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十話 異世界が僕を呼んでいる

 とても疲れている様子の杏は、屋上のフェンスに寄りかかっている直樹たちへと歩いてきた。


「……食事中だったか」


 直樹が頬張っているみたらし団子を見ながら、杏はため息を吐いた。


「いや、大丈夫だぞ。これはおやつだし」

「そうそう。それで何か用事? っというか、大丈夫? くま凄いけど」


 直樹は手に持っていた残り三串のみたらし団子を一気に口に入れ、もぐもぐとリスのように頬を膨らませながら立ち上がる。大輔は膝上に置いていたゴミをコンビニのビニール袋に入れて立ち上がる。


 杏は問題ない、と言いながら化粧ですら隠しきれない隈を直樹たちに向ける。


烏丸からすま先生からでな。君たちを職員室へ連れてきてくれと」

「分かりました。わざわざありがとうございます、百目鬼さん」

「ああ」


 直樹と大輔は担任に呼ばれることなんてあったけな、と首を捻りつつ杏に頭を下げた。杏は凛然としながら問題ない、と手を振るがやはり少し足取りがふらついている。


「大丈夫ですか、百目鬼さん」

「ああ、大丈夫だ。昨日、少しだけ夜更かしをしてな」

「そうですか」


 直樹たちは校舎内へと入る。二階まで階段を降りて、職員室へと向かう。


「あの、教室か保健室で休んでても大丈夫ですよ。烏丸先生には伝えておきますから」

「いや、私も別件で呼ばれているのだ」

「ああ、そうなんですか」


 大輔は頷きながら、近くを通った教師に頭を下げる。直樹も同様だ。ただし、スマホを操作しているが。

「失礼します。二年三組の鈴木大輔です」


「ああ、入りなさい」


 昨日、職員室に入る際に黙って入って注意された大輔は、何とかそれを覚えておりコンコンと扉を叩いて、中を確認する。少し天パの三十代の女性――烏丸くるわがコーヒー片手に顔を上げ、手招きした。


 ダボっとしたパーカーにお洒落が一切ないダサいズボン。よく見れば顔立ちはいい方なのに、その身だしなみの低さに残念臭が漂うのは仕方がないだろう。まぁこれでも結構慕われている教師なのだが。


「あ、百目鬼は永原ながはら先生の方だ」

「そうですか。失礼します」


 杏は遠くでお茶をしていた永原に目を向ける。永原は視線を感じ、百目鬼を見て慌てて机の上に散らかっている書類を探す。


 それを尻目に直樹たちは烏丸のところへ歩く。


「……ふむ。ここではなんだし、奥に行こうか」

「はい」

「わかりました」


 烏丸はワザとらしく周囲を見回した後、コーヒーを置き席を立った。直樹たちは職員室の奥に併設されている会議や話し合い用の小さな個室に入った。


「そこに座りなさい」

「失礼します」

「分かりました」


 直樹と大輔はい言われた通り、安っぽいソファーに腰を掛ける。


「コーヒーいるか?」

「いや、大丈夫です」

「右に同じく」


 話し合いをするための部屋であるからか、コーヒーメーカーが置かれており、烏丸は何の躊躇いもなくコーヒーを紙コップに入れていた。なら、さっき机に置いてきたやつを飲めよ、と直樹は思ったが黙っておく。


 それくらいの配慮はできるのだ。いや、まぁできて当然か。


 烏丸は、そうかと頷いて大輔たちの対面側に座る。こちらも安っぽいソファーだ。座り心地が悪いのか、烏丸は何度か腰の位置を変える。


「さて、と。それで、本題に入る前にお前たち、最近どうだ?」

「それ、昨日も聞きましたよね」

「……ったく、これだから若者は。こういう雑談は――」


 何かと面倒見のいいというよりは、構ってなのか。昨日もこのやり取りをしており、大輔は面倒だなと思いながらも、少しだけ感謝する。


 生徒たちからはもちろん、他の教師は言葉にはしないものの、直樹たちとは関わり合いにならないようにしているのが丸わかりなのだ。なので、担任とはいえ、こう絡む烏丸は貴重だ。


「……まぁお前たちはこういうのは好まないか」

「ええ、まぁ」

「ふぅ。なら本題に入るとするか」


 烏丸はコーヒーをローテーブルに置き、真剣な表情で直樹たちを見た。


「お前たちも知っての通り、あと一ヶ月少しで修学旅行がある」

「……ああ、確かにありましたね」

「……京都でしたか?」

「ああ」


 大輔と直樹は修学旅行、何それ美味しいの? といった具合に視線を彷徨わせながら記憶を探り、ああと頷いた。そういえば、学校行事の一つだったわ、と。


 小学校も中学校も大して修学旅行に思い入れなどなかったため、記憶の彼方だったのだ。まぁアルビオンで超ハードモードのハートフルファンタジーを六年間過ごしていたため、余計だろう。


