「ねぇ。三十二口径かな。それとも二十七口径かな?」
ミンミンとセミが鳴く。明日退院する予定の直樹と大輔は松葉杖を突きながら、大型病院の中庭を歩いていた。
「まだ松葉杖の銃器化を諦めてねぇのか?」
「当たり前じゃん。こう、怪我人が使う松葉杖の先端から銃弾放てるとか、ロマンだよ!」
「……一応、ここ、病院だからな? ほら、おじいさんたちが不審な目で見てるじゃねぇか」
清潔感あふれる入院用の緑色の病衣を身にまといながら、じっとりと肌に張り付く汗をタオルで拭った直樹が、シラっとした目を向けた。翡翠の星々が浮かんでいる右目は、少し長い前髪に隠されている。
瞳の色を変える偽装を施した
大きな病院だからか、もうすぐ昼頃になる中庭には幼子や小学生くらいの子供たちの集団やそれを微笑ましく見守る老人たちがいた。なお、八月に入り陽射しが強くなっているので、老人たちは日陰にいる。
本当にどこにでもいる高校生くらいの青年二人は、そんな穏やかな中庭でグデーと寛いでいた。肌を差す陽射しがむしろ心地よいと言わんばかりに、ベンチの上で全身を広げていた。蒼穹の空を見上げていた。
「……そういえば、
「父さんは仕事だから来ないかな。母さんは三時ぐらいだったはず。そっちは?」
直樹も大輔も異世界に召喚された事、異世界で自分がやったこと、それらを掻い摘んで家族に話した。
もちろん、最初は信じてもらえなかった――わけではなく、即信じてもらえた。否、異世界やら魔法やら魔王やら邪神やら、そういう荒唐無稽な話を信じてもらえなかったが、それでも直樹や大輔が特別な体験をした事を信じてもらえた。
息子の雰囲気が変わったことは一目瞭然だったから。
そうして
それからは異世界――アルビオンで何があったか、どうやって生きてきたのかなどを、ある程度言葉を選択して伝えた。命の価値がとても軽いアルビオンと日本の価値観が違いすぎるためだ。
「同じ時間に
「そっか」
それじゃあ、午後は病室にいなきゃなと想いながら、大輔は数秒遠い目をして、そのあとニヤニヤとした瞳を向けた。眼鏡が反射して光る。
「……それにしても夢幻の大試練であんな事言ってたけど、愛されてたじゃん」
「……ああ。本当にそうだったな」
直樹は意識を取り戻した時を思い出し、嬉しく誇らしい想いを募らせながら頷いた。死神とすら言われた自分を引き取って、優しく温かく見守り愛してくれた叔父家族には本当に頭が下がる。
召喚される前は、それに負い目すら感じていた。義父や義母、義姉妹や義兄、皆が自分を家族だと思ってずっと愛してくれていた事にすら気が付かず、引け目を感じていたし、疎ましく思われていると、嫌われているとさえ思っていた。
けれど、自分の闇を捻じ曲げ願望や理想の夢を見せる試練で、それは克服した。嫌われていたって良い。自分は感謝していて大切だと思っていると。愛していると。
それでもそれは直樹の心の中で決着がついただけで、義父たちの
だけど、目が覚めた時の抱擁は、涙は、言葉は……
アルビオンでの自分がやってきた日本の価値観では犯罪者と罵られてもおかしくない事、大きな例を上げれば殺人等々を言葉を選びながらも包み隠さず伝えて、だが何の躊躇いもなく大事な大切な家族だと言われ抱きしめられた事は……
何ものにも代えがたいものだった。大切で大事な思い出だ。
その感触を思い出し、直樹はポツリと呟いた。
「ミラとノアを抱きしめたいな」
「……正直、今すぐにでも無茶をすると思ったんだけどね」
夏の空に溶けたその切望を感じながら、大輔はアルビオンにいる小さな女の子と男の子を思い浮かべる。
「……馬鹿言え。二週間前に約束したんだ。大事な大事な家族の、娘と息子の約束を破れるか」
「……そうだね。……皆生きていてよかった。ホント、よかった」
「……そうだな」
二週間前。丁度家族にアルビオンでの出来事を話した次の日だった。二人の脳内に声が届いた。
それはあらゆる魔法に精通している最強の賢者、神無灯が必死になって魔力をかき集めて、二人に〝念話〟――テレパシーの魔法――を繋いだのだ。
しかし世界の隔たりが強すぎてその“念話”の時間は数分しかなかったが、直樹は血の繋がらない子供――ミラとノアと約束した。
必ず会いに行くと。だから安心して待ってくれと。
そしたらミラたちが、パパは自分の体を第一に考えて。無茶は絶対ダメだよ! とウルウルと確実に泣いているである声音で言われた。約束させられた。あんな声音で言われたらせざるを得ない。
