「おいっ!」
放課後、強い眠気と戦いながらフラフラと廊下を歩く大輔。後ろには男子や女子の猛攻を受け流した
そんな三人に怒鳴り声が降り注ぐ。
……大輔は反応しない。
「おいっ! 鈴木っ、止まりやがれっ!」
「うぉっと」
大輔は突然肩を掴まれ、驚く。まるで、初めてその人物に気が付いたみたいだ。そして首を傾げた。
「あ、あの、どちら様で……?」
「ッ!」
大輔の肩を掴んだガタイの良い男子、
「て、てめぇ、俺の事を覚えてねぇのかっ?」
「……あ、もしかして同じ学年の人ですか? 合同体育とかで……」
「ちげぇよっ、同じクラスのだ!」
「……ああ、確かいたような……。ごめんなさい、印象薄いし、今眠くて頭が働かなくって」
「ッ!」
「プッ」
杏はそのやり取りを聞いて吹き出しそうになる。が必死に口元を抑えた。
竜崎は一度見れば忘れないほどに印象が強い。百九十センチに近い身長にガタイのよい体つき。目つきは鋭く、いつも周囲にガンを飛ばしている。
ぶっちゃけ、眠いとかどうとか関係なく、相対すれば直ぐに道を譲りそうなほどの威圧感があるのだ。忘れることなどありえない。
なのに、大輔はポショポショと目を擦って、本当に初対面であるかのような表情をしている。
まぁ、あながち間違えではない。大輔は竜崎の事を何一つ覚えていないし、クラスメイトである事すら知らないのだ。異世界帰りの記憶力ですら忘れ去ってしまうほど興味がなかったのだ。
大輔的には実質初対面だ。あくまで大輔的にはだが。
と、周りをいた学生たちが竜崎たちに注目する。それはもう、全員。不自然な程にバッと注目したのだ。
「あの、それで何の用でしょうか?」
「そ、そうだっ! てめぇ、女二人侍らせて、ずいぶんと調子に乗ってるじゃねぇか、なぁ?」
竜崎は後ろにいた
分かりやすく言えば私怨だ。今日一日中、竜崎は
が、結局ガン無視され、罵倒され、暴力すらも意味を成さなかった。そこに杏という存在が加わって、竜崎のプライドは酷く傷ついたのだ。
そこに追い打ちをかけるように、呼び捨てさえ許されなかったその名前を大輔が簡単に呼んでいて、しかも同居しているという話ではないか。
教師も通る廊下で手を出すほどには、竜崎は冷静さを欠いていた。
「……侍らせたいんですか?」
「「「「「「「ププッ」」」」」」」
「ッ!」
そんな竜崎は、笑われた。いつの間にか十数人以上の生徒が大輔たちを見ていて、皆が一斉に笑ったのだ。
それに気が付いた竜崎は気炎を吐く勢いで顔を真っ赤にし、ギロリと周囲を睨む。周りは慌てて顔を下に向けたが、それでもコショコショと陰口を交わす。
「……チッ。失せろ」
ここで更に冷静さを欠くと思ったのだが、竜崎は不機嫌そうに顔を顰めた後、大輔にそう言った。
大輔は、あっ、そうですか、と言ったあと竜崎に背を向けた瞬間。
「おっと」
「あ」
竜崎が足を出し、大輔がそれに引っかかり左手から転倒――
「ッッッァアア!」
「っと。危ない、危ない」
することなく、これまた綺麗な側転をした。ついでに、左手を着いた場所が竜崎の方に近かったこともあり。
「……ありゃ?」
振り上げた足が竜崎の顎を蹴とばしてしまったのだ。竜崎は物凄い痛みに唸り声を上げた後、後ろにバターンと倒れてしまった。気絶した。
眠く頭が全く回らない大輔は何が何だか分からない状態。さっきの側転だって自然とでた動作であって、意識していなかったのだ。
大輔は
「お見事でございます、マス――大輔様」
「……うん、見なかったことにしよ」
たぶん全て
「これは何の騒ぎだっ!」
現れた教師によってそれは叶わなかった。
Φ
「初日から引き留めて悪かったな。ギズィア」
「いえ、大した事ではありません、烏丸先生。……では失礼いたします」
クークーと寝息を立てている大輔を背負った
結局、目撃者が多かったこともあり、大輔は怒られなかった。だが、竜崎が気絶してしまったこともあり形だけ注意していたのだが、大輔はあまりの眠気で寝てしまった。
なので、
「ようやく終わったか」
「はい」
職員室の外には杏と雪がいた。既に日は傾き、少しだけ空は茜色に染まっていた。
「あ、あの、大丈夫ですか?」
「ええ、雪様。問題はございません。ただ眠っているだけです」
「そうですか。……そういえば、直樹さんは?」
と、雪はキョロキョロと辺りを見渡した。
「そういえば、まだ屋上で寝ていると思います。……そうですね。私たちは先に帰っていますので、
「……はい、分かりました」
雪は少しだけ逡巡し頷く。杏に、また明日、と頭を下げて屋上へと向かった。タタタッと駆けるその後ろ姿に杏は少しだけ微笑んだ。
「では、杏様。帰りましょうか」
「……あ、ああ」
そういえば、成り行きで一緒に待っていたが、帰り道って一緒だったか? と杏は首を捻りながらも
人も
沈黙が二人の間に訪れた。クークーという寝息だけが響く。
普段の杏ならば、上手く会話を振ったりすることもできるのだが、相手が相手だ。余計なことを質問したりすると、どうなるか分からない。
