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第16話 助けてほしいけれど誰にだろう

こんばんは。

時間ができましたので、久しぶりの統合失調症エッセイになります。

最近、名もなき愛の手紙なるものをノンジャンルで連載しております。

そちらは時間が許す限り、毎日更新を目指しております。

今回は休日ということもあり、

こっちも書きたいなと思ってゆるっと書いております。

あんまり夜更かしすると、心にも身体にも悪影響ですので、

あんまり時間がかかるようでしたら、翌日に持ち越すかもしれません。

持ち越した上で書いたりして、

最初と最後がぶれてしまうこともあるかもしれません。

まぁ、あいかわらずまとまらない書き手だなと思って、

苦笑いでもしながら読んでいただければ幸いです。


さて、今回のタイトル。

助けてほしいけれど誰にだろう、ですが、

統合失調症ならではなのか、そのあたり判別つかないので、

私の感じたこととして読んでいただければと思います。

私は統合失調症持ちですが、

心と身体、どっちかが不調になると、

もう片方も引きずられて不調になる度合いが強く、

メンタルがやられると身体がめちゃくちゃ不調になるし、

身体のどこかが不調になりますと、

メンタルがどこまでも不調になります。

健康な人にもその傾向があるのかどうなのかはわかりません。

あくまで、私はこうですと言うことで。

とにかく、心身、どっちかのバランスが崩れると、

両方共倒れというわけです。

それもあって、心身の健康には気を遣うようになりました。

不調を抱えては、やっぱり苦しいし、苦しいのは嫌ですからね。

不調を何かしら抱えたときに思うのが、

誰か助けてほしい、です。

なんとかしてほしい、誰か助けてほしい、どうにかしてほしい。

そんなことがぐるぐると回ります。

先に述べたように、心も身体も一緒にバランスを崩しがちですので、

不調で思うように動けない上にメンタルボロボロになります。

誰かこの状態を何とかしてほしい。

助けて助けてと頭の中でぐるぐるするのです。

しかし、ある程度心身回復してから思うのですが、

実際誰に助けてもらいたいんだろうかと。


私の最近の不調ですと、

気候の変化による体調の崩れが主なものになります。

まぁ、秋になるにあたり、気温の変化があって、

身体がついていかなくてひどく疲れる、ともにメンタルがやられる、などです。

家事をこなしつつ、疲れ切って休んでいますと、

この状態を誰か助けてほしいと頭の中でぐるぐると回ります。

ただ、どう助けてほしいなどの具体的な要望が回っている訳でなく、

なんとかしてほしいが回っている感じです。

例えばですが、旦那に何か助けてほしいわけではないんです。

旦那は家のいろいろなことに気が付いてくれまして、

よく私を休ませてくれます。

私の不調を旦那がどうにかしてくれるわけではないし、

とにかく休むことが一番の薬ですので、

旦那に助けを求めている訳ではありません。

また、医者にどうにかしてほしいわけでもありません。

疲れに効果のある漢方薬を出してもらっていますので、

とにかく休めばなんとかなるのです。

ただ、不調になると誰かなんとかしてほしいが回るのですが、

具体的に誰というわけでもないのです。


ずいぶん過去になりますと、

学生時代や統合失調症なりたての頃は、

誰かなんとかしてくれと望んでも、

誰も助けてくれないと体感したこともありました。

ただ、私が助けの手を振り払っていたのかもしれませんし、

助けの手を見ていなかったのかもしれません。

私だけが一番つらい、誰も助けてくれない。

そう思ってしまうことが、心と身体が病んでしまうということなのかもしれません。

誰か助けて、どうにかしてと願うのに、

助けの手が見えていなくて、

誰も助けてくれないと心を閉ざしてしまう。

そんなことが私にもあったから、

今、誰にどんな助けを求めていいか、わからないのかもしれません。


とにかく、心身ともに不調になったときは、

休むのが一番と思いつつ、

執筆に関しては何か書かなくちゃと思っています。

誰かが読んでくれているとも限りませんが、

誰か助けてと頭の中でぐるぐる回っていることに対する答えが、

もしかしたら私にとっては執筆なのかもしれないと思います。

誰か助けての答えは、

私が私だけの物語を執筆する、なのかもしれないと思います。

うまく説明できませんが、

執筆は、私の生き様そのものかもしれないと思います。

メンタルがどれだけ不調になってしまっても、

例えば、このまま消えてしまった方が全ての存在のためとまで思い詰めたとしても、

それに対する私の救いは、私だけの物語を書き続けることなのかもしれないと思います。

執筆は私の生き様であり、私の呼吸のようなものかもしれないと思います。

ここに私がこうして生きている。

どれだけ心身病んでしまっても、

私はまだ書くことができて生きている。

誰か助けてと願いつつ、助けの手を取れなかった私は、

誰にどう助けてほしいのかがわからないですけれど、

助けてほしい誰かというその場所に、私の執筆する物語を置きます。

私が書かなければ、物語は完結しません。

私が書かなければ、世界は始まりませんし終わりません。

執筆する物語は、私の箱庭でもあります。

そこに私は、救いや癒しを見るのだろうと思います。


少し回復してきますと、

周りにいろいろな人がいて、助けてくれるのが感じられます。

心身病んでいますと、それが見えなくなります。

それはトンネルの中にいるようであり、

なんとか出口に行きたいのに、

真っ暗な中で、出口がどちらかわからないようなものです。

私がどれほどの闇を感じていましても、

心配をしてくれる存在はいました。

統合失調症は、多分完全に回復はしないと私は感じています。

だましだましですが、

私自身の心身の調子を整えつつ、

助けてくれるたくさんの手を、今度は見失わないようにして、

どんな風に助けてほしいか、ちゃんと伝えられるようになったらいいなと思います。

そうして助けを求められるようになったら、

きっと物語にも深みが増すと思います。


今回のエッセイはこの辺で。

また、何か思いついて、時間がありましたら書きます。

執筆は生き様だと思いますので、

私の調子っぱずれな生き様を読んでいただければと思います。


ではまた。

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