるのじゃ!」


 ティーガンはそれでも雪に怒鳴る。犬歯を剥き出しにし、瞳を艶やかに濡らしながら、それでも必死に怒鳴る。頼むから行かせてくれ。ここから離れたいっ!


「ティーガンさん、大丈夫です。落ち着いて下さい」

「やめるのじゃっ! やめるの――」


 そんなティーガンに雪は優しく微笑む。ゆっくりとティーガンを抱きしめ、背中を撫でる。


 すると。


「だめじゃ。だ……め……じゃ」


 ティーガンは雪を突き離そうとわめいているのに、わなわなと震えながら自ら雪を抱きしめてしまう。まるで己の意思に反するように体が動いているのだ。


 そして。


「あ、ああ!」

「ッ」


 雪の首筋に犬歯が立てられた。ティーガンが雪の首筋を噛んだのだ。タラリと血が首筋を通って鎖骨へ流れる。


 ティーガンは慌てて口を離そうと体を動かすが、パントマイムをしているが如く離れない。理性で体を動かせない。本能が体を乗っ取っているのだ。


 雪は一瞬だけ顔をしかめたものの、暴れるティーガンを更に強く抱きしめ、背中をゆっくり撫でる。桜のステッキを召喚し、薄桃色の光でティーガンを包む。


「大丈夫です、ティーガンさん。大丈夫、大丈夫」


 コクコクコクとティーガンが喉を鳴らす。雪の血を飲んでいるのだ。


 最初はどうにかして飲まない様に抵抗していたティーガンも、雪に背中を撫でられるたびに本能のおもむくままに血の飲んでいく。


 そうして数十秒も経つと。


「フェロ……ンク……ン……ハァ」

「……よかった」


 ティーガンは頬を真っ赤に紅潮させ、恍惚とした表情をしていた。鮮血の瞳を艶やかに流し、小さな口から垂れる血をペロリと舐める。


 艶笑えんしょうし、色香いろかを漂わせる。トリップしているようだった。雪よりも少しだけ低い身長であるからか、そのギャップに犯罪臭が漂う。


 そんなティーガンに微笑みながら、顔を青白く染めた雪はダラリとティーガンに倒れ込む。


「ッ。お、お主っ!」

「……大丈夫です。先ほど食事も取りましたし直ぐに回復します」


 我に返ったティーガンは焦る。雪をそっと抱きかかえ、ベッドに座らせる。


 本当に申し訳ないように目を伏せるティーガンの手を、雪は優しく握る。


「大丈夫です、ティーガンさん。私が私の意思でそれを選びました。分かっていましたから」

「……お主」


 ティーガンは瞠目する。


 そこにいたのは強い女性だ。温かく、それでいて凛とした微笑みをたたえる女性だった。


 覚醒した雪は、対混沌の妄執魔法外装ハンディアントを媒介にせずともある程度魔法が使える。つまり想いを聞き伝える≪想伝≫が使えるのだ。


 それでも変身していないので、超至近距離で想いを聞くことしかできないが。


 雪は知っていたのだ。ティーガンが強烈な飢餓感を抱き、直樹と雪に襲い掛かる衝動を抱いていたことを。


 そしてそれを狂気に等しい理性で抑えていたことを。


「……お主は……妾を」

「はい。けど、ティーガンさんが苦しんでいたこと知ったから。私たちのために、苦しんでいたから」


 雪は強く微笑む。


「なら助けます。確かに怒涛どとうの展開でしかも血を吸われるなんて怖いですけど、それでもティーガンさんは優しい人です。私、人の想いが分かるんですよ」

「……お主、名前は?」


 瞠目していたティーガンはゆっくりと深呼吸した後、片膝を突きベッドに座る雪を見上げる。


「白桃雪です」

「シラモモユキ。……うむ。確かに覚えた。妾はそなたの一生を守ろう。そしてそなたを永遠に連れていく。こんな妾にできるせめてのも礼じゃ」

「ふぇっ?」


 ティーガンは雪の手を取り、手の甲にキスをした。雪は驚く。


 そんな雪に気にすることなく、ティーガンはチラリと後ろを振り返った。


「そういう事じゃ。大切な伴侶を襲ってしもうて悪かった」

「いや、伴侶じゃねぇし」

