コォーーー、と夜風が空を切る音が響く。
上空三千メートル地点でフリーダイビングをする人影が一つ。いや、ぐったりとした様子の人形のような人影も含めれば三つか。
「[影魔]――モード・グリフォン」
弾丸のように加速し、桜の花弁を七つ持つ白の花を瞳に浮かべた人影――直樹がポツリと呟く。その瞬間、ポフンという音と共に、本物の影が
“白華眼”の
直樹は手に持っていた外国人二人を離す。空気抵抗を減らしながら落ちる直樹と違い気絶して死に体を晒す外国人二人は、一瞬の浮力によりふわっと浮き上がる。
直樹はチラリとそれを確認した後、下を見た。
直樹が上空三千メートルに転移したのには理由がある。
まずは転移を悟られないため。空間把握と転移能力を兼ね備えた“空転眼”は、未だに本来の力を取り戻していない。そのため、今は転移の魔力が隠蔽できないのだ。
そのため、空という死角であり魔力感知も届きにくい場所に“空転眼[黒門]”で転移門を開き、転移をしたのだ。
また、それ以外もある。
「あれか」
後十秒も経たずして地上にぶつかるであろう直樹は、しなしながら油断なく“解析”と“感知”と“星泉眼”で目の前に見える六階建てのビルを調べる。
そしてフッと目を閉じ、大きく息を吸った後、地面にぶつ――
「よし」
――かりはせず、通り抜けた。
直樹の体は次々に建物の床をすり抜けていく。あまり掃除されていないタイルの床に顔面から突っ込み、すり抜ける。
“身体肉体操作術”の
「ふぅ」
そして目的の階へ着いたとき、直樹は“身体肉体操作術[霊体化]”を解き、まるで猫のように軽やかに着地する。大きく息を吐き、息を吸う。深呼吸を何度か重ねる。
“身体肉体操作術[霊体化]”は、物理干渉が不可能になる。それは即ち呼吸や生命活動すらも危うくなるのだ。光すら通り抜ける。
だが、退院してから鍛えなおした肉体とステータス値、幾つかの
けれど何度もやってきたことゆえ、直樹は落ち着きながら“隠密隠蔽”を全力で使い、気配や熱、魔力、存在感、姿形までも隠していく。姿形が見えなく、つまり傍から視れば透明になっているが、[霊体化]とは違い背景と同化しているだけである。
(さて、アイツらの記憶は確か……)
直樹は周囲を警戒しながらも、外国人から読み取った記憶を頼りに建物内を歩く。淀みなく角を何度か曲がり、そして目的の部屋がある扉の横へたどり着く。
(……ちょっとした空間干渉……拡張か? どっちにしろちょっと手間だな……)
軽い空間の把握や解析なら今の“空転眼”でも可能のため、直樹は目全てを真っ黒に染める。追加で“解析”を発動させる。
“感知”が持つ透視や俯瞰などが可能な
部屋の中の解析が終了した直樹は、後ろ向きに壁に寄りかかり、そして、“空転眼”と“身体肉体操作術[霊体化]”を発動させる。
壁をすり抜け、転がるようにしてその部屋の中に入った直樹は、淀みなく流れる小川ように“身体肉体操作術[霊体化]”を解除して、クルリと一度後転しながら戦闘態勢を整えた。
そして。
「……潜入しようとしたところが既に壊滅状態。これ如何に?」
暗い部屋に血まみれに横たわっている男女五人の外国人がいた。全員古臭い装飾品を身に纏いながらも、スーツを着ていてちぐはぐか感が凄い。微かな呼吸と気配を感じるから、まだ生きている事が分かるが、既に虫の息だ。
ただそれよりも目を引くのが。
「なんだあれ」
直樹の目の前にいる異形だ。直樹が創造する“白華眼[影魔]”よりも深い影、否、闇を凝縮した怪物。大きさは直樹と同じで、頭らしき部分や背中、足、脇腹等々から無造作に闇の腕が生えている。
おどろおどろしい瘴気を漂わせながら、体から無造作に生えているそれらの腕が、周囲にあったPCや机、書類が入っていた棚などを壊していく。
ああ、貴重な情報源が……と呟きながらも、未だにその異形に気が付かれていない直樹はじっくりと息を潜める。
感じ取れる魔力量から大した強さは感じないが、それでも未知との遭遇だ。“解析”、“白華眼”、“星泉眼”を発動させながら、鋭い視線を向けながら観察を続ける。
(理性はない感じだな。魔力的なバイパスも感じないし、魂魄の繋がりもない……はず。電磁波とかそっちだと今の俺には分からねぇが、それでも多分単体か?)
