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Terminal Prison~天使の断罪
青峰輝楽
SFポストアポカリプス
2024年08月02日
公開日
34,593文字
連載中
この世界には、滅亡に至る予言がある。
『滅びの獣が世に出でし時、地の人は先祖の贖罪の為にその身を獣に屠られる』
数百年毎に解ける封印。獣の殺戮による人の血肉が、残酷な神に捧げる盃に満たされる。
僅かに生き残った人々が、何とか命を繋いで子孫を殖やした頃、獣はまた目を覚ます――。
いつ始まったか、いつ終わるかわからない。
予言なんて嘘だと思わなければ生きていけない。
17歳の霖と、恋人の竜は、それぞれ、求めるささやかな明日の為に戦おうとしていたけれど。
残酷な運命は、ふたりを引き裂いて――。

序章~1

 あと、3日で死ぬ。実感に乏しいけれども、それはたぶん、間違いのない現実。

 誰かに殺されるか。飢えで死ぬか、病で死ぬか、事故で死ぬか。

 死ぬと言えばだいたいがそうであって、老いて寿命で死ぬ人は稀、それが現実のこの世界。

 今日かも知れない、明日かも知れない、そんな漠然とした不安はたぶん誰もが抱えている世界だけれど。

 『その時』の宣告は、呆気なかった。


『秋野軍曹。病名は――、余命はだいたい三日。あ、これ、除隊に必要な診断書と書類。今からすぐ提出しといてね。お疲れ様』


 世界は、灰色から無色に変わった。


 何処へ行こうか。砂埃の舞う街道を前にぽつんとひとり、秋野霖は暫し途方に暮れた。

 除隊手続きを済ませた彼女の持ち物はもう、その背に負った大きなリュックが一つだけ。中には身の回りの品が少しと、護身用の大型のナイフ、保存食、水筒、薬袋、除隊時に受け取った僅かの金額の入った財布、手紙の束。あと、自分のものといえば、彼女の身体。残り三日で死んでしまう身体。それだけが、彼女のすべてだった。

 基地の門が背後に遠ざかり、街道に足を踏み入れる。乾燥地に強い植物の茂みがまばらに広がる砂地のなかに、辛うじてここが人間の世界だと示すように、すり減った石畳がまばらに顔を出している。

 簡素な旅姿の胸元に下げた守り袋を、硬く荒れた指でぎゅっと握りしめた。やっぱり、北に行こう。


―――


 戒暦3000年8月。人の住む唯一の大陸、その南部、チャイナス地方。見渡す限り、彼女が今、あとにしてきた基地の他に建造物は何もなく、ただ緑の殆ど見られない荒れた土地と、それを貫く名ばかりの街道があるだけだ。霖はもう一度、基地を振り返った。

 約10ヶ月、ここで暮らした。たまの休暇に街に出る以外殆ど何の娯楽もない、訓練と、主に夜盗に対する闘いに明け暮れる生活を17歳の霖は送ったが、別に辛いとは思わなかった。

 今の世の中では多くの者が、似たような暮らしかもっとひどい暮らしをしているからだ。度重なる戦で森は焼かれ土地は荒れ、頻繁に病が流行り、飢餓が蔓延った。秩序は乱れ、世を治める者はなかった。

 この地方では辛うじて、4つの都市とそれに寄り添う小さな村々の代表が集まった名ばかりの議会が、中部同盟と名乗り、半分自警団のような軍隊を組織していた。健康で盗賊でない数少ない若者は皆それに駆り出され、他地方からの侵略に警戒し、盗賊の襲撃に備えた。盗賊は絶えることがない。働くよりも奪う方が楽だという考えが、悪い水のように多くの人々の意識に浸透していた。


 霖の村では、5年前、村外れの家が襲撃に合い、一家が惨殺された。この地方の駐留部隊が駆けつけた時には、霖の幼なじみだったその家の娘が燃え盛る家の二階の窓から村の方を見つめていた。もうすぐ嫁ぐ筈だった家の方を。凌辱された彼女は、殺された家族と共に灰になることを選んだのだ。 

 軍が到着したのを見届けて初めて、霖たちは家の外に出るのを許された。それまで、村人は皆、固く扉を閉ざし、家の奥で息を潜めていたのだ。戦えるような男など殆ど残っていなかったのだから仕方がないとは言え、霖は激しい反発を覚えた。その出来事が、若い男は義務、女は志願者のみである軍務に就くきっかけとなった。幼なじみを救うこともできなかった軍だが、家の奥で子どもたちと震えているよりはましなことが出来るだろう。

 4年と少し、兵士として経験を積み、戦に慣れ、手は汚れたが、それなりに充実した生活だと感じていた。守るべきものを守って汚れた手だから、誇りにさえ思っていた。こんな時にきれいでいられるのは、弱い者と卑怯者だけだと。


 これまでの彼女の不満は、去年から同郷の許婚の竜と別の部隊に配属された為に、たまの手紙のやりとりしかできなくなってしまった事だけだった。人に心を開くのが苦手な彼女は、その抱えた淋しさを誰かに感じさせることはまったくなかったが、相部屋のアイシャだけは、一度、夜中に霖がランプを点けて、その日届いた竜の手紙を何度も何度も読み返していたことを知っていた。アイシャは彼女が泣いているのかと思ったが、そうではなく、ただ霖は、そのたった一枚の便箋に書かれた数行の文章を、繰り返し疲れて何も考えられなくなるまで、読んでいたかっただけだったのだ。