「えっ!」


 ベッドに寝ていたはずの直樹がティーガンの首に血斬を突き付けていた。ベッドの上にいた直樹は幻術で、スーと消えている。


 直樹はティーガンが起きた時から起きていた。そういう風に自分を設定していたのだ。


 それからティーガンの性質を見極めるために、高度な幻術で寝ている姿を映し出し、ティーガンがおかしな行動をしたらそく首をねるつもりだった。


 正直雪の首筋に噛みついた時は首の皮一枚は斬っていたのだ。


 だが、雪の覚悟があったから。それを邪魔してはいけないと思ったから。


 どうにか我慢したのだ。


「なぬ、伴侶ではないのか。なら、妾が貰ってもよいかのぅ」

「いいんじゃねぇか?」

「はいっ!?」


 状況を飲み込めない雪は、けれど自分の肩にしなだれかかるティーガンに驚く。妖しく艶笑し、雪の体に指をわせる姿は淫靡いんびだった。


 顔を真っ赤にし、血が少なく力ない体でティーガンを引き離そうとする。


「ちょ、こ、困ります。私はな――」

「な? ほれ、『な』の続きはどうしたのじゃ?」


 ティーガンはニヤニヤと雪を見上げる。どうやら、弄ばれているようだ。


 そんな様子に微笑みながら、直樹は部屋の扉の方を見やる。


「で、どこに行くつもりだ」

「え、偽物!」


 雪にしなだれかかっていたティーガンがスーと消える。その代わり。


「は、離すのじゃっ!」

「駄目だ。たっぷりと礼を貰わねぇといけねぇからな」

「それは後で、必ず後でするっ! お主らを無事に日本に帰すっ! 妾の命に代えてもじゃっ! じゃが――」

「ここにいればまたあいつらが襲ってくると?」

「そうじゃっ!」


 [影魔]モード・グリフォンに咥えられたティーガンがいた。影の羽根がティーガンの四肢を釘付けて動けなくしている。


 ティーガンは直樹と雪を危険から遠ざけるために、こっそりこの場を離れようとしたのだ。


 けど、直樹はそれを許さない。


「ここまで巻き込んでおいて、はいさようならだと? 甘ったれるな」

「甘ったれるなぞっ! お主は知らぬのだっ! クロノアが、最強が向こうにいるのじゃっ! 逆らう術など、皆死ぬっ! お主でも死ぬっ!」


 ティーガンは叫ぶ。同時に強烈な殺気が放たれる。


 そこにいたのは、今までのティーガンとは全くもって違う存在。怖ろしいほど死を纏い、人ならざる、いや生物とは思えない存在。


 死そのもの。


 そんな存在が最強と呼ぶ存在がいるらしい。


(ふむ。死ぬっていうのも存外嘘じゃなさそうだな。今は何故か発揮できないようだが、コイツの力はたぶん混沌の妄執ロイエヘクサよりも上。あの白髪野郎も気になるし、根幹に干渉できる力を持っていると考えた方がいいな)


 衰弱している今の自分では対応できない存在がいると、直樹は推測する。


 が。


「ハンッ」


 嗤う。まるでくだらないお笑いを笑っているようだった。


 それから雪を見やった。


「それで?」


 雪の瞳と直樹の瞳が交差する。雪は、ありがとうございます、と小さく頭を下げた後、ティーガンに向き直った。


「……ティーガンさん、それでも私はティーガンさんを助けたいんです。たぶん、本当に死んでしまう足手纏いですけど、それでも助けたいんです」


 雪は黒の瞳を温かく優しい薄桃色に染めて微笑む。普通の少女ではなく、戦う力を持つ存在となる。


「……何故じゃっ。妾はお主の事を知らぬ。お主も同様じゃ。妾は見ず知らずの他人、化け物じゃっ!」

「いえ、ティーガンさんは化け物じゃありませんよ。とても辛く焦っているのに、私や直樹さんを想いやってるんですから」


 雪はフフッと微笑む。


「けど、そうですね。これは私の我儘で、ティーガンさんの想いなんて考慮してないんです。私が巻き込まれるわけではありません。私の事情にティーガンさんが巻き込まれるんです」


