時は数時間前に戻る。
大輔たちと別れた雪は小走りしながら屋上へと向かっていた。すれ違う教師に少し叱られながらも、夏とはいえ夕方まで外で寝ている大輔が心配のため雪はできるだけ怒られない範囲で走る。
そうして階段を昇り、屋上へと繋がる扉の前にたどり着いた雪はゆっくり深呼吸し、髪の毛を少しだけ触り、手汗を確認する。
扉を開ける。
「あ、いた」
ちょうど日が傾き始め、遠くの空は白く、上の空は茜に染まっていた。そんな空の下で直樹はクークーと寝息を立てながら寝ていた。
雪はそんな直樹を見て小さく微笑み、駆け寄る。
そしてその寝言が聞こえた。
「……みら、のあ……へれな……あいして……る……」
「ッ」
そんな寝言を気持ちよさそうな顔をしながら呟いた直樹は、クルリと寝返りを打った。背中が雪に向けられる。
直樹たちによって完全な魔法少女として覚醒した雪の身体能力は向上している。変身時の時とはいかないが、それでもその華奢な体では考えられないほどの身体能力を持っている。
それは視力や聴力も同様だ。
だから、その直樹の寝言の一言一句を聞き逃す事はなかった。そこに込められている想いも。
「……すぅ、はぁ。すぅ、はぁ」
足を止め、暗い面持ちとなった雪はゆっくりと深呼吸をした。パンッと頬を軽く叩く。
「私は醜いんだ。欲深い。だから」
顔を上げた雪はそう呟き、可憐にギラギラと笑った。
憧れなのか、感謝なのか、それとも……。結局未だにこの気持ちには名前はついていない。ふわふわと
けど、どんなに小さくても、どんなにハッキリしなくても、心に生じた一つ一つの想いをを大切にする。
だから、少なくとも直樹の近くにいたいという想いに真摯に応え、行動する。
雪は心中でそう呟き、足を進める。直樹の近くで膝を突き、肩を揺らす。
「直樹さん、直樹さん」
「……ぅう……」
「直樹さん、起きてください、もう放課後ですよ」
「……しらももさん?」
「はい、そうです。雪って呼んで下さい」
「……」
直樹はゆっくりと起き上がる。しっかりと雪の言葉を無視しながら。雪もそう簡単に呼んでくれるとは思わないため、ニコリと微笑むだけ。
「……起こしてくれてありがと、白桃さん。それで大輔たちは?」
「鈴木さんたちは先に帰りました」
「……そうか」
直樹は立ち上がり、背伸びをする。右へ傾き、左へ傾く。ゆっくりと体を伸ばし、近くに
前髪に隠れた鋭い瞳が淡々と雪を貫く。優しい雰囲気はなく、影があった。
「……もう暗い、駅まで送る」
「何なら家に来てください。優斗のお礼もしたいですし」
雪はグイッと直樹の手を取り、自分の胸の前に引き寄せる。寝起きのためか直樹の手は少し冷たく、その感触を感じながら頭一つ分低い雪は直樹を上目遣いで見上げる。
クリクリとした可愛らしい瞳が直樹を見つめる。寝起きの直樹はうっと息に詰まりながらも、数秒後にはハッと鼻で笑った。
「いや、突然押しかけてもアレだ。それにお礼が欲しくてやったわけじゃない。つうか、俺がそんな事する理由がないだろ」
話はお終いだ、と言わんばかりに直樹は雪の手を振り払いスタスタと歩く。そんな反応は予想済み。雪は直樹の横を歩き、一歩前に出た。
可憐に笑う。
「けど、約束しましたよね?」
「……明後日。明後日なら体調も良くなってる。寝たとはいえ顔色は悪いし、大輔も今はいない。あの時あの場にいたのは俺だけじゃないしな」
直樹はそっぽを向きながら仕方なく頷いた。約束は守る。それは絶対だ。後でこっそりと約束を果たすつもりだったが、こう言われて突っぱねるのもどうかと思う。
つか、なんのつもりだ? と眠気で働かない頭を捻りながら、直樹は屋上の扉を開け、下駄箱へと移動する。
もちろん、駅まで送ると言ったので雪は置いていくことはない。雪の歩くペースに合わせながらポケットに手を突っ込み歩く。
雪は静かに直樹の横を歩く。
実を言うと、雪はとても緊張していた。直樹と一緒に下校するのはこれが初めてだったからだ。
先週も一緒に帰ろうと試行錯誤した。したのだが、異世界転移用の
