目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報
第9話 正解を出し続けることに疲れる

こんばんは。

なんとなく気が向いたので何か書きます。

統合失調症と執筆について書いているシリーズですので、

今回も、そんな感じのお話を書ければと思います。


今回は、正解を出し続けることに疲れる、です。

統合失調症は、今まで私が頭の中を整頓しつつ書いてきたとこから察するに、

多分、外部からの刺激を過剰に受け取りすぎて、

いわゆるポンコツの脳が変な挙動を起こすのかなと、

まぁ、私がそう感じるだけで、実際のところはよくわかりません。

下手に調べて知った気になるのは危険ですからね。

さて、正解を出し続けること、このことについて。

多分この文章をお読みの方は、

学校のテストというものを経験したものと思います。

正解ならば丸、正解を求められるものです。

また、幼い頃の家庭においても、

これはやってもいい、これはダメと、

ある程度の正解を示されたものと思います。

年齢を重ねていくにつれて、

ノーヒントで正解を出さなくてはいけないことが増えました。

社会人の方は、ある程度経験があるかと思います。

ヒントがなくて正解を出そうとしたのに、

これじゃないと言われたようなこと。

相手が何を求めているのかヒント無しで察しようとして、

色々がんばったのだけど、

正解ではなくて、場合によっては怒られる。

それでも正解を出し続けなければいけなくて、

ほとほと疲れてしまうというお話です。


多分ですけれど、

統合失調症患者は、本当は無条件で生きていていいというのを、

求めているんじゃないかなと、

まぁ、私は少なくともそれを求めています。

ただ、無条件でというのが信じられないんだと思います。

統合失調症と診断されてから、

何かしらの結果を出さないと、生きていてはいけないと思うようになりました。

生きる意味のある者だけが生きていい。

脳が壊れた自分は生きていてはいけない。

何かしら生きる意味のあることをしないと生きていてはいけない。

それくらいのことを考えていました。

ですから、条件がないと生きていてはいけないくらいのことを考えました。

そのうちのひとつが、正解を出し続けることです。

相手の求める正解を出し続けること。

正解を察すること。

不正解を出した途端、生きている意味がなくなる。

それくらいのことを考えていました。

空気を読み、ヒントを探し、相手の顔色を見て、

その相手の求める正解を出し続ける。

正解を出し続けることが存在していい条件と思っていました。

正解を出せなくなったら必要とされない。

必要ない存在は生きていてはいけない。

極端な考えと思われるでしょうが、

当時はそれくらいのことを考えていました。

今もまだその傾向はあります。

無条件で生きていていいとは、まだ、どこか思えないでいます。

このあたり、認知がまだ歪んでいるのだと思います。


とにかく正解を出し続ける。

それはとても神経を使うことです。

何ひとつ間違えられないというのは、

かなりのプレッシャーで、それがいつもです。

どれもこれも難問で、それらすべてに正解し続けなくてはならない。

そんな神経の使い方をしていたら、疲れてしまいました。

統合失調症は、多分外部の刺激に対して脳がバグを起こしています。

外部からの刺激に対して、

なんでそんなことを考えるのというような考えを持ちます。

他人の表情や、場の雰囲気、その時聞こえた音、

それらの刺激が脳に変に伝わって、おかしなことを考えてしまうバグです。

脳が壊れてるんだなぁとしみじみ思います。

多分ですけれど、

私にはそれほど正解を求められてはいないのだと思います。

何気ない会話であるならば、

思ったことを何気なく言う、

その程度の反応しか期待されていません。

決して、何気ない会話の完全な正解など求められていません。

私は完全などは求められていません。

多分もう少し不完全であることに慣れればいいんじゃないかなと思います。

間違ってもいいんだと、

世の中の大抵の存在は完全に正解を出している訳じゃないと、

ちゃんと認識できたらいいんだろうなと思います。

今はまだ脳がポンコツですので、

認知が上手く整ってくれません。

このあたりは統合失調症のシリーズ書いていくうちに、

上手く認知を言葉にして整えられたらと思います。


そういえば、物語などを執筆をするにあたり、

ちゃんと物語のペース配分を決めたことはありません。

ある程度物語の世界や登場人物が伝わって、

なんとなく読んでいて心地いいなと思えたらいいなという程度で、

きっちりとこれを書くとか、

世界設定はきっちりとこれとか、

そういったものは決めていないように思います。

物語の執筆において、私は私自身に完全な正解を出していないのかもしれません。

そして、完全な正解の物語でなくても、

物語は私が始められて、

書いていれば私が終わらせることができる。

私が書けば、それは私の物語で、

どんな形の物語であっても、

私の中のとりあえず答えであり、

誰にとって正解でも不正解でもない、

本当に、私だけの答えなのだと思います。

誰の顔色をうかがうわけでなく、

私の出したい答えを出していいのが、

今のところ、執筆という作業なのかもしれません。

この統合失調症患者のシリーズも、

完全な答え無しに書いています。

正解というものはいまだにわかりません。

ただ、こうして書いていることによって、

私の中で考えを言葉にしていって、

私の心の輪郭みたいなものがわかればいいなと思います。

このシリーズは私の癒しでもあります。

認知の歪みを知る、その手掛かりでもあります。

統合失調症は完全に治らないと思います。

それでも、少しは疲れない生き方をしたいと思い、

こうして執筆を続ける次第です。


また気が向きましたら何か書きます。

お付き合いいただけると幸いです。


ではまた。

コメント(0)
この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?