全てが崩れ落ちた。
無機質な病室に響く
そんな事はどうでもいいっ! それよりもっ。
(ホント、真っ暗になった。冷水を浴びせられた気分だった)
久しぶりに見た芽衣の顔はとても痩せこけていた。顔への傷は奇跡的に少なく、遮るものが呼吸器以外になかったのだ。
だから鮮明に覚えている。頬が痩せこけ、目の下には隈があって、そして眉間には皺がたくさんあった。
(
もう言葉を交わすことも、想いを交わすことも、全てが無理だと知った。医者からは回復する見込みはなく、生きているのに一生目も意識も覚ますことはないと言われた。
そして経験上もって数年だと。いわゆる植物人間だ。
それを聞いた瞬間、杏は魔法に頼った。癒し治す力をもつ魔法少女がいることを知っていたから。
他の支部の魔法少女たちにも頭を下げて下げて、けど治る事はなかった。
それどころかリュッケンの記憶の回復が止まったのだ。どんなに記憶の欠片を集めて記憶を回復させる儀式をしても、回復しなかったのだ。
全てを失った。何もかも失った。
けど、それでも二人とも生きていた。過去のように想いを交わすこともできないけれど、それでも温かみがあった。
贖罪になると思った。中学一年生の彼女にとって、たぶんそれが精一杯の想いだ。むしろそう考えられただけでも、強かったのだろう。
そんな杏は、自分の傲慢、エゴだと知っていても、二人には寿命一杯まで生きてほしいと思った。そのためだったら何だってする。
だから杏はより一層魔法少女として戦った。命すら捨てる覚悟――いや、今思えばそれは逃げか。
どっちにしろ戦った。
けど。
「母さん」
ピコンピコンと心臓の動きを知らせる電子音が響く病室にたどり着いた杏は、病院のベッドで寝ているやせ細った黒髪の女性――芽衣を見た。
ギュと下唇を噛み、魔法少女姿へと変身した。
大剣の柄を両手で握りしめ。
「シッ」
そして芽衣へと振り下ろす。
……
血飛沫は上がらなかった。
寸でのところで止まったのだ。大剣の動きが。
動かなかったのだ。杏の腕が。
「ハハ。今日も……今日もできなかった」
乾いた声で苦笑いしながら、杏は大剣を粒子状へと変えて消した。魔法少女姿から制服姿へと元に戻った。
「母さん、ごめんなさい。今日も、今日も
酷く暗い表情をした杏は碧眼を落としながら、
(
酷く疲れた顔をした杏はポツリと
「母さんを殺してくれ。母さんが死んでるって教えてくれ」
杏は魔法少女として強かった。強くなれた要因の一つに、≪直観≫という意識したことに関連した予感を与える魔法が使えたのがあるだろう。
このおかげで、敵の行動や位置はもちろん、どういう風に魔法を使えばいいか、大剣を操ればいいか、そういう未来予知にも近い予感を得られた。
けど、それは過ぎた力でもあったんだと思う。
もしかしたら、もしかしたら、と芽衣が意識を取り戻す可能性が知りたくて、杏は芽衣に対して≪直観≫を使った。
そして知った。
芽衣が死んでいることを。生きていると偽装されていることを。
手を握って感じる温かみも、僅かな呼吸も、心臓の動きを知らせる電子音も全て嘘なのだ。
その時の記憶はあんまり覚えてない。
けど、魔力が尽きるまで≪直観≫を使い続けたのは覚えてる。
そうしてその≪直観≫の事実を受け止め、最初に考えたのは
けど、それは空振りだった。
なら、魔法は? ≪直観≫を持っていた杏は魔法の存在については疑問をもっていた。もしかしたら魔法少女以外に魔法を使う存在がいるのでは? と。
けど
けどっ!
そう思い、≪直観≫や
そうして苦悩する日々が続き……
≪直観≫でそう判断したのか、自分でも分からないが杏は思った。
芽衣が生かされている偽装をされているか、理屈も理由もどうだっていい。
けれど、死んでいるんだっ!
そして生き返って欲しいなんて願うのは冒涜で、それ以上に死が偽装され生きていることにされるのは、もっと冒涜だっ! 母さんに対しての侮辱だっ!
それだけは確かで、それだけは心に決めた。
だから、芽衣の首を斬り落とそうとした。どんな不可思議な力を使おうとも首が斬り落とされたという事実があれば、ちゃんと死んだことになる。
けれど。
いくら、いくら殺そうと覚悟をして大剣を握っても。振り下ろそうとしても。そんな残酷なことはできなくて……
それに縋ってしまうのだ。もしかしたら、自分の≪直観≫が間違ってるのではないかと。
だって、芽衣が死んでると知っているのは自分だけで、医者や
けど、けど≪直観≫も信じているわけで。
縋るというよりは疑心暗鬼か。
それでも生き返って欲しいとだけは願わないように、常に心を強くして……
「母さん、どこまで話したかな。ああ、そうだ。雪が佐藤の事が好きなんじゃないかってことだな」
杏は墓参りに来ているのだ。生きてはいないけど、そこにいると祈って参る。故人に近況報告をしたり……
そうしていたとき、杏は二人を思い出した。
「……ホント、アイツらは……」
けれど、だからこそ白仮面男――直樹から未知の力の存在を
生きている偽装を解除できるのではないかとっ! 首を落とさずとも、体を傷つけなくとも本当の意味で死なせる事ができるのではないかっ!