ここ一ヶ月近く試したところ、一定以上の強さ
それに友人のヘレナとも短いながら言葉は交わせた。彼女や翔たちにミラたちを頼めたので、ひとまず安心したのだ。
大輔は大輔で、寝食を共にした
太平に広がる蒼き空を臨む二人は、ただそこにあるだけで多くの人に恵みを与える大樹のような雰囲気を漂わせていた。短き時間に囚われず、大きく広く、遍く全てを包み込むる覇気が漂わせていた。
だからだろう。
「パパ? パパ、遊ぼ!」
「うん?」
中庭で遊んでいた七歳くらいの男の子が直樹の左足を引っ張った。ぼへぇーとしていた直樹はその可愛らしい声に首を傾げる。クリクリとした栗色の瞳を見て、破顔する。
「あらまぁ浮気?」
「俺の子供はミラとノラだけだ。……坊主。パパはやめてくれ。直樹って名前だから直樹とでも呼んでくれ」
「……パパじゃない?」
「ああ」
どうしてパパだと思ったのか。そんな疑問を押し殺し、直樹は不思議そうに首を傾げる男の子を見た。男の子は少しだけキョトンとしていたが、何か納得がいったかのように頷く。
「にぃにぃ!」
「……にぃにぃ?」
「ねぇねぇがねぇねぇだから、にぃにぃはにぃにぃ!」
「……まぁいいか」
姉がいるんだろうな、と思いながら直樹は男の子の頭を撫でた。男の子は安心したようにすり寄り、直樹は抱きかかえた。すっぽりと男の子が直樹の懐に収まる。
「にぃにぃ! 立って、立って! 肩車!」
「ったく、しょうがないな」
直樹は松葉杖をベンチに立てかけたまま、完治した左足で立ち上がる。片足だけで立っているのにも関わらず、その立ち姿は堂々としていて、安定感がある。
直樹は腕に抱えていた男の子をクルリと回転させながら肩車をして、ほーれほれ、と少し上下に揺らしたりとする。男の子はキャッキャとはしゃぎながら、ボサボサの直樹の黒髪を握り、満足そうな表情だ。
それを見た大輔は、流石年齢イコール彼女なしで童貞なのに勇者パーティーの中で一番父親らしいと言われてた奴だな、とククっと笑う。実際に子持ちだし。
「あのっ、すみませんっ! 目を離した隙にっ!」
医療保育士の人だと思われる女性が慌ててこっちへ駆けてきた。どうにも直樹に肩車され、むふーと目を細めている男の子は勝手にこっちへ来たらしい。
「ッ! ほ、本当にすみませんっ! お怪我をしていらっしゃるのに!」
「いえ。大丈夫ですよ」
ギブスが入り包帯でグルグル巻きにされている直樹の右足を見て、女性はとても低く頭を下げる。直樹は問題ないと笑うが、女性は何度も何度も頭を下げる。
大輔はそれを見て、たぶんクレームとかあるんだろうな、と忘れていた倫理観やら常識やらを確認するために最近読んでいたネットニュースを思い出し、世知辛いなと苦笑する。
「本当にすみません! こら、優斗君! お兄さんから降りなさい!」
「……やだ」
「いやだって――」
「お姉さん、大丈夫です。これでも俺、鍛えているので」
「……ですが……」
ぐずりだした男の子――優斗君をよっしよっしと揺らしながらあやす直樹を見て、保育士さんは困ったように目を伏せた。
それを見ていた大輔は直樹の分の松葉杖を持ちながら、右足だけで立ち上がった。左足は包帯グルグル巻きだ。
「直樹、肩車じゃなくて抱っこにしたら? 優斗君が怪我したらあれだし」
「あ、なるほど。……優斗、肩車は危ないから抱っこにするぞ」
「……うん」
直樹はクルリと危なげなく優斗君を懐に抱きかかえる。
「お姉さん、いざとなったらこいつが下敷きになるので、大丈夫ですよ」
「……あの、なら、せめて」
ケラケラと直樹を下敷きにすると勝手に約束した大輔の安心する笑顔を見て、保育士さんは逡巡する。チラリと遠巻きにこっちを見ている保育士たちと子供たちの方を見る。
直樹は、ああ、と頷き、片足でケンケンと歩き始める。そのケンケンは頼もしいくらい安定していて、保育士さんはホッと息をついた。
Φ
「またね!」
「ああ、またな」
「またね」
直樹と大輔は器用に片足だけで屈みながら、子供たちに手を振る。あの後、優斗君だけでなく他の子からも直樹は抱っこやら何やらをせがまれた。
モッテモテだな、とそれを眺めていた大輔にも子供たちは群がった。松葉杖を銃にするとか言っている危険人物だが、傍から見れば丸眼鏡をかけた穏やかな青年だ。大地を想起させる優しい瞳は、子供たちからすれば安心するのだろう。
