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第5話 他人の怒りの終わりがわからない

今日もつらつらと統合失調症のことを書きます。

なんだか改行が上手く出ないので、ちょっと読みづらいらしいです。

ネオページの方にお問い合わせを入れましたところ、

改行の方は近日中に直したものが実装されるらしいです。

素早いお返事でしたので、驚きました。

多分コピペなんかの投稿も楽になるんじゃないかな。

そしたら、ネオページももっとにぎやかになるのかも。

私はあいかわらずここで変なエッセイらしいものを書いてますが、

他の小説投稿サイトで投稿したものを、

気が向いたらネオページにも投稿していきます。

統合失調症の文章につきましては、

ネオページ限定です。

ブログもやっていますが、ここまで統合失調症のことを書き連ねたのは初めてです。

誰かが読んでくれたのならば、それでいいですし、

統合失調症ということは、心や脳を病むということはと、

少しでも興味を持ってくれたり、

なにより、読んでくれた方々が、ご自身の心身を大切にするきっかけになれれば、

書いてよかったなと思います。


ここの前に改行が入りますが、実装されるまでちょっと詰まってて読みづらいと思います。

改行のちゃんとしたのが実装されるまで、ちょっと我慢してくださいね。

でも、改行が詰まっていても読んでくれる人がいると思ったら、

それはそれでとってもありがたいことです。

私のような脳がポンコツの人の文章は、

改行云々の前にもしかしたら読みにくいかもしれませんが、

本当に、読んでくれてありがとうございます。

頭の中の言葉をそのまま書いている代物ですので、

話があっちこっちに飛びます。

なるべくついていけるように書きたいと思います。

脳はポンコツですが、そのあたりの気遣い出来たらなと思います。


さて、今回の本題に入りましょう。

他人の怒りの終わりがわからない、に、ついてです。

ええと、この文章を読んでいる方で、

怒られたことのない方はいないと思います。

何かしらで怒られた経験はおありかと思います。

家庭で怒られなくても、学校で怒られたとか、

社会に出たら職場で怒られたとか、

まぁ、怒られるような場所はいっぱいありますから、

一度も何も怒られたことのない方はいないものとして話を進めます。


統合失調症というか、その診断が下る前から、

私は他人の怒りの終わりがわかりませんでした。

例えば、幼い私が何か悪いことをして怒られた。

そうですね、怒ったのは親としましょう。

親がとても怒っています。

私は泣きますし、謝りますし、反省します。

このあたりは幼い頃ならば大体経験しているものとしますね。

ただ、私は親の怒りの終わりがわかりません。

数時間経過して親がケロッとしていますと、

ものすごく混乱します。

私の中で、相手の怒りは一生、いや、永遠に続くものと思っているのです。

ですから、親が怒ったことを忘れていても、

私の中では、何日、何ヶ月、何年、何十年過ぎても、

親は怒り続けていると心のどこかで思っています。

これは、例に出した親だけでなく、

全ての相手でそう思っています。

何か失敗したことで怒った相手は今でも怒っているとか、

会社で怒っていた相手は今でも怒っているとか、

たとえその相手が忘れていたとしても、

私は相手がまだ怒っているものと考えてしまいます。

怒りの終わりがわからずに、

相手の怒りというものは、永遠に続くものと思ってしまっているのです。

ここで注釈入れますが、

ここで出している怒りは、暴力暴言はありません。

せいぜい、こんなんじゃダメだろ、程度です。

幼い頃であれば、危ないことしちゃダメッ、と、きつく言われた程度です。

殴られたことも無ければ、

人格否定もありません。

バカくらいは言われたかな。

ただ、それでも怒りの終わりがわからなくて、

私のことを怒った人たちは、

今でも怒り続けていると思っている節があります。

だから、怖いんですよね。

世の中全てが怒りを向けているようで。


認知の歪みは重々承知ですが、

この怒りはここまでと言ってもらった方が楽ではあります。

終わらない、存在しない怒りにおびえている節があります。

このあたりは物語を執筆するにあたって、

登場人物の心境が刻々と変化していくのを、

上手く描けていないことにつながっていそうな気がします。

物語が出来事として進んでいくけれど、

登場人物の心が一貫しているというか、

よく言えばブレない、悪く言えば成長しない。

一人の人物の心というものが、

大きくいろんな方向に振れるのを描けていないような気がします。

でも、物語をひとつ完結させると、

登場人物の心の旅もひとつ終わりになります。

完結させた物語はたくさんあるわけではないですが、

出来事を通して、心の旅をちゃんと完結させる。

物語をちゃんとまとめる。

それを繰り返すことによって、

怒りが永遠であるという、おそらく認知の歪みも、

ちゃんと終わりをつけることができるようになると思います。

私に向けられた怒りは、いつの間にか終わっているかもしれない。

それは、相手の中で怒りの物語が完結したから。

その完結した感覚を、私は物語を執筆して理解しようとしているのかもしれません。

まだ完全に怒りの終わりを理解することはできませんが、

物語を書き続けることによって、

心は移ろうものであるとか、

怒りは永遠でないことが、

書く言葉で何となくわかってきているような気がします。

いかんせん、統合失調症なので、脳の認知の歪みがあります。

一度脳を派手に壊した状態ですので、

今でもなんとかだましだましです。

それでも、執筆ということを通して、

少しは認知の歪みが癒されて、生きやすくなれればいいなと思います。


また何か題材見つけましたら、

ここに何か続きを書きます。

このシリーズを書くことで、自分を見つめなおしている節もあります。

あまり読みやすい文章ではないかもしれませんが、

また読んでいただけるとありがたいです。


ではまた。

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