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第12話 勇気づける曲は聞きすぎない方がいいかも

お久しぶりです。

あまり執筆ペースを上げることはできませんが、

統合失調症のことについて、吐きだせるところがここにありますので、

時間が出来ましたら、思ったことを書ければと思います。

平日は事務員として働いて、家では家事をして、

何かと時間が使いにくくあります。

ただ、もし何か転機があったとして、専業作家となったとしても、

それはそれで執筆が進まなそうだと思いますので、

なんとか時間をやりくりする方がいいのかもしれないと思います。

執筆に集中できたら素敵だなと思いつつ、

働きながらでないと稼ぎになりませんので、

現状では、時間のやりくりが最適解です。

今回の話は時間の都合上、一気に書けないと思いますので、

数日にわたってこの話を書くと思います。

投稿するのは第12話になりますが、

執筆に時間がかかるかと思います。

日をまたぎますので、最初と最後でまとまりがなくなるかもしれません。

なんとかチェックしつつ書こうと思いますが、

まとまらなかった場合は、やっぱりなぁと笑い飛ばしてください。


さて、タイトルに戻ります。

今回は、勇気づける曲は聞きすぎない方がいいかも、です。

このエッセイを読まれている方は、

大体、何かしらの曲を耳にされたと思います。

こんな気分の時にはこの曲、などもおありでしょうし、

このアーティストの曲が好きもおありでしょう。

ですから、聞きすぎない方がいいとは何か、

しかも勇気づけてくれているのにと、思われると思います。

そのあたり、ポンコツの脳のことと書ければと思います。


私は幼い頃から、どうやら変わっていたようです。

今ならば発達障害と括られていたかもしれません。

愛着障害もあったかもしれませんし、

機能不全家庭だったかもしれません。

とにかく、最近になってこれらの言葉が出てきて、概念が出てきたので、

今となってはこれかもなぁと思いますが、

当時はそんな概念自体ありませんでしたので、

なんだか変わった子どもであったようです。

変わった子どもはいじめのターゲットにされます。

小学校から中学校へはほぼ持ち上がりでしたので、

その間、いじめられていることなどは、親にも何も言わずにいました。

親も気が付かなかったようです。

さて、私のかわいそうなお話は、さらっとこのくらいにしまして、

親も何もしない、ただいじめられている、教師も味方でない。

そういったときに味方になってくれるのは、

図書室の本、そして、音楽でした。

時代がバレることですが、

いわゆるヴィジュアル系が出てきた頃。

激しい音楽は私を奮い立たせました。

刹那的であり、とがっていて、攻撃的でした。

私はこの音楽を聴いて、心に武器を持った気持ちになりました。

誰にも負けない、限りなくとがった武器。

いじめられてもヴィジュアル系の音楽がある。

私を奮い立たせる音楽がある。

私はまだ戦える。

音楽は私を勇気づけて戦わせてくれました。

何度も激しい音楽を聴いて、

この音楽とともに戦おうと思ったものでした。


高校生までその音楽に傾倒して、

やがて短大に入り、統合失調症になりました。

短大は中退して、しばらく引きこもりになりました。

その頃になりますと、戦う相手がいきなりなくなってしまいました。

引きこもってしまいましたので、

攻撃してくる誰かもいません。

ただただ、何もしたくなくなりました。

統合失調症から来る鬱みたいなもの。

この鬱的症状を何というのかはわかりませんが、

とにかく気力がなくなりました。

自分なんていない方がいいとか、

そういった考えの方にシフトしていって、

攻撃的な音楽を聴いて奮い立たせるには、心身ともに病んでしまいました。

引きこもりつつ、心療内科に通院をして、

薬を飲みつつ、仕事をしたり辞めたり、

落ち着いてきたあたりで、結婚をして、

今は、薬を飲みつつ、仕事も落ち着いています。


さて、あの時あれほど私を奮い立たせてきた音楽でしたが、

今ではもう聞くのがつらくなってしまいました。

攻撃的でとがったあの時の音楽を聴きますと、

周りから理由がわからず攻撃されていた頃を思い出してしまいます。

もはや音楽がトラウマを思い出すスイッチになってしまっています。

あの時心に武器を持たせて奮い立たせてきた音楽が、

今は、戦場から帰ってきた兵士の心的外傷のきっかけになってしまっています。

あの頃私にとって学校は戦う場所でした。

小さな建物にすぎませんでしたが、戦場でした。

その頃を思い出して、つらくなってしまって、もう、聞けないのです。

学生の頃は、とにかく攻撃的な音楽を聴きまくりました。

流行りの音楽なんて軽いものと最初からバカにしていました。

だから、当時の音楽がわかりませんし、

私の中の懐かしい音楽というものが、

ぽっかりと欠落しています。

あの頃こんな曲が流行ったよなというのが、

私の中で何もなくなってしまいました。

過去の思い出に浸れる懐かしい音楽が存在しないのです。


奮い立たせる音楽は、あまり同じものを聞きすぎない方がいいと思います。

その音楽が、つらい思い出のスイッチとなってしまいますと、

好きだった音楽が聞けなくなってしまいます。

それは、思い出の喪失です。

音楽は何かをしながらでも聞けるものです。

その気になれば聞き流して、それでも寄り添ってくれるものです。

何気なく聞いた音楽が失われるのは、

記憶に穴が空くのと同じです。

ですから、つらいときに奮い立たせる曲は、

あまり同じようなものを聞きすぎない方がいいです。

今ですとサブスクというものがありますね。

たくさんいろいろな曲が流れると聞きます。

音楽を分散させることも、思い出を守るためには必要かなと思います。

あの時何気なく聞いた曲。

そこから色々な思い出をよみがえらせることができます。

よみがえった思い出は、記憶の中でいろいろな脚色が施されます。

その脚色こそが、物語であるのだろうなと思います。


私の思い出には、音楽のない穴が空いています。

そこを、物語で補修しています。

脳がポンコツになっておりますので、

考え方も歪み気味です。

こんな文章を私が読んだら、

私は心地よくなるかなと。

そういった思いで執筆をしています。

いつか音楽の消えた記憶に、物語で補修が施されて、

私の脳内に何かの音楽が流れだしたらいいなと思います。


二日かけて今回の話を執筆しましたが、

ある程度勢いで書きましたので、

粗があるかと思います。

仕方ない書き手だなぁと笑ってください。


気が向きましたらまた投稿します。

いずれまた会いましよう。


では。

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