「それで、三泊四日の予定なのだが」

「結構長いな」

「ああ、本当になんでこんなに長いのか。下見に下見を重ねる苦労もだが、監督するのが本当に大変で――」


 思わず呟いた直樹の言葉に、烏丸は一瞬にして猫背になり終電を逃すまで残業させられたサラリーマンのような表情になる。怨嗟が籠ったその言葉はやけに重く、異世界帰りの直樹たちをして、若干引いてしまうほどだ。


 と、その様子に気が付いたのだろう。烏丸はハッと言葉を止めて少しだけ頬を紅くしながらコホンと咳払いした。コーヒーに口をつける。


 それから少しだけ言い辛そうに、それでも確かに伝えようと直樹たちを見つめた。そこには強い芯みたいなものがあった。


「それでだ。二日目の夜と三日目の夜が問題なんだ」

「……なるほど」


 大輔は神妙に頷き、直樹は数秒だけ眉を寄せたが、ああ、と手を叩いた。


「その二日間は大部屋なんですね」

「ああ、そうだ。普通に友達がいないとかならばそこまで問題ないのだがな。お前たちは面倒なことになってしまっているからな」


 烏丸は、こちらがケアをキチンとできていなかったばかりに、と頭を下げる。直樹たちは慌てる。


「ちょ、頭を上げてください。あれだけの事があったんです。ケアが完璧にいくわけないですよ。それに八神さんたちが特殊だったのもありますし」

「そうです。気にしないでください。俺たちあんまり気にしていませんし」

「……そうか」


 烏丸は頷いて、この話題をやめた。被害者がいる前であまり触れるべき話題でもないからだ。


 しかしながら、今後のケアも考えて修学旅行などの話はしなければならない。


「……それでだ。お前たちには幾つかの選択肢がある」

「大部屋で過ごすか、特別に小部屋を使うか、後は修学旅行自体にいかない、ですか?」

「まぁそんなところだな」


 直樹たちはチラリと視線を交わす。ここで二人の仲が悪ければ面倒だったが、仲がよくて何よりだ、と烏丸はそれに気が付きながらコーヒーを口に含む。苦さが鼻の奥をくすぐり、酸味が舌を撫でる。


「なら、大部屋で大丈夫ですよ。確証はないですけど、たぶんその頃には収まってると思うんです。それに昨日のアレで皆の興味も薄れていますし」

「右に同じです」


 烏丸は朝のホームルームの雰囲気を思い出し、確かにと頷いた。昨日突如として起こった近くの高校の集団失踪は誰も彼もに、良い意味でも悪い意味でも話題を与えていた。


 教員の烏丸としては、その高校の教師や関係者を気の毒と思うし、現在市や県の方からも協力要請がでているので、他人事ではないのだが。


 けれど目の前の彼らにして見れば、降って湧いた良い機会なんだろうな、とあたりをつける。


「……そうか。まぁ今はそれでもいいが、一応前日までならテコ入れが効くようには私から取り計らっておいた。もし何かあれば遠慮なく言ってくれ」

「ありがとうございます」

「本当にありがとうございます」


 大輔と直樹を深々と頭を下げた。礼を尽くされれば、礼を尽くす。直樹たちは人としての礼儀は忘れていない。


 そして少しだけ雑談した後、昼休み終了のチャイムがなったため、直樹たちはもう一度頭を下げた後、職員室を出ていった。



 Φ



「ただまー」

「おかりー」


 本屋に寄って六時くらいに帰り玄関で靴を脱いでいたら、キッチンの方から義母である佐藤彩音の返事が聞こえた。あれ、今日って仕事なかったのか、と首を傾げながら直樹はリビングダイニングへ入る。


 キッチンを見れば彩音が夕食の準備をしている姿が見えた。機嫌がいいのか、鼻歌を歌っており、それに合わせて腰まである黒髪が揺れている。


 義姉である澪は確実に彩音の血を引いたと分かる通り、彩音は細い顔立ちで切れ目でカッコいいという言葉が似合う。


「あ、詩織。ただいま」

「……お帰り」


 テレビがついていたのでそちらを見れば、ソファーで体育座りをしている詩織がいた。まぁ気配で気が付いていたが、こういのは大事だと声を掛ければ、詩織は一瞬だけボソッと呟いた後、直ぐにソッポを向いた。


