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第15話 自分の属性がないと自分が消えてしまう感じ

こんばんは。

連休中に書きあげようと思って、

とにかく書き出しだけを書いています。

金曜日の深夜に書きはじめましたので、

ある程度まで書いたらアルコール飲んで寝ます。

本当は統合失調症の薬の効き目を強めてしまうため、

アルコールはご法度なのですが、

休日前の深夜にだけ飲んでいます。

今夜はエビスビールです。


さて、さっそく本題に入りましょう。

今回のタイトルは、自分の属性がないと自分が消えてしまう感じ、です。

属性って何だろうかということになりますので、

とても大雑把に言いますと、

このお話の限りでは、自分を表現するもの、ですね。

私七海トモマルであれば、

統合失調症、事務職しながら執筆、女であること、

漢方薬を飲んでいること、アルコールを好むこと、

太っていること、視力が弱いこと、体力がないこと。

ざっとこんなことが挙げられますね。

これらのいろいろな事柄を総合して、

七海トモマルの属性であるわけです。


属性は、物語やキャラクターだともっとわかりやすいです。

例えば、外見的なもの、

中肉中背の男、これも属性ですね。

その彼が、ものすごい魔力的なものを持っている。

それもそのキャラクターの属性ですね。

さらに属性を加えると、

何かと面倒ごとに巻き込まれるとか、

困っている人をほっとけないとか、

とても口が悪いとか、

それらも全部属性です。

あと、食べ物に対する態度なんかも、属性を決めるのにいいとかどうとか。

いろいろな属性をまとめて、ひとつの個性としてのキャラクターができます。

とても大雑把にキャラクターをまとめると、そんな感じです。


じゃあ、自分の属性がなくなるって何だろう、ですが。

私が私たる確固たる個性のようなもの。

この個性は、自分だけだと思っていたもの。

それが、ありふれた属性であった場合。

または、その属性が本当は自分とかけ離れていた場合。

私は私の確固たるものを失うと感じたことがあります。

これを読んでおられる皆様にしてみれば、

なんでそんなことでというレベルですが、

私が感じたままに書いておりますので、そんなことを感じるんだと思っていただければ。


私を表現する属性としまして、

私は真面目で優しい、そうあるようにしていました。

真面目で優しく、人を癒す文章を書く。

それが私を表現する属性であると、自分自身信じていました。

ただ、本当に私はそうなのだろうかと感じてしまっていて、

疲れてぐったりして片付けができないのは、真面目とは言い難いです。

片付けができないことを指摘されて、黙りつつ嫌な気持ちを持つのは、優しいとは言い難いです。

そしてまた、文章も思うように書けません。

私を表現する属性と信じてきたものが、

このところことごとく消えています。

他にもいろいろあるのですが、

羅列すると長くなりますので、さっさと話を進めます。

私とは何だろうか。

私を表現する、私独自の属性や個性とは何だろうか。

私が信じてきた本当の私とは何だったのだろうか。

そもそも、私というものに真実はあるのだろうか。

私を表現してきた属性は、

どれもこれもありふれています。

それを組み合わせることによって、私が成り立っていました。

先程述べた、キャラクターの属性の組み合わせみたいな感じで。

ありふれた属性であっても、

属性の組み合わせ次第で、

いくらでも個性を作ることができると思っていました。

その個性にちゃんと名付けをすれば、

物語の上ではキャラクターとしてちゃんと存在できます。


ただ、それが私であると、そうもいかないかなと思います。

ちょっと考えながら書くので、視点や文章が散らかるのはご容赦願いただきたいです。

物語のキャラクターは、

作者がキャラクターを客観して属性を組み合わせていきます。

作者が属性を組み合わせていって、

キャラクターの個性を組み上げていって、

個性が決まったところで、物語の中で行動させる感覚です。

キャラクターの個性が決まるまでは、

作者という客観的視点から、属性が組み合わせられるように思います。

これが、私という自分のことになりますと、

私のことは主観しか見ることができません。

自分を上手く客観視できる人は、それほどいないんじゃないかなぁと思います。

せいぜい、こんな風であろう自分を思い描くだけであり、

自分というものが、完全に客観視した自分をとらえることができないように思います。


だから、完全な客観としましては、

他人という存在が必要になってきて、

他人に属性を認めてもらうことにより、

自分の属性はこうであったかが認識できるのではないかと。

そして、あなたはこうだよねと属性をつけてもらうことにより、

私はこうであったのかと立ち現れる個性があるのかと思います。

これは、完全な一人では属性が持てないことにも通じるかなと思います。

例えば、ネットもしていない、完全に部屋にこもっている人は、

社会との接点が少なすぎて属性がとても少ないと感じていただければと思います。

存在しているかどうかわからない、そんな感じを想像していただければいいかと。

私という存在は、いろいろな組織を渡り歩きつつ、

そこで属性を得て、役割を持って、

なんとなく自分の属性らしいものを獲得していこうとしているのだなと思います。

ですから、私は真面目で優しいと信じていた私の属性も、

確たるものとは限らず、流動的に変わるものなのかもしれないと思います。

私に属性を与える存在は、組織にしろ他人にしろ、

たくさんのものがあります。

それらすべてが同じ属性を与えるとは限らないと思います。

いろいろな方向から、私の属性を獲得する。

それは、ありきたりな属性かもしれませんが、

少なくとも属性をたくさん持っていると、

いくつかの属性がこれじゃないとなったときに、

自分の確たるものを壊滅的に失うことは避けられます。

社会で生きるって、そんなことかなと思います。


私は統合失調症です。

いろいろなところに所属しつつ、

その先々でいろいろな顔を見せています。

真面目かもしれませんし、優しいかもしれませんし、

そのどれでもないかもしれません。

執筆も調子が悪いと定期的に書けないかもしれません。

私はここにいると言い切れないほど弱くなることもあります。

どうしようもない時は、深呼吸ひとつ。

そして、今まで執筆してきた物語たちに思いを馳せます。

私という存在は脆くて弱いです。

それでも、執筆した物語はあり続けます。

執筆して物語を書くことは、

私を私たらしめる生命活動に近いのかもしれません。

私のすべての属性が消えて、私という存在が希薄になっても、

私の物語はどこかに残り続けると思います。

それがきっと、私の確たるものなのだろうなと思います。


途中でお酒を飲んで寝た翌日に再開して書きましたので、

あいかわらず散らかった文章です。

また何か、思いつきましたら文章を書きます。

題材は何一つ決まっていません。

次回も気ままに統合失調症エッセイが書ければと思います。


ではまた。

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