と、そんな沈黙を破ったのは
「ところで杏様」
「……何だ」
杏は警戒した様子で問い返す。
「
「……ない」
杏は一瞬だけ蒼穹の瞳を見開いた後、直ぐに平静を装って返事を返す。金髪のベリーショートが夕日に煌めく。
「本当にですか? 遠慮しているのではなく? もし、
「…………本当だ。もしあったとしても、それは遠慮ではない。鈴木たちの力は毒だ。縋ってしまうほどに万能的な力だと感じてしまう」
杏はポツリと呟いた。
思い出すのは一週間前。魔法少女としての力を覚醒させ、その後の事後処理すらも円滑にした。魔法少女の後遺症がなくなり、自分たちが平和な日常生活を送れているのは、大輔たちの力のおかげだ。
だからこそ、碧眼には痛々しい程の想いが込められていて、杏は凛然と
「それに縋ってはいけない。縋ってしまったら、たぶんアタシは雪たちの傍にはいられない。何より自分を誇れない。こんな自分でも誇れるようになりたいと思ってるんだ」
「……そうですか」
Φ
「はぁ」
揺れる電車の中、杏は小さく溜息を吐いた。
金髪のベリーショートに鋭い澄んだ碧眼。麗しく整った西洋の顔立ち。首筋から流れる線は細く、それでも確かな力強さを感じる。
程よく育った双丘に制服の上からでも分かるくびれ。スカートから伸びる鍛えられた美脚はスラリと伸びていて、長い。
そんな杏が周囲から注目を集めないわけがない。むしろ、麗人と称するに相応し杏がアンニュイな溜息を吐いたのだ。
近くにいた他校の女子高生が顔を赤くする。隣にいた
それを感じ取りながら、杏は窓の外を見た。
(もうすぐ、夜か)
いつからだろう、夜を――
(……最初から、あの時から、か)
始まりは結婚した際に日本に帰化した父親――百目鬼リュッケン。母親――百目鬼
そんなリュッケンが
今でも鮮明に覚えている。
丁度中学の入学式の夜だった。その日の夜、杏の入学祝という事もあり、家族三人でちょっとしたレストランにいった。
そしてその帰り、リュッケンは杏の目の前から消えた。
手をつないでいたのに。男子にモテてるから気をつけろよ、という忠告を受けてちょっとそっぽを向いてただけなのに。
狐につままれた、そもそもそこにいなかったのかと思ってしまうほどに、あっさりとリュッケンは消えた。
そして翌日、記憶が失った状態のところを警察に保護されていた。
後から知ったのだが、その保護した警察は
どっちにしろ、杏も芽衣も戸惑い嘆き、苦しんだ。
いきなり目の前で消失したかと思えば、記憶喪失となって見つかるのだ。警察に問い合わせても
杏はリュッケンが好きだった。困っている人がいれば直ぐに助けに動くリュッケンを父親としても、一人の人としても尊敬していたし、そうなりたいと思っていた。
その大きく力強い背中に憧れていた。
なのに、記憶喪失になったリュッケンは生きる屍にも近いほど無気力となった。最低限の日常生活は送るものの、一日中ボーっとしているし、言葉も話さない。
そんなリュッケンに杏は酷くショックを受け、その原因である『何か』を憎んだ。怨んだ。呪った。
当然だと思う。
そして入学式から二週間後だっただろうか。
そこで
杏は迷いなく魔法少女になった。
といっても、毎夜毎夜
けど、一刻も早くリュッケンの記憶を取り戻すため――元のカッコよく強く優しい父親に戻ってほしかったから。
強い想いがあった。
だから、杏は魔法少女になって一ヶ月足らずで一人前の魔法少女となった。普通、魔法少女として一人前になるには半年ほど時間がかかるのに、だ。
けれど、強い想いだけでそれが成ったわけではなく、毎夜毎夜、支部に訪れては戦闘訓練と実戦に明け暮れていたからだ。日夜反対の生活だったのだ。
当然、母親たる芽衣は、毎朝寝不足で起きてくる杏を不審……いや心配した。
調べた。気づいた。杏が夜な夜な外出しているのを。
喧嘩になった。
言い争ったし、ちょっと手も出た。夜、外出できない様に監禁まがいのこともされた。
どうして、どうして、どうして……
魔法少女の事は家族にも話してはいけないと厳命されていて、話せば魔法少女としてはいられないとも言われていた。つまりリュッケンを助けられない。
杏は芽衣に訴えた。
事情は説明できないけど、信じて欲しい。父さんを助けるためなんだってっ!
けど、芽衣は首を振って杏を外出させない様にした。一時期は精神病院にも連れていかれた。
(今思えば、当たり前だな。父さんがあんな状態になって、娘が夜な夜な外出して……それが父さんのためだと言っても、事情は全くもって話してくれなくて。明らかにショックで精神が病んだ様子に見えたんだろ。むしろ、母さんは凄かったな。父さんやあんなアタシに冷静に接して、仕事にいって、家事食事をして……)
後悔の苦笑いを
とある病院にたどり着いた。
(ああ、そういえば、あの時もこんな夕焼けだったか)
杏は立ち並ぶビルの隙間から零れる茜の空を見て、思い出す。
魔法少女になって半年と少し。監禁まがいの静止も振り切って家を飛び出したあの日。
自分を追いかけて飛び出した芽衣が、トラックに