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第30話 愚か者だと思う

こんばんは。

今週も時間ができましたので、

統合失調症エッセイを書きに来ました。

お彼岸を過ぎてから途端にあたたかくなって、

花粉がひどく飛んでいるように感じられます。

私は花粉症も持っているので、毎日のお薬が欠かせません。

来週には桜の便りも届くでしょうか。

また、今週までにあちこちで卒業式などもあったかもしれません。

春は出会いも別れもあるものと聞きます。

統合失調症になって苦しんでいた頃は、

季節感なんてほとんどなく、

昼夜逆転をして毎日が苦しいものでした。

起きているのはほとんど夜で、

昼間の気候や季節の風などを感じない日々もありました。

そんな病状が出る前、変わり者だけど学生をやっていた頃は、

やはり春というものが特別であったと記憶しています。

春になると何かが変わる。

期待も不安もありました。

新しいことがたくさんある季節でした。

ソメイヨシノのピンク色が、記憶の中で鮮やかな季節でした。

統合失調症になって、季節感がなくなっても、

春という季節のイメージだけは、

記憶に残り続けたものでした。

多感な時期の記憶は残り続けるものですね。

どれだけ脳がポンコツになったとしても、

学生の頃の記憶は、ずっと残り続けるのですね。


さて、今回の題材です。

愚か者だと思う、です。


私は統合失調症ということで脳がポンコツですが、

それを差し引いても愚か者だと思います。

要領よく生きられませんし、

すぐに騙されます。

うまく自分の意見を主張することもできませんし、

強く生きることもできません。

とにかく、愚かで弱いものだと自覚しています。

統合失調症という病気の部分がなくても、

私はかなり愚かであると思っています。


まぁ、賢いふりをして生きることに疲れたというのがあるかと思います。

学生時代はそこそこ成績は良かったのですが、

学生時代の途中から、

病的なほどに眠くなってきて、

成績がガタ落ちしていきました。

学生時代は夜更かしはしない方でしたが、

体育の授業まで居眠りしていたので、

今思えば相当病的だったと思います。

とにかく居眠りで成績は落ちていきましたが、

下手に成績がいい頃があったので、

賢くあった頃のプライドがあったように思います。

進学をしていって、短大時代の途中に統合失調症が発覚して、

短大を中退して、引きこもりになって、

その頃も、賢くあろうとする、プライドみたいなものがありました。

わからないけれど賢いふりをする。

それがわからないと聞けない。

恥をかきたくないから黙る。

賢いふりをだいぶ続けましたが、疲れました。


自分の程度を知るというのが疲れないなと思っています。

自分ができることよりも、さらにできるように見せると、

結局のところ疲れます。

賢く見せようというのが、私の場合そうでした。

私はそれほど賢くない。

多分周りにいいように使われていますし、

わからないことも山ほどあります。

専門知識は専門家ほどわかっているはずがありません。

わかっているふりをしてもいいことありません。

わからないは、わからない。

小難しい言葉を使う必要もありません。

私のわかる程度の言葉で書けることもあります。

私は、賢い人間から見ればかなり愚かです。

愚かではありますが、素直で真面目でありたいと思います。

嘘がつけないことが愚かであるのならば愚かな方がいいと思います。

嘘はつけませんが、余計なことに関しては黙ります。

たくさんしゃべることが賢いことであるのならば、

私はしゃべらない方を選ぼうと思います。

そっちの方が疲れない、それだけです。


執筆に関しましても、

賢く見せようというものは少ないように思います。

愚かというものではないのですが、

私が理解できている言葉を使うことを心がけています。

なんというかな、腑に落ちている言葉、と、言いますか。

付け焼刃の賢く見える言葉でなくて、

使い慣れた、私の思考の血肉になっている言葉を使うようにしています。

それから、造語を使うこともありますが、

漢字であれば、漢字の熟語でどんなものか、

だいたい想像がつくものを選んでいます。

漢字はその文字に意味があるので、

それを並べれば大体造語であっても意味が分かる。

そのあたり日本語は楽でいいなと思っています。

英語圏は英語圏、その他の言葉でも造語というものはあるのでしょうが、

見て大体通じるというのは楽でいいなと思います。

その辺賢く見せようと思わないで執筆していますと、

下手な力が抜けて執筆ができます。

余計な労力を使って執筆をしていますと、

次の言葉が出てこないような気がします。

私にとって執筆は、何度かエッセイに書きましたように、

癒しでもありますし、頭の中の言葉を吐きだすものでもあります。

執筆にいちいち難しい言葉を考えて書いていますと、

頭の中の言葉が詰まってめちゃくちゃになります。

物語であれば、とにかく筆を止めないように。

エッセイであれば思考の速度と同じくらいに。

とにかく筆を止めないように書く。

統合失調症持ちですので、言葉に詰まると思考があちこち飛びますから、

執筆は書道の筆を滑らせるように書く。

執筆の時は止めないことに集中です。

頭の中からどんどん言葉が出てきますので、

それを書いていくような感覚です。

どんどん出てくる言葉を、無理に賢い言葉に変換しようとしますと、

そこでぶつりと途切れてしまって、

思考が飛んでしまいます。

そのあたりもありますので、

私の血肉になっている言葉を使うというのがしみついています。

賢い言葉、見栄えの良い言葉は使えません。

あくまで私の中から湧いてくる言葉を書くだけです。

私の場合は、それが一番疲れなくて、

一番思考と執筆が一致するのです。

まとまった物語にはなりませんが、

一番私の思考が出ている、

私の書いた物語になるのです。

頭の悪い物語やエッセイかもしれませんが、

下手に背伸びしないので、いくらでも書けるような気がします。

私は私。

賢くはありませんが、

ここに足をつけて、私の文章を執筆しています。

お金をもらわずに文章を執筆すること自体が、

愚かと言われるかもしれませんが、

私は書かないと思考がめちゃくちゃになりますので、

これからも執筆を続けると思います。

それが私の生きることかもしれません。


私は愚かな方です。

愚か者と呼ばれる方の人間です。

毎日を要領悪く生きて、

おまけに脳はポンコツです。

それでも何かと生きやすくなりました。

執筆で思考を形にしているのも大きいですけれど、

私の暮らしの、周りの皆様に恵まれています。

プライド高く孤高の賢い人になるよりも、

私のポンコツ具合を自分で理解したうえで、

私なりに皆様と笑顔で生活できたなら、

愚か者でも幸せになれると思うのです。

まぁ、賢い方はもっと別の幸せを得られるのでしょうし、

何がどうあれ結局幸せを掴めれば、いいのです。

幸せな人は多い方がいいですし、

苦しみはなるべく少ない方がいいです。

いろんな環境にいる人が、

それぞれの幸せを見つけられたのならば、

賢いも愚かもなく、それが一番いいことです。

愚か者の私は、そんなことを思います。


今回のエッセイは、愚か者の私のことでした。

統合失調症で脳がポンコツですけれど、

今は結構幸せです。


また、時間がありましたら、

統合失調症エッセイを書かせていただきます。

毎週書けるかはわかりませんが、

とりあえずは時間があったらということで。


ではまたいずれ。

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