校門を通り過ぎ、互いに無言で歩みを進める。直樹の真横を車が通り過ぎた時、静かに歩く雪は小さく深呼吸し、直樹に顔を向ける。
「あ、あのっ」
「……何だ?」
「そ、その直樹さんに子供がいるって、本当ですか?」
本当なのはもう分かっている。会話の糸口が欲しかっただけだ。それにそのミラとノアという子について想う直樹の表情を見たかった。
直樹は一瞬目を見張ったものの、
「ああ、いる。大切な娘と息子がな」
「そうですか」
直樹は温かかった。前髪で隠れている鋭い瞳を細め、遠くを見ていた。頬を緩ませ、柔らかな呼吸をしていた。
雪はそんな直樹の表情を見て、少し頬を赤くした。
「……どうかしたか?」
「いえ、大丈夫です……その、直樹さんのお子さんってどんな子なんですか?」
「……知りたいのか? 何故?」
「優斗に友達ができるかと思って。それに、直樹さんがそんなに優しい表情をするんです。知りたいと思うのが当然だと思います」
「……そうか」
なんかここで話すと後々面倒な……とそんな予感がしながらも、そうか、優しい表情をしていたか、と知り、直樹は頬を緩ませる。嬉しくなる。チョロい。
それからガサゴソと懐を漁り、黒いスマホを取り出した。雪はそれを見て首を傾げる。
「……それ、どこの会社のですか?」
「白桃さんはスマホに詳しいのか」
「いえ、
「へぇ」
直樹は取り出した黒のスマホを弄びながら頷いた。
「前に召喚されたって言っただろ?」
「はい。それが直樹さんたちの力のルーツだって」
「ああ。で、召喚されたのは魂魄――つまり魂だけなんだ」
常時発動している“隠密隠蔽[薄没]”の範囲を雪にまで広げながら、直樹はスマホを見せる。
「魂だけっていうことは肉体、つまりその器がないだろ? 人間、魂だけで生きる事はほぼ無理だからな。召喚した女神が肉体を創造したんだ。ついでに、召喚直前に身に着けていた服とか物とかもな」
「……けど、それだとしても既存の物じゃ……ああ、作り変えたのですか? 電気がなくて使えないから」
「そうだ。っというか、途中で一度壊れてな。復元する際に、ロゴとか大きさとか前のと同じにする必要はねぇなって。重要なのは中のデータの方だったし」
そう言いながら直樹はスマホに内蔵されている魔力で画面を操作し、とある写真を開いた。そこには二人の幼子が海をバックに砂浜に立っていた。
その幼子たちを見て雪は一瞬首を傾げた後、ゆっくりと確かめる。
「……こっちが女の子で、こっちが男の子ですか?」
「おお、よくわかったな。幼いってこともあってよく逆に思われるんだが。そうだ、女の子の方がミラで、こっちがノア。ほら、二人とも可愛いだろ?」
「ええ。……ミラちゃんとノアくん……」
雪は大切にその名前を奏でながら、もう一度ミラとノアを見た。
ミラは赤褐色と白が入り混じった癖毛を伸ばし、空色の瞳を爛々と輝かせていた。耳は尖っていて褐色肌。額に真っ白に輝く宝石が埋め込まれている。
幼いながらも少し線が太く、活発でやんちゃな雰囲気がある。ニカッと歯を見せて笑うその姿は、可愛らしい。可愛らしい容姿の男の子という印象を持つ。
ノアは
中性的で線が細く、臆病でおどおどした雰囲気がある。ちょっと濡らした瞳を上目遣いにし、遠慮がちに小さく笑うその姿は、愛くるしい。庇護欲そそるひ弱な女の子という印象を持つ。
だが、実際の性はその印象とは逆だ。初見で気が付く人間は殆どないだろう。
「年は……五歳くらいですか?」
「ああ、この時はな。今は六歳と二ヶ月だ」
よくわかるな、と感心する直樹の言葉に雪は首を捻る。
ミラもノアも見た目が大幅に違うし、額の白の宝石と頭の白の花を見れば、種族が違うのではと思う。別々の両親から生まれた子か、もしくは
けど。
「ミラちゃんとノアくんって双子ですよね?」
「……ああ、そうだ。ホント、よくわかったな」
「いえ、二人の目元や耳の形が似ているなって。それに歳を一度しか言いませんでしたし」
「……そうだな」
ホントよく気が付くな、と直樹は感心する。初めて見てそれに気が付いた人はほとんどいない。片手で数えられるほどだ。両親である勝彦や彩音も説明するまで双子とは分からなかった。
