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第22話 ヒーローになりたかったです

こんにちは。

今週は休日に大きな予定がないので、

のんびりエッセイを書かせていただいています。

少し前まで、かなりの疲れやすさが慢性的にあって、

休日は慢性的な疲れを何とかするための日。

そんな休日の使い方しかできない期間がありました。

執筆もできなくて、悔しい思いをしましたね。

ここしばらく、休日はおおむね元気に過ごせています。

元気が出ない人向けの漢方薬、補中益気湯とか、

身体のエネルギーを作るための、ビタミンBの類のサプリメントとか、

あと、必須アミノ酸の入ったスポーツドリンクとか、

そのあたりをとってみたりしています。

あと、休日でも夜は日付が変わる前に寝ていたりしますと、

早起きが可能になって、身体がすごく楽ですし、

朝から使える時間が多い気がしますので得した気分になれます。

早起きは三文の得と言いますが、

朝から使える時間はお金で買えないような気がしますので、

三文よりも得している気がします。

でも、休日の寝坊も心地よくていいので、

こうしようというわけではありません。

休日はおやすみの日です。

心地よく過ごせたならばそれが一番いいのです。

慢性的な疲れで執筆ができなくて悔しい思いをしてきましたので、

何とか元気になるようにいろいろしていますけれど、

平日はへとへとになるまで働いていますので、

やっぱり休日はおやすみする日でありたいですね。


さて、前置きはこのあたりにしまして、

今回のタイトル、ヒーローになりたかったです。

このことについて書きたいと思います。


まぁ、統合失調症持ちではあります。

脳が比較的ポンコツでして、時折考えが極端に狭くなったりもします。

悪いことを考えて、しばらく鬱状態になったりすることもあります。

身体が調子悪かったり疲労を抱えていたりしますと、

それが脳に連動して、ちょっとしたことで自分は消えればいいと考えることもあります。

このあたりは今までのエッセイでも書いてきたと思いますので、

私の傾向としてのおさらいです。

さて、ヒーローになりたかったとは。

いろいろ脳に問題を抱えている私が何でそう思うのか。

書きながら自分を見つめなおそうと思います。


幼い頃、戦隊ものヒーローを見ていました。

女の子ではありましたが、変身する少女よりは、

戦って何かを守りたいと思っていました。

ちなみにかなり古い時代ですので、

変身して戦うプリキュアはまだいない頃です。

戦隊ものにおいても、当時は女性は、ピンクをあてられていて、

他の男性のヒーローとはちょっと違う感じがしていました。

なんというかな、ヒーローの中でも守られる存在。

私はそれとは違うものになりたいと思っていました。

戦隊ものヒーローにおいて、サポートでなく、前衛に出るような存在。

率先して誰かを守る存在。

ああなりたいなと幼い頃に思っていました。


成長してきますと、ヒーローというものは、

幼い頃に憧れたもの、遺物の存在にさせられていきます。

ある程度の年代になると、

ヒーローとは幼稚なものとされていきます。

特撮ヒーローも、漫画のヒーローも、

その世界の中でだけいるものであり、

そんなものに憧れるのは幼稚とされていきます。

現実とはヒーローが何とかしてくれるものではなく、

要領のいいものが上に上がっていくもので、

政治家は汚職をしているし、大人は汚いし、

ヒーローが守る正義なんてない。

ヒーローが倒すべき巨悪もない。

現実にはそんなものは存在しないとされていきます。

誰かを守れるヒーローなんて、現実にはないとされて、

私の中で、誰かのヒーローになるという考えは箱に仕舞われて蓋をされました。


転機は東日本大震災です。

北関東の田舎町で、私は被災しました。

嫁いでいった妹は、当時臨月にありました。

近所に住んでいましたので、

実家に戻ってきてもらいました。

嫁いでいった妹には、幼い娘がいて、

臨月と震災で大変な間、

私は姪っ子の相手をしました。

たくさんの不安が小さな身体にのしかかっていたと思います。

この子を守らなくちゃと強く思いました。

震災で田舎町もあちこち壊れました。

その道を踏みしめながら、

私ができる限り、なんとかしようと思いました。

何の力も無いかもしれないけれど、

その手はまだ動く。

幼い姪っ子の手を握ることはできる。

声をかけることはできる。

寄り添うことはできる。

巨悪をやっつける正義のヒーローはいないかもしれません。

それでも、いることによって安心させるヒーローというものはいます。

それが、誰かを守るヒーローというものかもしれません。

私なりのヒーロー像ができたのは、このあたりの経験からかもしれません。


それから、数年して、結婚して、

北関東の田舎町をまた田舎町に引っ越します。

結婚生活が落ち着いて、

パソコンの環境と自由時間が取れるようになったころ、

pixivに投稿を始めます。

いわゆる二次創作になります。

投稿を続けていく間に、とあるシリーズを始めました。

癒しどころシリーズというものです。

これは、癒しどころ花鳥風月という施設において、

さまざまの癒しを施してくれるのを、

文章として読みながら体感できるような小説です。

施術者のセリフと、音の表現だけの小説となっています。

このシリーズを書き続けていますと、

こんな癒しが欲しいなどのリクエストが舞い込んできました。

私はそのリクエストをひとつひとつ仕上げてきました。

リクエストをいただいた方からのお礼の言葉があるたびに、

ああ、どこかの誰かを癒すことができたと思うのです。

顔は見えないですけれど、

誰かを笑顔にすることができた。

私が執筆することによって、誰かの心を守ることができた。

それもまた、私ができるヒーロー的なことではないかと思ったのです。

私はヒーローになりたかったです。

誰かを守るヒーローになりたかったです。

pixivに連載されていたシリーズを通して、

執筆においても誰かを守れると、ヒーロー的なこともできると。

そんなことを感じたりもしました。


今、pixivの方の連載は一区切りをつけております。

里親の登録をしていますので、

いつかやってくる子どもさんのために、執筆はある程度セーブしています。

子どもさんの笑顔を守るということ、

それもまた、私が目指したヒーローなのかもしれないと思います。

脳はポンコツです。誰かの力を借りないといけません。

決して完璧ではありません。

できることは限られています。

それでも私の心には私なりのヒーローがいます。

誰かを癒したい、守りたいと思うヒーローがいます。

そのヒーローの発露が、執筆であったり、里親に登録するということであったりします。

すごい力があるわけではありません。

ありきたりの存在です。

あの頃特撮のヒーローに憧れていた私は、

私なりのヒーローを持つことができました。


統合失調症になって、出来ないこともありましたが、

できることや守れるものを数えてもいいと思うのです。

脳はポンコツですが、何もかもすべてができないわけでもありません。

少しできるものの中に、ポンコツのヒーローを加えてもいいかなと思うのです。


今回のエッセイはこんなところで。

また、気が向いたらエッセイを書かせていただきます。

感染症が流行っていると聞きます。

皆様におかれましても体調管理はしっかりとなさってください。

笑顔で元気が一番です。


では。

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