――俺達が【カイキアス】を倒し、未踏領域を解放してから一週間が経った。
この一週間は、本当に慌ただしい日々が続いた……
俺とお嬢は、あらゆる方面からの取材や出頭要請で行ったり来たりを繰り返し、文字通り引っ張りだこ状態だったのである。
正直、軍にいた頃だってここまで振り回された経験はなかった。
「はぁ……」
何度目かわからないため息が漏れる。
「随分辛気臭いわね……。昨日まではもう少しシャキッとしていたと思ったけど」
「……ようやく解放されたと思ったら、一気に疲労がきてな」
俺の向かいに座るお嬢、シャルロットは余裕さを感じる優雅な佇まいで紅茶を飲んでいる。
「……お嬢は余裕そうだな」
「こんなのでも一応は貴族ですからね。人に囲まれるのは慣れているわ」
慣れる、か……
俺には到底無理そうな話である。
正直、山登りをしていたときの方が余程マシだった――とさえ思えるくらいだ。
なんとなくだが、俺の中での貴族に対する評価が少し上がった気がする。
「しかし、こうして見ると、やっぱりお嬢は貴族なんだなと実感する」
まるで人形の様に整った容姿、そして彼女が動くたびに弾む柔らかな美しい金髪。
こんな美しい少女が、あんな無骨なデウスマキナに乗ってるなどと、一体誰が信じられるだろうか。
実際この目にした俺ですら未だに信じられない。というか信じたくない。
……まあ、そんな自分を
「あら? もしかして私に惚れたのかしら? フフ♪ でも駄目よ。私は冒険一筋なんですからね!」
……そうそう、これだ。
お嬢はやはり、このくらいふてぶてしくなくてはな。
「ムッ……、何よその顔は」
「クックッ……、いや、お嬢らしいなと」
「ちょ、それどういう意味――」
『失礼します』
その時、お嬢の台詞を遮るように扉の外から声がかかる。
続いて開かれた扉の前には、執事のような格好をした若い青年が立っていた。
「お待たせしました。会長室へご案内いたします」
◇
「食えない爺さんだったな」
「本当ね……。あのグリズリーが、まさかあんな好々爺だとは思わなかったわ……」
グリズリーというのは、開拓者協会のトップである会長の本名である。
中々に凶暴そうな名前だが、実物は人の好さそうな爺様であった。
お嬢が言うには伝説の開拓者の一人であるらしいのだが、そんな雰囲気は一切感じられない。
……まあ、それこそがあの爺さんの食えないところでもあるのだが。
「しかし、ある程度予想はしていたが、やはり賞金は出なかったか……」
「そうね……。確かに大会自体は中止になったんだから仕方ないといえば仕方ないんだけど、中々にケチな話よね……」
「全くだ……」
俺にとっては切実な話であるため、結構ショックが大きい。
俺達は開拓者協会会長直々の呼び出しで、キャトルセゾン公国にある協会本部までやって来ていた。
ついに賞金が貰えるかと胸を高鳴らせていた俺は、その呼出の理由が全く異なっていたために、やや意気消沈気味である。
完全に沈みきっていないのは、一応の報奨金が出たからだ。
会長の話というのは、基本的に俺たちに対する賞賛であった。
未踏領域の踏破は、開拓者協会において実に数十年振り快挙であったらしい。
踏破自体は過去数年間に何件かあったのだが、それらは全て国や別組織によるものであり、開拓者協会はそのどれにも関わっていなかったそうだ。
だからこそ、俺たちの成し遂げたことは、まさに面目躍如とも言える快挙であり、今後の運営にも関わる光になったのだとか。
グリズリー会長は、それはもう嬉しそうに俺たちを褒め称えた。
今後の活動のフォローや昇級、めでたいことの目白押しで、俺もお嬢もノセられてついつい顔が緩んでしまったほどだ。
そんな目出度いニュースの中に、さりげなく大会の賞金が出ないことを告げられ、ようやく冷静になった頃、会長は既にどこかへ出張した後であった。
「まあ、一応この報奨金で直近の生活費はなんとかなりそうだが……」
貧乏人の俺にとっては中々の大金ではあるのだが、それでも優勝賞金に比べれば何十分の一かでしかない報奨金。
貴族であるお嬢にとっては、それこそ端金に過ぎないと思われる。
成し遂げた偉業に対しこの金額は、正直言って納得できていない。
「報奨金として見れば、一応間違った数字ではいないわ。色々と手順を踏んでさえいればもっと貰えたんでしょうけど、大会中止の損害やら何やらもあるし、ゴネてもきっと無駄よ」
「そうか……。しかし、お嬢は良かったのか? 目標だった優勝を逃したうえ、この報奨金……。しかも、昇級もBまでなんだろ?」
お嬢は今回の功績により等級が2つ上がり、Bランクになった。
ちなみに俺はCランクまで上がっている。
本来の手順をすっ飛ばしての昇級なので文句を言えるような立場でもないのだが、これにも正直納得のいかない部分がある。
「昇級自体はありがたい話だとは思うんだが、実際のところ今現役のAランクには未踏領域を完全踏破した開拓者は存在しないらしいじゃないか。ランクの扱いとしてはどうなんだ?」
十数年前までは存在したようだが、現在は全員現役を退いているとグリズリーは言っていた。
だからこそ出た俺の純粋な疑問に、お嬢はため息をつきながら答える。
「マリウス……、アンタ、CランクがBランクに上がるのがどれだけ大変かわかっていないの? 今回の昇級って、実ははかなり凄いことなのよ? それこそ前代未聞ってくらいにね。私自身もビックリしているくらいだし……。それに他人事みたいに言うけど、アンタだってEやDをすっ飛ばしてCになったじゃない? はっきり言って、昔の私が見たら絶対納得していないわよ?」
そんなものなのか……
正直、こればかりは俺の知識が足りていないため、反論する余地がない。
「それに、確かに優勝は私の目標の一つだったけど、もっと先の目標であった未踏領域踏破を成し遂げたんだから不満なんてないわ。……若干、棚ぼた感があるのは否めないけどね!」
嬉しそうに語るその表情に、嘘や偽りは感じられない。
まあお嬢がそれでいいなら、別に構わないがな……
「そうか。…………さて、お嬢、俺はこれで引き上げさせてもらうぞ」
「えっ!? もう帰っちゃうの!?」
「ああ、未納だった家賃の支払いや【パンドラ】のメンテもあるしな」
「家賃未納って……、マリウスって本当に貧乏だったのね……。あんなデウスマキナ持ってるくせに」
冗談だとでも思われていたのか……?