目の前で暴れている異形が単体なのか、仲間を持つのか、使役されているのか、それによって行動が変わる。
単体ならぶちのめせばいい。問題ない。だが、仲間を持っていたり、使役されている場合、必ず倒されたら気が付くだろう。面倒をこれ以上持ちたくはない。
そもアルビオンへの異世界転移を実現するうえでも、大輔はもちろん直樹も消耗は控えたい。特に魔力消費は。異世界転移には膨大な魔力が必要で、それは今の二人分の魔力では全く足りない。
だから魔力タンクとも言える魔晶石や天聖結晶に魔力を溜めている状態なのだ。毎日毎日そこにマージンをとりながら注いでいるため、無駄遣いはできない。今日の分はまだ注ぎ終わっていないのだ。
と、そんな事を考えていたら。
「潰れろ!」
「おいおい、マジかよ」
轟音と共に天井をぶち破って降りてきた少女が、二メートル以上もある無骨な大剣を振り下ろし、異形をぶっ潰した。異形は黒板を引っ掻いたような断末魔を上げると、虚に溶けるようにして消えていった。
天井が崩れ、直樹がいた部屋には薄暗い月明りが差し込む。その荒っぽさとは裏腹に横たわっている外国人たちが崩れた瓦礫の下敷きになっていないところを見ると計算してやったのか。
直樹は突然起こった天井の崩落にやべぇやべぇと焦りながらも、どうにか瓦礫の隙間を縫い、今はその影で突然現れた女性を観察する。
(ま、魔法……少女……か? いやあってるか、あれ? でも、プリティーなキュアにあんなキャラいたような)
未だに卒業できていない直樹は、呆然としながらその女性を観察していたら、彼女が自分が空けた天井の穴を見上げた。
「ホワイト。降りてきて治癒してやってくれ」
「は、はい」
おどおどした様子で降りてきた少女――ホワイトは、本格的に魔法少女と言っても過言ではなかった。
薄桃色のリボンが飾る雪のように真っ白なショートヘア。可愛らしい瞳は優しい薄桃色。着ている衣装は白を基調とし、薄桃色のフリルや可愛らしい装飾が施されている。手に持っているステッキなど、いかにも魔法少女が持っていそうな可愛らしいステッキだ。
ホワイトと呼ばれた仮称魔法少女は、血まみれで倒れている外国人たちを見て、一瞬息を飲む。だが、直ぐにフスンと気合を入れて、手に持っていたステッキを光らせながら真っ白な魔力を迸らせる。
すれば、虫の息だった外国人たちが少しだけ回復した。あと一分も経たずして死人になる状態から、一日は持つだろうという状態にまで回復した。
「プロミネンス先輩。このままだと、死んでしまいます。支部に移動させた方がいいと思います」
「分かった」
プロミネンスと呼ばれた魔法少女らしき女性は、懐から携帯を取り出しどこかへ電話を掛ける。
らしき、と言ったのはその立ち姿があまりにも魔法少女には思えず、姫騎士とか武人とかそっちが似合う感じだったからだ。
衣装は、深紅を基調とし蒼穹や白の模様が描かれていて、一応フリルなどがついているもののそれはスリットが入っているドレスに近い。
深紅のベリーショートに全てを射貫く蒼穹の瞳。ドレスのスリットから覗くスラリと伸びた美脚を見れば鍛えられているのが分かる。百七十センチは優に超える身長は、蒼穹のハイヒールを履いているためそれが余計に際立つ。
携帯を持っていない手には二メートルを超える無骨な大剣があり、またその腕には蒼穹の腕輪が上品に光る。
少女というには纏う雰囲気や覇気などが大人すぎて、麗人や姫騎士といった方が似合う。というか、直樹の記憶であんな感じの姿で戦う勇猛果敢な妙齢の女性がいたし。敵と間違われて危うく殺されかけるところだったし。
(っうか、マジ、でどうする? この支部の奴らとあれって魔力を使ってるが、探った記憶から見ても、別口なんだよな。しかも、確実にあの魔法少女っぽいのは組織だった行動だし……)
もうわけがわからないよ状態である。
ただ、事態はさらに混乱を極める。
プロミネンスと呼ばれた女性が電話を切り、ホワイトが治療を施していたら、カツカツカツという数人の足音が響く。
プロミネンスはようやく来たか、と自らが空けた天井を見上げ、そこから黒服サングラスの女性たち五人が飛び降りてきた。
「プロミネンス、こちらですか」
「ああ、
「……外国人がこんな場所にいるのは気になりますが……」
「
「分かりました」
黒服女性のリーダーらしき人物が部下に命令を出し、外国人たちを背負う。あまった一人はホワイトが背負う。
「アタシは少し用事がある」
「分かりました。では、お気をつけて」
「ああ」
(チッ。迷っている暇はねぇな。どうにも会話からして、保護対象が魔力持ちと気が付いてないところからアイツらは魔力を感じ取れないようだな。あの黒服たちは支部とやらに行くか。脳筋相手にするよりも、あっちの方が確実だな)