 雪は自らに幾つかのルールを課している。


 そのルールの最大原則となっているのが、混沌の妄執ロイエヘクサから奪った想いを祓う事。今の雪はそれを最大の目標として自らにルールを課している。


 そして想いを祓うということは、想いと真摯に向き合う事。力で強引に消すでもなく、言葉をこねくり回すのでもなく、真摯に地道にゆっくり向き合う事。


 それは不可能に近くて、自らの想いをやりくりしバランスをとる人間であるはずの雪はたぶん折れる。挫折する。


 けど、それでも諦めることはない。何度折れても、立ち上がりどんな時でも、想いを大切にする。


 だから、助けたいという想いを大切にする。その想いを行動とする。


「まぁ、けどそれでも直樹さんの力を当てにしているんですが」

「そうか? どう見ても当てにしているとは思えないんだが」

「さぁ、どうでしょうか?」


 雪はとぼける。直樹はまぁいいか、と思い、ティーガンを見る。[影魔]モード・グリフォンに命じて、ティーガンを解放する。


「という事だ。お前に拒否権はない。俺らに助けられろ」

「……じゃが」

「じゃがもくそもあるか。さっさと事情を離せ。それまで出さねぇからな」


 直樹はティーガンの首根っこを掴み、ベッドに座らせる。


 正直、直樹は鬱憤うっぷんが溜まっているのだ。


 アルビオンに行く、つまりミラとノア、ヘレナと今すぐ会える手段があるのに、それを我慢している事。


 死にそうなほど眠いのに、訳の分からない事態に巻き込まれた事。


 他にも色々とあるが、つまり憂さ晴らしをしたいだけである。ついでにミラとノアのために土産話でも作ろうかと思っているのだ。


 そんな直樹に問い詰められてもティーガンはなかなか口を割らず何度も逃げようとしたが、雪の真剣な想いを聞いてようやく口を開き始めた。



 Φ



「わたしは朝焼けの灰アブギ所属、血闘封術師ヴァンパイアハンターのウィオリナ・ウィワートゥスです。で、運転しているのが――」

「バーレン・バークスっす」

「僕は鈴木大輔。理性的で善良的な一般人だよ」

「……百目鬼杏だ」


 自己紹介された大輔はキチンと自己紹介する。杏は端的だ。


 因みに皆英語で話している。杏は父の影響でもともと英語を聴き取ることができ、大輔が簡単に作った翻訳補助具でほぼ完璧に英語が話せるようになっている。


 大輔たちは細長の黒塗りの高級車に乗っていた。


 走るは血の世界。ウィオリナたちが使う異空間で、血界と言うらしい。空間的な収縮が施されており、つまり転移とはいかなくとも、血界を通せば短時間で長距離を移動できるそうだ。


 直樹からおかしな電話がかかってきた後、大輔は冷静に判断し、行動を開始した。


 まず、望んだものの情報を別世界であろうと過去や未来であろうと視ることができる“天心眼”の技巧アーツの一つ、[界越真眼]を残り少ない魔力全てを消費して発動し、直樹と雪の居場所を把握した。


 イギリスのとある都市にいることが分かった。


 それから杏に雪の家族に電話してもらい、雪は自分の家に泊っていると説明。少し不審に思われたものの、数か月前から普通に泊りに行っていたこともあり、何とか納得してもらった。


 直樹の家族には大輔が電話した。詳しい事情は避け、いま海外にいるからちょっと迎えに行ってくるというむねを伝えた。驚いていたが、何の疑いもなく、信頼をもって迎えに行ってください、と頼まれた。


 そして冥土ギズィアに何とか魔力をかき集めるように命令し、一週間寝込む覚悟で迎えに行こうとしたとき、ウィオリナがこう提案したのだ。


『わたしたちの拠点がイギリスにあります。芽衣さんはそこで保護する予定です。説明は誠意をもって伝えます。どうか付いてきてくださいませんか?』


 もちろん怪しかったが、冥土ギズィアの助言や消耗せずに直樹を迎えにいけるとあって、幾つかの条件を付けた後、受け入れた。杏は芽衣を動かすことに抵抗していたが、大輔が全ての責任を持つと明言したことで渋々納得した。