昼食頃になるまで二人は子供たちと一緒に遊んだ。
そうして二人は病棟が違うため、病棟間を繋ぐちょっとした広場で子供たちに手を振り、子供たちが去った後、どっと疲れた様子でそこにあった椅子に座った。
いくら異世界帰りで魂魄の力により肉体が強化されているとはいえ、そもそもの肉体は貧弱だ。まして、一ヶ月以上寝たきりで、ここ最近になってようやく松葉杖で歩くようになったのだ。
二人とも子供たちの元気にやられて疲れていたのだ。昼食すら食べる気力がないくらいに疲れていた。
「……なぁ、理性的で善良的な一般人をやれてるか?」
「やれてるんじゃない? というか、基本的に話し合いを尊重する、暴力は最終手段、命は大事に、を心掛ければいいんじゃない?」
「……お前が命を大事にとか、似合わないな」
「なんでだよ」
直樹は、いや、お前面倒だったら一回殺して、そのあと枷付きで蘇生させるじゃん、という視線を向ける。
死んだら生き返らせればいいや、と倫理観が壊れている大輔はその直樹の言外の視線を読み取り、しらッとした視線を向けた。
「人質に取られてた麗華さんの首ごと魔将の首を
「い、いや、あれは合意の上でったし、引きこもったのってその後、翔が失言したからだろ? 俺関係ないじゃん!」
……どっちにしろ、二人とも理性的で善良的な一般人ではないの確かだ。
まぁそれでも。
「平和でいいな」
「うん。王国なら兎も角、連邦国とか酷かったしね。子供があんなに笑って遊べるのは、本当に平和の象徴だよ。……それに診療所をテロリストが占拠することもないし」
大輔が遠い目をする。直樹はああ、と頷き、一生の不覚という表情をする。
「……あの時は師匠に会う前だったし、俺たちもめっちゃ弱くてな」
「ね。ホント、大試練に飛ばされるまで弱かったからね、僕ら。……けど、今思うと僕たち、巻き込まれ召喚だったからあんなに弱かったんだろうね」
「だろうな。ったく、翔たちは特殊職業で強力な魔法と
アホ女神め、と直樹がぼやく。
「そういえば、大臣に処刑されそうになったよね。反逆者とか何とかで。翔たちが執り成してくれたからよかったけど」
「けど、結局魔境に飛ばされたじゃねぇか」
「まぁね」
割と酷い思い出なのだが、二人とも楽しそうにそれを語る。実際、こうして生きているわけで、その後、色々な出会いや体験をした彼らにとって、それは笑い話でしかない。
後悔はある。失った人も物も多い。けれどもう一度やり直す機会を与えられても、魔境に飛ばされる道を選ぶだろう。異世界に召喚されるだろう。今までと同じ道を選ぶだろう。
積み重ねてきた過去に誇りがあるのだ。
そうして今後の方針を話し合ったり、またちょっと気になる事項を確認していたりした。ちょっとした広場なので入院者や看護師などが通るのだが、二人の会話を聞いてもなんとも思わない。
話している内容は荒唐無稽であり、こんなに堂々と話しているため、ただの冗談の言い合いをしていると思ったのだろう。
そうして昼食も取らず時間を潰し、三時近くになった頃。
「あ、にぃにぃ!」
「うん?」
ベビーカートに入っている子供たちの多くがしょぼしょぼと目をこすっている中、子供たちの病棟から出てきた優斗君は元気に手を振った。昼寝が終わり、少しだけ外の空気を吸いに来たのか。
どっちにしろ、直樹と大輔は口元を綻ばせる。
それからその子供たちと合流し、途中まで一緒にすることになった。途中間でしか一緒に行けないことに、優斗君はもちろん、他の子もウルウルと涙を瞳に溜めていたが、直樹と大輔がそれはそれは上手な言葉であやした。
流石に家族との面会をすっぽかすわけにはいかないし。
「じゃあな、優斗」
「……うん」
そして、別れた。
別れたのだが…………
「……おい、フラグを立てた極悪人、申し開きは?」
「……ごめんって。ところで、理性的で善良的な一般人って、魔法使うっけ?」
「使わないだろ。っつうか、なんか
「……けど、巻き込まれてるじゃん」
「まぁな」
ベビーカートに乗った子供たちに向けて二人の覆面が猟銃を向け、残る三人の覆面が周囲に猟銃を向けていた。
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魔法:魔力を使用し、世界に干渉する力。技術。
〝念話〟:魔力のパスで会話する魔法。修練すると魔力パスすらなしで会話が可能になる。