こんばんは。
少し時間がありますので、エッセイを書きに来ました。
日付をまたいで翌日投稿かもしれませんので、
最初と最後で言ってることがつじつま合わないかもしれません。
統合失調症エッセイに関しましては、
台本も予定調和もないもので、
あくまで題材に関して私が何を感じたかを勢いで書いております。
題材に関しましては、いわゆるサブタイトルにするところでして、
統合失調症と付き合ってきた人生を振り返って、
頭の中にある言葉を拾ってつけているような感じです。
その拾った言葉から、肉付けするように統合失調症エッセイを作っていきます。
肉付けという作業というのもありますし、
また、私が感じたことを書くという作業でもありますので、
私の中に常に渦巻いている言葉たちで、
エッセイを勢いで描いております。
正しい例えではないかもしれませんが、
渦巻く言葉で綿あめを作るような感じかもしれません。
綿あめは勢いが肝心かと思います。
ゆっくり作る綿あめはないように思います。
そんな、歪な綿あめのような勢いで書いておりますエッセイです。
時間を置きますと、なんかおかしいぞということもあります。
統合失調症持ちですので、そもそもの感覚がずれているかもしれません。
まぁ、私が感じていることを勢いに乗せていつものように書いております。
言葉の綿あめを食べるような感覚で、
構えず気楽に楽しまれてください。
つらいことも経験してきましたが、
読み手の皆様につらいことを追体験してほしいわけではありません。
統合失調症患者の私が、何か書いているなぁと、
ちょっとつまむ程度の気持ちで読んでいただけたら幸いです。
さて、今回のタイトルです。
そうだドライブに出かけよう。です。
私は自分用の自家用車を持っています。
住んでいる北関東の田舎町は、自家用車がないと何にもできません。
バスなんてほぼありません。
駅までかなりの距離があります。
通勤は自家用車が無かったらできません。
日々の買い物も自家用車無しではアウトです。
実家では学生時代は自転車で事足りましたが、
結婚した先では、自家用車無しでは何にもできません。
このあたり、車社会の田舎町ならではというところです。
都会でも自家用車無しではどうしようもないところがあるのかな。
そのあたりは都会を知らないのでよくわかりません。
さて、自家用車を運転するには自動車免許が必要です。
自動車免許は、引きこもり時代に取りました。
引きこもり時代は、自分は何もできない、価値がないと思っている節がありました。
家にずっとこもっていればいい、
いや、その頃は部屋から外に出ることもあまり好きではありませんでした。
こもっている場所だけが安全だと信じたかった。
部屋の外はみんな敵だと思っていたかもしれません。
そんな中、家族から発破をかけられて運転免許取得のために動きました。
正直億劫でした。
運転免許を取るために、自動車学校に通い、
数々の難題を突破しないといけません。
どうしてそこまでしてと思いました。
とにかく身分証明になるからとっておけと家族は言いました。
私が引きこもりに戻ろうとすると、とにかく行けとまた発破をかけました。
なんとかがんばって、運転免許を取りました。
取った運転免許証をながめて、
あ、出来たんだと思いました。
引きこもりを越えて得たという、すごい感動というものではなく、
私って、免許取れるんだと。
出来たんだ、と、思いました。
定期的に免許をしばらく更新して、
数年後に結婚することになって、
親は結婚のときに軽自動車を持たせてくれました。
今でも乗り回している愛車です。
北関東の田舎町を、小さな軽自動車で自由に乗り回しています。
あの時発破をかけて運転免許をとらせてくれた家族には、
やはり感謝があります。
結婚の際に自家用車を持たせてくれたことにも、感謝です。
運転免許がなければ、私は外に出られませんでした。
運転免許は私にとって外に出るためのパスポートのようなものです。
パスポートは基本海外に出るためのものですが、
私にとっては、あの時部屋から外に出るためのパスポートとして、
運転免許をとったのかなと思います。
そして、小さな軽自動車でどこにでも行けるようになった。
そんな気がします。
今は、通勤に小さな軽自動車に乗り、
会社帰りにどこにでも寄り道ができます。
スタバによることもあります。
スタバでドライブスルーもできます。
このところスタバで執筆の案を練っていますので、
なんだか顔が覚えられているようです。
スタバと限らなくても、
ガソリンが続けばどこまでもいけるような気がします。
カーラジオをかけながら、ドライブすることもあります。
ラジオを聞き流していますと、
いろいろな話題が耳に飛び込んできます。
私が選曲しないような曲が流れてくることもあります。
ラジオを聞いていますと、
私の脳の使われていない場所をこねられるような感覚になり、
また、その感覚が運転の邪魔になりません。
執筆に行き詰まると、
とりあえず距離を置くことをしています。
執筆は基本家のパソコンでしていますので、
家から距離を置く。
執筆から思考の距離を置く。
物理的にドライブに出て距離を置く。
そんなわけで、行き詰まるとドライブに出かけます。
スタバでコーヒーを飲んで落ち着けることもありますし、
コンビニでジャンクフードを買って、車の中で食べることもあります。
どこかの駐車場で運転席のリクライニングを倒して、
車の鍵をかけて横になることもあります。
いつもは行かないようなお店に行って、
普段ならば見ないようなものを見て回ったりもします。
楽しいのは酒屋さんですかね。
自分では飲まないような洋酒などの品ぞろえを見ていますと、
なんとなくワクワクするものです。
どれもこれも、自動車免許があって、自家用車があって、
どちらもそろっていなければできないことです。
私にとって、ドライブは、自分の可能性でもあります。
引きこもり時代から、外に出るパスポートとして、
なんとかがんばって運転免許をとれた。
そして、この町をどこまでもいける軽自動車。
私はできることがある。
決して何もできないわけではない。
車を運転していますと、私はまだ可能性があるのだなと思います。
できることはまだあると思うのです。
統合失調症持ちですと、
運転免許の更新などの際に、心療内科や精神科のお医者様からの、
診断書の提出が求められます。
多少面倒ではありますが、
それを補って余りあるメリットがあると思っていますので、
しっかり診断書を提出しております。
ドライブに出かけることは、これからも執筆を続けるにあたって必要なことです。
ドライブに出て得られる刺激は、
執筆を続けるにあたってかなり重要なものであると思っています。
執筆も私にとって必要な癒しの作業でありますが、
ドライブもまた、私を癒してくれる自由だと思うのです。
どこにでも行ける足があるような感覚でもあります。
私は、どこにでも行けて、何にでもなれるのかもしれません。
これからも、安全運転で、ドライブに出かけようと思います。
また、気が向きましたら統合失調症エッセイを書きたいと思います。
いつになるかはわかりませんが、そのうちなんとなく勢いで書くと思います。
次回も投稿しましたら、綿あめつまむくらいの軽い気持ちで読んでください。
ではまたいずれ。