 黒髪ボブでちょっと大きな黒目。大輔のよりも一回り大きい丸眼鏡を掛けており、ちょっと暗めな雰囲気を鑑みれば文学少女だと思うだろう。実際、趣味は読書であり、私服もそれに近い大人しめのが多い。


 直樹は鞄を床に置き、ソファーに座る。詩織がグイグイっと腰を動かして最大まで直樹から距離を取る。思春期特有のやつだ。直樹は少しだけガックリと肩を落としながらもポツリと尋ねる。


「……何ともなかったか?」

「……ない」

「ならよかった」


 直樹は安心したように頷いた。昨日は大輔の両親と共に避難をいて怖いを思いをさせてしまったため、気がかりだったのだ。


 直樹はそう頷きながら、ソファーの前にあったローテーブルの上に置いてある煎餅を口に含む。


「直樹。あと一時間ぐらいしたら夜ごはんだから、先に風呂入っちゃいなさい」

「分かった」


 そういえば詩織はパジャマ姿だな、と直樹は今更ながらに気が付き、彩音に返事を返す。


「あ、勝彦義父さんは?」

「あの人なら修羅場の真っ最中だから、夕食は後じゃないかしら」

「……なおさら悪いことをしたな」


 勝彦はイラストレーター兼四コマ漫画家だ。ギャグを織りなした恋愛もの――尚、恋愛は二割――四コマ漫画を月間連載しており、またラノベのイラストを手がけている。担当した作品の三つがアニメ化している事もあり、イラストレーターとしての知名度も結構高い。


 また、そのアニメの一つ、『僕は今日、魔女きみと出会った』が日曜日の夕方に異例の四クールで放送している事もあり、大忙しなのだ。大人のみならず、子供向けの内容だった事もあり、トントン拍子にそうなったらしい。


 好評だったら、続きもやるそうだ。


 今朝、明後日の放送は影の魔女編のクライマックスだぞ! と大はしゃぎしていた。それに合わせてイラストを描いていた。SNSに投稿するんだそう。


 だからこそ、修羅場真っ盛りの今に面倒ごとに巻き込んでしまい、直樹は少しだけ暗い面持ちになる。タタタタタと手早く玉ねぎをみじん切りにしていた彩音は、目敏くそれに気が付く。


「アナタが望んで迷惑をかけたわけではないでしょ? それに修羅場なのは、あの人の自業自得よ。何が異世界が僕を呼んでいるよ。昼間っからテレビでアナタが撮ってきた写真や動画をずっと眺めてたから仕事が進んでいなくて、修羅場ってるだけよ」

「……そう。なら、風呂入ってくる」

「詩織が入ってから少し時間が経っているから、追い炊きしなさいよ」

「ん」


 直樹はリビングを出て、一旦風呂場に移動する。追い炊きのボダンを押した後、二階に上がり自室に入って制服を脱いだり、ベッドの脇に置いてある箪笥からパジャマなどを取り出す。


 そしてパジャマとワイシャツを手に持ち、風呂場にいく。風呂場に併設されている洗面所に置いてある洗濯機にワイシャツや下着などを入れ、風呂場にはいる。


 頭と体を流し、風呂に浸かった。


「……ふぅ」


 昨日だってそうだった。


 直樹たちが狙われた原因は直樹たちにあり、そして家族を危機にさらした。確かに今は向こうから接触はないし、家族に直接的な被害は及んでいないが、それでも危機に晒したことには変わりない。


 なのに、彩音も勝彦もカラカラと笑いながら問題ないといったのだ。


 直樹はそれが嬉しくて、また誇らしかった。チャプンと手を動かす。


「にしても、やっぱり一人で風呂に入るのは未だに落ち着かないな」


 アルビオンにいたころは、緊急時などを除いてミラとノアと共に一緒に風呂に入っていた。各国を旅しているときも、大試練巡りをした時も、安全がある程度取れて風呂にはいれるのならば、その二人と一緒に風呂に入っていた。


 今すぐにでもアルビオンに行きたい気持ちはある。心の奥底からドンドンと自分を駆るようにその衝動が湧き出ている。たぶん、邪神と戦った以上の無茶をすれば今すぐにでも自力でアルビオンへ行けるだろう。


 けど、ミラとノアがそれを望まない。直樹が無茶をして傷つくことを望まない。


 だから直樹は今、こうしてゆっくりと耐えているのだ。


「早く……」


 やけに声が響く風呂場で、けれどその呟きは小さく消え去った。会いたい相手はミラとノアだけではない。

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