だからか、直樹はそれを口に出した。
「ミラとノアはな、エルフの女性とドワーフの男性の間に生まれた子なんだ。エルフとドワーフは異世界の種族なんだが、何となく分かるか?」
「……はい。森の種族とか、大地の種族とかですか?」
「まぁ、そんなもんだ。詳しくは違うがな」
雪の表情は一瞬にして引き締まった。緊張する。たぶん、これは大切な話だ。知り合って僅かな人に話す内容じゃない。けど、話してくれようとしている。
だから、全ての意識を集中させ傾聴する。
「記録上だとな、初めてなんだ。エルフとドワーフの間に子が生まれたことは、一度もなかったんだ」
「……それは……」
「ああ、狙われた。互いを目の敵にしているエルフやドワーフからは悪魔だ何だと殺されかけ、他の種族からは希少な目で。特に人の魔王っていう強欲な奴がいてな。コレクションが好きなくそ野郎だ」
直樹は吐き捨てるようにいった。
「父親はミラたちが生まれた直後に、エルフとドワーフから三人を守るために亡くなって、母親は人の魔王に玩具にされた」
「……はい」
「で、ここから重要だが、ミラとノアは双子であることに誇りをもってる。母親と父親の愛を大切に思ってる」
だからな、と少し悲しそうな表情を浮かべている雪に直樹は忠告した。
「今度、ミラとノアと会うときはそんな表情をしないでくれ。そんな目を向けないでくれ。ミラたちは大丈夫だって言うが、それでも悲しいと思う」
「……分かりました」
雪は直樹が伝えたかったことを聴き取った。
直樹はよく気が付いてしまう雪に釘を刺したのだ。思わず今のような表情を取らないでくれと。
けど、それは信用でもあった。優斗の友達という言葉を信じたからこそ、今後雪がミラたちと会うからこそ、それは忠告という約束だった。
それを嬉しく思う反面、少しだけ悔しいと思ってしまう自分に嫌気が差しながらも、雪は真摯に頷き、頭を下げた。
「ありがとうございます」
「ああ」
何に対してのありがとうなのか、ほんの少し捉えかねながらも、真摯には真摯と、直樹はしっかりと頷いた。
雪が顔を上げ、可憐な微笑みを直樹に向ける。
「直樹さんはいいパパなんですね」
「……ありがと」
雪の言葉が嘘偽りがない事を確証した直樹は、茶化すことなく素直にその言葉を受け取った。
「と、着いたようだな」
「……そうですね」
話し込んでいるうちにいつの間にか駅に着いており、改札を通った二人は自然と同じホームへ向かう。
雪が首をかしげる。頬は少しだけ緩んでいる。
「もしかして直樹さんってこっち方面ですか?」
「……ああ」
「じゃ、じゃあ降りる駅はっ!」
「違うな」
[影魔]モード・ダークハンドで調べていた情報から雪が降りる駅を知っていた直樹は即座に否定する。雪は何故知っているかは疑問に思わず、というか調べていたのだろうと当たりを付けつつ、項垂れた。
けど、直ぐにパッと顔を上げて直樹にグイッと顔を近づける。直樹は一歩二歩と足を進めてそれを回避する。
「あ、あの直樹さん。今日と言わず明日からも一緒に帰りませんかっ?」
「ことわ――」
「そ、そのミラちゃんとノアくんの事をもっと聞きたいですし、これからについても相談したいんですっ!」
ホームに出てスタスタと定位置へと移動する直樹の横を雪は小走りで追随する。
嫌そうに顔を歪める直樹は、けれどミラたちの事を話すのは確かにいいなと思う。大輔も
それにこれからの事とは、
魔力の殆どは異世界転移のために注ぎ込みたいから、積極的に情報を得ようとは思わない。けど受動的に情報が得られるのならばいい機会だ。
結局、ミラたちをこっちに連れてきた際に必ず接触はあるだろうし、情報はあった方がいい。なくても問題はあまりないが。
そう打算的に考え、直樹は頷いた。
「……分かった。帰宅の時だけな」
「は、はい!」
二人は同じ電車に乗った。
そして。
「助けて欲しいのじゃ!」
「……」
ドリルの紫髪と鮮血の瞳を持つゴスロリ巨乳少女に直樹は