 というよりは、甘えた。もう悪魔の囁き大輔に堕ちたのだ。


 そうして芽衣がいなくなる事への偽装と状況を掴むためにやってくるであろう神和ぎ社への偽装を施した後、大輔はウィオリナたちが用意していた車に乗り、この血界に入ったのだ。


 まぁ、それは良いとして。


「……はぁぁ」


 大輔は親指を眉間に押し当てて自分を落ち着かせようとしている。が、ついには深い溜息を吐いた後、怒気を滲ませる。


「……あのさ、冥土ギズィアにイム、黙っててくれないかな?」

創造主様マスター、私はこの愚妹に説教をしているだけです」

「……黙れって言ってるんだけど。迷惑だよね?」


 私悪くありません、という態度を取る冥土ギズィアに大輔は語気を強気して叱る。


「ああ、怒られた。上姉さまったら怒られた~」

「何言ってるんですか、この浮気娘がっ。お前が怒られたのですよ!」


 大輔が乗っている車は広い。運転席も含めて四列あって、二列目と三列目は向かい合っている。大輔が座っているのは前から三列目で、目の前の二列目にはウィオリナが座っている。バーレンは運転者だ。


 杏は後ろの四列目だ。また四列目は広く、簡易の移動式ベッドに寝かされている芽衣もいる。


 車に疎い大輔でも分かる。高級車だ。めちゃくちゃヤバいほどの高級車だ。


 けど、今はそんな事関係ない。大輔はぴくぴくと目端を動かしながら、悪魔のようにニッコリと笑い、笑ってない目で隣に座っている二人、いや二体を睨む。


「ああ、そう? あくまで黙らないつもりなんだ。なら、ちょっと分解してねじ一本足らないな~って感じにしようかな? ねぇ、いいよね? というか、一ヶ月ほど分解したままにしようか? ねぇ?」

「ひっ!」

「マ、創造主様マスター、落ち着いてください!」


 悲鳴が車内に広がる。ウィオリナたちも若干引いている。いや、ウィオリナだけ少し頬を赤くしている気がするが、気のせいだろう。たぶん、先ほどの戦闘の興奮が抜けていないのだろう。


「というかさ、イム。何ここに呼んだか分かってるよね?」

「は、はいっ。もちろんであります!」


 冥土ギズィアと同じ顔をした少女が涙目になりながら敬礼する。


 冥土の慈悲ギズィア・スファギ最終番個体ラストナンバー、イムニティだ。つまり冥土ギズィア――プー子の一番下の妹に当たるのだ。


 ならば、冥土ギズィアのような格好をしているかと思えば、そうでもない。


 確かに顔や体形は冥土ギズィアにそっくりだ。だが、それ以外が何もかも違う。


 まず服装が違う。冥土ギズィアはヴィクトリアンメイド服だが、イムニティはミニスカ和風メイド服だ。黒髪は翡翠のかんざしで纏められている。


 しかも黒ニーソではなく、白ニーソだ。


 それだけではない。


 なんというか仕草や表情が感情豊かなのだ。わちゃわちゃしているのだ。


 まったく表情を動かさない冥土ギズィアとの対比もあってか、ポンコツ感すらある。


「……はぁ」


 大輔は調子の良いイムニティに溜息を吐きつつ、チラリと後ろを見た。先ほどから全くもって杏は会話に反応しない。ずっと芽衣を見つめている。


(……はぁ、面倒だな)


 大輔はそう思いつつ、ウィオリナを見る。


「ウィオリナさん、ごめん。続きをお願い」

「分かりました」




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公開可能情報

“天心眼[界越真眼]”:技巧アーツの一つ。望んだものの情報を別世界であろうと過去や未来であろうと視ることができる。対象物のイメージの確度や物理的に、世界や時間の隔たり的にどれだけ遠いかによって消費する魔力量が変わる。


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