確かに、普通デウスマキナは高価なものだし、それを持っている時点で貧乏人とは言えないのかもしれないが……
「むしろ、俺にはデウスマキナ以外何もないからな」
「でも、デウスマキナがあればそれこそ仕事なんていくらでも――」
「俺は亡命者だからな。色々と事情があって、まともに仕事ができないんだ」
「そ、そうなの……。だったら、せめて【カイキアス】のパーツくらいは貰ったほうが良かったんじゃないの?」
「いや、コアは頂いたし、俺はそれだけで十分だ。正直、アレはオレの手に余るしな。お嬢が有効活用すればいい」
【カイキアス】の残骸については、多くのパーツを研究機関に提供することになっていたが、外装などの一部については、俺達にも取得権利が存在していた。
俺とお嬢はそれぞれ同等に権利があるため折半する必要があったのだが、俺はその権利を全てお嬢に譲っている。
【パンドラ】が災いを取り込むのに必要なのは
もちろん、オリジナルのデウスマキナの外装であれば十分な有用性が有るため不要とは言い切れないのだが、俺にはそれを加工する技術もなければ、費用も無い。
かといって売り捌くコネも手腕もないので、無用の長物になると判断したのだ。
「……じゃ、じゃあ、もし良ければ私のウチで働かない? 生活費が厳しいなら、私の分の報奨金もあげるわ! だから――」
早々に去ろうとする俺を、お嬢が矢継ぎ早に言葉を紡いで引き止める。
それに対し、俺はため息をつきながら振り返る。
「お嬢、お嬢の気持ちは嬉しいがその誘いには乗れない。俺は開拓者だ。開拓者として生きていきたいから、俺はこの国に亡命したんだよ」
それだけでは生活がままならないことくらい、十分に理解しているつもりだ。
仕事がなければ餓死する可能性があることも、身をもって体験している。
実際、この前までの俺であれば、お嬢の誘いに迷わず応じたであろう。
しかし今回の件で、俺の中ではやはり開拓者として生きたいという気持ちが大きな割合を占めていることを実感した。
だからこそ、これからも可能な限り開拓者として生きていきたいと思っている。
幸い、今回の件で等級も上がったため、依頼が受けれないということもなくなるだろう。
今の俺に、副業は必要ない。
「そ、そう、よね……」
悲しげに沈むその表情を見て、俺は思わず目をそらす。
悪いことを言ったなどとは思わないが、なんだか酷く罪悪感を覚えた。
「……じゃあ、行くぞ。……またな、お嬢」
俺は逃げるように背を向け、足早にその場を去ろうとする。
「ま、待って!」
その背中をお嬢に掴まれ、俺は強制的に制止させられた。
「……なんだ?」
「……さっきのは、本心で言ったことじゃないわ」
「さっきの、とは……?」
「ウチで働かないかってヤツよ……。本当は、アンタにウチで働いてもらいたいだなんて思っていないわ! アンタって、デウスマキナのこと以外はてんでダメそうだしね!」
「ぐぬ……」
「? 何よその顔は?」
図星を突かれて痛い顔である。
「えっとね……、さっきのは、何でもいいからアンタを繋ぎ止めたいと思って出た、上辺だけの台詞よ。本当は……、アンタに、私のパートナーになって欲しいって、思っているの……」
「お嬢……」
「勘違いしないでよ!? 開拓者としてのってことだからね!? アンタは色々と駄目なところが目立つけど、デウスマキナの操縦技術だけは凄いと思うわ! それに、開拓者としての志も十分にある! ……だから、改めて言わせてもらうわ! マリウス、私の
それは、実にお嬢らしい誘い文句であった。
俺は、一緒に行動する中で彼女のことを認めていたし、ある部分においては尊敬すらしていた。
……正直、彼女とこれっきりの関係になるのは残念だと思うくらいに。
お嬢の言葉に、自然と笑みを浮かべていた自分に気づく。
俺はどうやら、心のどこかでその言葉を待っていたのかもしれない。
「……了解した。これからも宜しくな、シャル」
「っ!? ……え、ええ! これからたくさん振り回してあげるから、覚悟しなさいよ? マリウス!」
「ああ、望むところだ!」
――――この瞬間より、俺達の、世界を切り拓く挑戦の物語が始まりを告げた。