たぶん、ここ数年で一番焦っていた。
直樹に問答無用で攻撃するし、
けれど、結局、杏は諦めた。大輔や直樹に頼って真相を調べて
いや、諦めたというよりは、それは間違ってると心の底から叫んだからだ。
杏は、自分の手で芽衣を終わらせる。それにどれほど時間がかかっても、それまでずっと生きているという冒涜をし続けても、そのエゴを突き通すと決めた。
自分自身の力で真実を調べ、芽衣を殺す――そうでなくとも、頼るのではなく、二人に対して依頼、つまり神とすら思ってしまうほど強大な力をもっている二人に対価を支払えるように……
だから杏はもう動いていた。杏は自身を交渉材料として神和ぎ社へと色々と掛け合っていたし、有力な情報を集めようとした。
そうした日々の中、杏は今日も芽衣の首を落とすことはでき――せず、今日学校であった事を伝えていた。
それでよかった。
なのに。
Φ
「……で、
不可視の結界で姿を隠し、大輔を背負った
アルコールの匂いと少し嫌な匂いを感じ取った大輔は、ゆっくりと瞼を開き辺りを確認した後、
「どうしてとは、それが
「……そう。自分で歩くよ」
「そうですか」
答える気がないなと判断した大輔は、仕方ないと
病院内は暗い。明かりはついているし人の動きはあるのだが、それでも外が既に夜のため、暗く感じてしまう。それとも病院という場所のせいか。
六階近くに上がったところで大輔がうん? と首を傾げた。とある気配を感じ取ったのだ。
「百目鬼さん?」
「……そこまで回復しましたか」
「まぁ[極越]を使ったとはいえ、戦闘等々はしなかったからね。魔力以外は四割ほど回復してきたと思うよ。魔力は一割もない」
「そうですか」
「何で?」
「……それが最良になるのではと愚考したまでです」
「……やっぱり意志あるよね?」
「私は人形でございます」
ここ最近の
嘘を吐く事はできないし、自分に危害を与えようとしているなど一切思っていないし、
けど、まぁいつか話すだろう、ということで流す。一応、今すぐにでも寝てしまいそうな眠気はないが、それでも眠気はあるのだ。追及するのが面倒なのだ。
そうして階段を昇り、とある階の廊下を歩く。そしてとある病室の前で止まった。
「……じゃあ、また」
するとその病室の扉が開き、儚く微笑んだ杏が出てきた。そのまま不可視の結界で姿を隠している大輔たちの隣を通り、エレベーターへと消えていった。
それを確認した
大輔はそれについていく。
「……母親かな。海外の血はお父さんの方かな?」
「そのようですね」
そこにはやせ細った黒髪の女性が寝ていた。いや、微かに目は開いているが、反射行動を一切ない。呼吸器は付けておらず、自力で呼吸はできているらしい。それでも幾つかの機器が繋がっていて、バイタルを表示している。
「……言葉は悪いけど植物人間……かな?」
「悪い言葉なんですか?」
「確かね」
地球に帰ってきてから二ヶ月程度で調べた内容だけど、と大輔は付け加える。
「……それで
「そうですね。今ここでこの病気を治すとはいいませんが、容態を正確に把握し、どれくらいで回復するかなどなら、問題はないでしょう?」
「そうだけど」
大輔は進んで人助けはしない。大輔には力があり、その力は強大だ。だからこそ、他人の望みで人助けはしない。
そうでないとキリがないのだ。救いを求める人は世界中にいて、それに大小などない。客観的に判断することなど難しく、国を救うという願いも、母親を救ってほしいという願いも、救いの願いという観点から見れば等しい。
特に仲間や家族、友人以外の命を
だから、杏の母親を治療しない。魔法少女の件に関しては、魔法少女や
けど、誰一人個人の問題については触れなかった。触れれば、それの責任をとる必要がある。それは外部から要求される責任ではなく、大輔の矜持としての責任。一度引き受けたことは投げ出さない。
故にそう簡単に他人の願いを叶えない。例え杏の母親であっても、無償で助けることはしない。杏は知り合いであって、友人ではない。
大輔はそう思っている。
「……もう一度、聞く。どうして?」
「……情を持ちました。それだけです」
「情?
「はい」
けど。
「分かった」
そのありえないを口にしたのだ。それほどまでの理由があるのだろう、と大輔は納得し、杏の母親を視た。どれくらい回復するかだけでなく、正確に全てを。やるからには全力を。
だから、使える限りの
瞬間。
「ッッ!!」
「どうされました、
大輔が目を見開いた。驚愕の表情を晒していた。
“天心眼”や“星泉眼”等々を発動させた大輔の視界には。
「どういうこと……魔力じゃ、ない?」
鮮血の鎖で体と
そしてその鮮血の鎖は魔力で構成されておらず、未知のエネルギーだった。