そう一瞬で結論付け、どう考えても普通の人間ではありえない跳躍力で空いた天井へと次々飛んでいく黒服たちとホワイトに狙いをつけ、隠形をしながらそれを追おうとして。
「どわっ!」
プロミネンスが無造作に横薙ぎに振るった大剣で切りつけられそうになる。直樹は気の抜けた声を出しつつ、一瞬でスライディングしながらそれを躱す。
「プロミネンス先輩っ!」
「お前たちは見えないだろうが、そこに敵がいる! アタシは用事を果たすからお前たちはさっさと行け!」
「分かりました!」
外国人を担ぎながら逃げようとするホワイトと黒服たちを追おうと跳躍するが、
「行かせない!」
「建造物損壊罪って知ってる!?」
プロミネンスは自ら諸共埋もれる気で、大剣をぶんまわしビル自体を破壊する。
視線や攻撃から、直樹の姿や気配など確実な位置は分かっていないらしいが、どうにも近くにいること自体は把握しているらしい。
だから、ビル自体を破壊したのだろう。
これだから直観の脳筋野郎は! と見覚えがあるその戦い方に悪態を吐きながら、直樹は崩れ落ちる床や上階の瓦礫を足場に、軽業の如くそれでも上へ行こうとする。
が。
「朱に混じりて爆ぜろ、〝爆炎〟!」
「馬鹿じゃねぇのっ!? 火事でも起こす気かっ! っつうか、住宅街だぞっ!」
ガコンッと暴風と共に大剣を振って、無差別に瓦礫の砲弾を飛ばし、また爆風まき散らす爆発でさらに追撃する。蒼穹の腕輪が輝いている。
一旦追うのをやめて、直樹は瓦礫の裏に張り付き、砲弾と爆風をやり過ごす。
(あん?)
直樹は直ぐに“感知”で捉えた黒服たちの気配を探るが、一向に見当たらない。大して時間も経っていないし、直樹の感知範囲は半径二キロを超える。こんな短期間で感知範囲を抜けたのか、と疑問に思う――
「
「チッ、異空間かよ!?」
――前に、“解析”と“空転眼”と“星泉眼”が今いる空間の異常さを示す。否、今更ながらに気が付いたというべきか。
(位相は元居た場所に近い。……重なっている感じか? ってか、この部屋にかかっていた空間干渉って、外国人側じゃなくて、
異形に意識が向いていたせいで掴めなかったその違和感にたどり着き、直樹は舌打ちする。
(どっちにしろ、自力で穴を空けるのは一苦労だぞ!)
黒煙を祓うかの如く振り下ろされた暴風伴う大剣を側転で躱しながら、直樹は周囲を油断なく観察する。
色褪せた灰色の世界。フリーダイビング中に見た構造とほぼ同じ。普通の住宅街だ。しかしながら人の気配は一切感じず、夜なのに家の明かりはついていない。
静寂に満ち、異様に包まれた場所だった。
情報が欲しい、そう思った直樹は懐から出した真っ白のお面を被る。黒煙が晴れると同時に、ワザと“隠密隠蔽[薄没]”以外の隠形を解いて崩れ去ったビルの瓦礫の上で両手を上げる。
プロミネンスは、直観的に感じていても視認できなかった存在が目の前に現れたことにより、殺気をまき散らし大剣を構えるが直ぐには襲わない。
二人は対峙する。
「白仮面野郎っ、貴様は何者だっ?」
「……俺は理性的で善良的な一般人だ。それよりここはどこか教えてくれる? お嬢ちゃん」
「ッ、ふざけているのか!」
プロミネンスは右足を振り上げ、蒼穹のハイヒールを地面に叩きつけた。地響きが起こり、砕け散った足場の瓦礫が殺意の塊――石礫となって直樹に飛んでくる。
直樹は豪速で飛んでくる石礫を正確に視認し、自分の体に当たるのだけをデコピンで弾いていく。異様にそれがコミカルでプロミネンスは蒼穹の瞳でさらに直樹を睨みつける。
「貴様のどこが一般人なんだっ!」
「どこからどう見ても一般人だぞ?」
直樹はやれやれと肩を竦めた。
そして心の中で、あのフラグ製造機め、と大輔を罵った。
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公開可能情報
“白華眼[影魔]”:影の魔物を作り出す。
[影魔]モード・グリフォン:グリフォン型の影の魔物。主に飛行戦闘型として召喚する。
“解析”:事象等々を解析する。魔力を消費することによって解析量などが上がったりする。
“感知”:あらゆる物事においての感知を補助する。
“身体肉体操作術”:身体や肉体に関する操作を補助する。例えば、魔力の操作や気配の操作など。筋肉の動きを操作したりもする。
“身体肉体操作術[霊体化]”:一時的に生命維持を除いた物理干渉が不可能に、つまり幽霊のように体を霊体化する事ができる。
“思考”:思考に関連する事を補助する。高速で思考したり、高速の切り替えではなく本当の意味での並列思考などを補助したりする。