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第31話 話が通じるって素敵です

こんばんは。

今週も時間がありましたので、

統合失調症エッセイを書きに来ました。

ウェブ投稿している身とすれば物知らずだったのですが、

プロッターとパンツァーという言葉があるとか。

プロッターとは、小説の形を決めてから書くタイプで、

パンツァーとは、勘で書き出すようです。

なるほどなぁと思いました。

私は、ネオページの方にいくつか小説を投稿していますが、

プロットはあまり書きませんね。

斜陽街は、大体何話はこの題材で書く、程度で、

ゆるっとしています。

実験的短編集も、単語だけ出していて、

そこからイメージだけ膨らませて毎回書いています。

耳かき職人は完全に勘で書いています。

このエッセイなどは、題材をいくつか出していて、

今回はなんとなくこれを出すかという感じです。

母のエッセイも、題材だけメモして選ぶ感じです。

母に関しては題材が多いので、

どれを選んでも文字数が結構なことになって、

題材の中でも書き切れなかった題材を別の回に回しています。

愛の手紙も題材をいくつか出して選ぶ感じです。

一話で収まるものは、大体題材選び程度で、

物語の流れの枠組みなどは考えていないですね。

最近始めた週刊勇者ダイゴくんは、

これはダイゴくんの方のあとがきにでも載せるべきなんですけど、

甥っ子のダイゴくんかわいいという気持ちで書き始めたものですので、

ダイゴくんに自我が芽生えて、

せいぜい幼稚園に入る頃には連載終わらせようと思っています。

なにせ、ダイゴくんのご両親から、

ダイゴくんが生まれたときから、

天使で完璧だというのを書いてくれと言われましたので、

今のところノリノリで書いています。

ダイゴくんの成長次第で毎週の書く内容が変わりますので、

これはパンツァーなのかなぁ。

プロットは書いてないしなぁ。

とにかく自由に書いていますので、

多分そのあたりは契約作家向きではないのだと思います。

いくつも同時に自由に書けるのは、契約したらできないと思いますので、

とにかく楽しく書くこと。まずはそこからです。

契約云々の前に、

統合失調症持ちとしましては、

渦巻く言葉を外に出し続けないと大変になるので、

楽しく言葉を書き続けられれば、それが生きることになります。

呼吸みたいなものです。

心地よく呼吸ができれば気持ちいい。

プロットは上手く書けませんが、

心地よく呼吸をするような気持ちで自由に書いています。


さて、今回の題材です。

今回は、話が通じるって素敵です、です。


私は統合失調症持ちで、脳がポンコツです。

多分感じることも考えることも、

少しポンコツなのだなと思います。

もしかしたら、見る人が見ればかなりポンコツに見えるのかもしれません。

そのあたりのポンコツ度合いはわかりませんが、

まぁ、私は脳がポンコツです。

言葉はいつも脈絡なくぐるぐる回っていますので、

発言するまでに言葉を整えないと、

おかしな発言になります。

言葉を整えるというプロセスを踏みますので、

発言までにちょっと間があるのが私の普通です。

正確な言葉を選んだりしたいので、

反射で発言はしづらい性格です。

脳は基本ポンコツですが、性格は変なところで真面目かもしれません。

また、真偽のほどが定かではない情報を話す際には、

その旨を枕詞に入れますし、

これは雑談なんですけどと、雑談の場合には枕詞に入れます。

私が今から話す話についてはこう受け取って欲しい、と、

枕詞に入れる癖があります。

私の中でいつも言葉がごちゃごちゃしていますので、

整頓して発言したものは、しっかり意図を理解してほしい。

そんな思いから、会話に枕詞を入れて、

この話題については私はこんな意図をもって話しますと言っています。


とにかく、言葉を正確に理解してもらいたいという思いはあります。

このエッセイなどは私がパンツァーなのでめちゃくちゃなつくりになっていますが、

私はこんなことを考えているという点においては、

脳内の書き写しに近いエッセイかもしれません。

その、私の脳内書き写しの言葉が、誰かに通じたら、

それはとってもうれしいなぁと思います。

私の言葉が通じてくれた。

それはとっても素敵なことです。


今回のエッセイの最初に書きましたように、

結構な数の小説を書いていて、

小説として枠組みを決めずにかいているのがほとんどです。

一話完結物などは文字数のカウントを見つつ勘で書いていますし、

エッセイなどは大体まとまればそこで区切りますし、

会話の時と違いまして、言葉を整頓してから発言するというプロセスを、

小説の場合は飛ばしているような気がします。

この話題についてはこんな風に感じて欲しいという、会話の際に入れている枕詞も、

多分小説やエッセイなどにつきましては、

枕詞よりも、とにかくこう感じているという、

私の感覚そのままで書いています。

執筆は、私の呼吸であると同時に、

私の表現そのものであると思います。

私が私を表すもの。

これらの言葉は私の中にあるものそのもの。

その言葉たちが誰かに通じて、

七海トモマルはこんなことを感じているのだなと誰かに通じてくれたら、

私は一人でないと感じることができるのです。

脳はポンコツではありますが、

通じる言葉を書くことができる。

その言葉が誰かに届く。

私の感覚を誰かが少しでもわかってくれる。

それはとても素敵なことです。


SNSは少し疲れます。

流れてくる投稿をながめていると、

話の通じないものが流れてきたり、

会話として成り立っていない返信の応酬があったり、

おまけに流れてくる投稿には脈絡がありません。

下手に眺めているとヘトヘトになります。

時代の流れについていけないんだなぁと思うと同時に、

おそらくポンコツの脳がいつも言葉でぐるぐるしているから、

さらに情報が多いものをながめると疲れるのだろうと思います。

まぁ、向いていないってことですね。

執筆に集中しているとき、

休憩にSNSを見るものじゃないとは思います。

私の場合ですと、執筆の集中が途切れて、

脳がとても疲れてしまいます。

全然休憩になりませんので、

息抜きは別の手段を持った方がいいと思っています。

何がいいかは模索中です。

疲れない創作物を軽く読むのがいいかなと思いますが、

創作物を読むと執筆がそちらに引きずられそうで、

そのあたりも考え中です。

創作物は大体ちゃんと通じるように書かれていますので、

創作物の世界にちゃんと入り込んで理解できます。

理解すると執筆の癖もそちらに流れそうなので、

どうしたらいいかなぁと思っています。

理解できる創作を作れるというのは、

それだけの力があるということでもあります。

力を持った創作物というのは、やっぱりすごいのですよ。

何かしら創作をしている方は、

皆様その力をもっと自覚するべきです。

創作をして、その世界に引きずり込める力を、作者は持っているのです。

そのすごい力を自覚すべきです。


話が通じることは素敵なことです。

理解しようと思ってくれる存在がいるということでもあります。

言葉を理解しようとしてくれる存在は、

とても大事なものであると思います。

このポンコツの脳から生まれた言葉を、

読んでくれる誰かがいることは財産です。

あいかわらず脳の中はまとまりがありませんが、

書きたいことはまだまだありますので、

なるべく通じる言葉で執筆ができればと思います。

がんばります。


また、時間がある時に、

統合失調症エッセイを書きに来ます。

お暇がある時に読みにいらしてください。


ではまたいずれ。

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