 霖はここに来て一度も泣いたことなどなかったが、昨夜は少し泣いてしまった。


(竜に逢いたい)


 もう逢えないなんて信じられない。竜にもう一度触れることも、抱きしめられることも、キスされることも、もうない。逢えずに、自分は死んでしまう。


 昨夜、医師にあと3日の命と言われた。

 腕と足に発疹が出て、軽い気持ちで医師に診せたら、そう言われたのだ。ウイルス感染で特効薬はなく、3~4日発疹が続いた後、発症して程なく死に至る、と。感染の原因ははっきりしないが、小さな傷口から風土病に罹ることはありふれたことだった。

 医師に診断されたら除隊が許される。絶望して、発症して苦しむ前にと自ら命を絶つ者もないではないが、大抵の者は運命を受け入れる強さを持っている。そんな運命の者を、皆既に身近に目にしたことがあるから、それがいつか自分になるかもしれないという覚悟もどこかに持ち合わせているのかもしれない。


 昨日までは、いろんな夢があった。こんな時代だから些細な夢しか持てないけれども、生きている限りは何かを願っていたかったから、霖はいつ実現するかはわからなくても、夢を見ていた。そして、それらは今、永遠に夢で終わるしかないと判ってしまった。例えば、家庭を築くこととか、そんな先の事じゃなくても、次の休暇に故郷に帰りたいとか竜に逢いたいとか、それくらいどうして許されないのか、哀しい。

 彼女のような者は除隊した後、もし故郷が近かったり逢いたい人が近くにいたりすれば、それはそこで過ごすけれども、そうした場所が遠かったり、なかったりした者は、近くの南の都市チャイナスに行く事が多い。都市にはある程度のものが揃っているから、有り金をはたけば、何もかも忘れて楽しい時間を送ろうと思えば送れる。実際どれくらい楽しめるかは本人以外の誰にも判らなくとも、取りあえず人の集まるそこに引き寄せられるのだ。


 しかし今、霖は北に行く決意をした。北にも勿論都市はあるが遠く、徒歩では一番近いテンプルシティでも数日はかかる。そこに至るまでは、街道沿いに小さな村が二つくらいあるばかりだ。名も知らない村で死ぬか、行き倒れるか……それでも北に行きたいのは、北のテンプルシティに竜がいるからだ。


(少しでも、竜に近付きたい……)


 その想いが、彼女の足を動かしていた。

 17歳の霖と二つ年上の竜は幼なじみで、家族ぐるみの付き合いをしていた。体格がよく腕っぷしが強く、凛々しい顔立ちでよく気の回る竜は、同性からも異性からも好かれる頼れる男だ。霖はそんな竜の側に子供の頃からいたが、彼を誇りに思わないことはなかったし、彼のすることを疑ったこともなかった。


「こんな強情な子が、竜ちゃんの言うことだけは聞くのよねえ」


 母がよく複雑な面持ちで言っていたものだった。

 竜は、霖が兵士になることを喜ばなかった。武術に秀で、人望もあり、少年と言ってもよい若さで既に一つの隊を率いていた彼だが、霖に対してだけは、軍の在りようについて不満を洩らしていた。

 この世界には法がない。罪人の処遇については、その場を仕切る者の裁量に任されている。法を、秩序を定める力が、最早疲弊しきったこの世界には生まれてこないのだ。世界は自浄能力を無くしてしまった。滅びゆく世界を救う可能性があるとすればそれは暴力であるはずがない、と竜は考えている。だが隊長の彼がそんな考えを不用意に口にすれば、士気が損なわれ団結が乱れ、部隊の破滅につながる。悶々としながらも竜は誰よりも多く敵を倒してゆく。

 霖は、竜の言うことは無意味な理想論に過ぎないと思いつつも、現実に立ち向かいながら理想をも捨てずにいられる彼を尊敬していた。

 竜だけを愛して、ささやかな幸せだけを願っていた。それ以上の望みなんてなかった。こんな世の中では、自分の力で叶う夢なんて、ささやかなもの以外あり得なかったし。


「あたし……が、何したって言うの」


 泣きながら昨夜、何度もアイシャに問いかけた。何も悪いことなんかしてないのにね。繰り返し呟きながら、アイシャも一緒に泣いてくれた。悪いことなんてしなくったって、幸せにはなれないんだよね。悪いことばっかりしてたって、幸せになれるんだよね。


 ひたすら歩き続けた。前に進むことを考えてる間は、他のことを考えなくていい。

 一歩一歩、竜に近付いていく。見渡す限り何もない。ぼろぼろの土が剥きだしたでこぼこの荒れ地、遠くの山や、空まで続く。土地を削るような疾風、巻き上げる砂埃、粗い布地のコートの隙間に入り込み、益々やりきれない気分にさせる。暑くも寒くもないけれど。違うものが着たい。違う人になりたい。こんなところを一人で歩いている自分じゃなくて、誰かの側でくつろいでいる人になりたかった。

 いつの間にか、胸が一杯になって立ち止まっている自分に気がついた。


「もお歩けないよっ……りゅうっ来てよお……」

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