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第4話 心が病んでいると助けた人を恨む

今日もつらつらと統合失調症のことについて書きます。

私は統合失調症を患って、

ある程度引きこもり生活をしまして、

遠回りしましたが、なんとか社会生活しています。

前の話に書きましたが、

体調悪いとあいかわらず心の調子もおかしくなります。

このあたりは、まぁ、なんかおかしいというサインを見逃さないようにして、

どうにかこうにか、ポンコツの脳と付き合っています。


物語を執筆するにあたり、

ある程度は私の中の常識が出てくるのは仕方ないなと思います。

どれだけ型破りな登場人物を出すにしても、

まずは私の中で型がないと型破りができない、ような。

今まで私が生きてきた中で、培われてきた常識というものが、

登場人物たちの基本の型になるのは、

まぁ、想像がつくかと思います。

あとは、小説をたくさん読んでいれば、

いろいろな登場人物の形を学ぶことができます。

物語を楽しみつつ、なるほどなと登場人物を学んでいます。

物語の作り方も、学ぶことはたくさんあります。


さて、今回のタイトルのことに移りましょう。

心が病んでいると助けた人を恨む、ことについてです。

統合失調症が落ち着かなくて、鬱状態になっていた頃、

実家で引きこもりになっていた私を、

親は少し距離を置きつつ、支えてくれました。

決してベタベタするわけでなく、

今日は起きられるか、起きられなければ寝ていていいよとか、

ご飯ができたから食べてとか、

とにかく、親の方も統合失調症を理解していなかったと思います。

ある日突然子供が何もできなくなったと思ったかもしれません。

それでも根気強く手を差し伸べ続けたのは、

やはりすごいなと思います。

今となっては、こうして感謝をするのですが、

脳が壊れて、心が病んでいるときは、

まず、なんでこれをしてくれないんだというのが先立ちます。

これもこれもしてくれた、なんでこれもしてくれないんだ。

そんな感情になって、

助けてくれたことを恨むようになります。

一度手を差し伸べたならば、

完全に回復するまでその手を離すな。

病人の要求はすべてかなえろ、自分は病人なのだから。

差し伸べた手を引くのは裏切りだと思ってしまうのです。

このあたりが、心が病んでいる特徴なのかもしれません。

甘えといえばそうかもしれませんが、

心が病んでいるさなかにいると、

その認知の歪みがわかりません。

助けの手を差し伸べた人も、すべてを助け続けることはできません。

できないことだってあります。

時間的なこと、体力的なこと、経済的なこと、

いろいろな要因があります。

それらの理由から、出来ないということもあります。

心が病みますと、その出来ないことが裏切りに感じられて、

今まで手を差し伸べてくれた存在を恨むようになります。

してくれたことに感謝ではなく、

してくれなかったことを裏切りだと思って恨むのです。


このあたりの認知の歪みは、しばらくありました。

今も調子が悪い時はこの認知の歪みが出ます。

この認知が歪んでいると気が付いたのは、

物語を読んで、物語を執筆している時でした。

統合失調症発症の頃、いくつか前の話で、

昼夜逆転でインターネットやオンラインゲームをしていたことを書きましたが、

その頃、枕の周りに何冊も文庫本を置いて、

とにかく読んでいました。

乱読というやつです。

物語が頭に入らないのであまりお勧めはしませんが、

入り組んだ路地裏のような物語を作るにはいいヒントになります。

とにかく、文庫本を読んでいて、

ある程度の常識を感じました。

大体において、助けられたことを恨むのは、

ちょっとズレているぞと書かれていたように思います。

助けられて恨むのが正しいとは書かれていなかったように思います。

また、執筆するにあたって、

登場人物を作っていって、世界観を作っていって、

心地いい世界の物語を作ろうとしていたら、

誰かが助けてくれたら恨むというのが、

なんだかおかしいぞとなったのです。

助けてくれたらありがとうだというのが、常識であって、

助けられたのに恨むという感覚が、

執筆にあたってノイズになっているのに気が付きました。

この感覚はこの感覚として登場人物に使えるかもしれないけれど、

この、逆恨みのような感覚は、執筆する世界の常識ではない。

私は執筆において、心地いい世界を目指しています。

自分の好きなものを詰め込んだ、箱庭のような世界を目指しています。

箱庭の世界をちゃんと書ききって、

私の中で正しく結末まで描くのが、

私の中の執筆であり癒しです。

その箱庭の物語の中で、

助けてくれた誰かを恨むというのは、常識ではない。

癒しを求める世界においては、その認知は歪んでいる。

執筆していてようやくそれに気が付きました。

自分の求める執筆による癒しが、認知の歪みを教えてくれたのだと思います。

もっとメルヘン的に言えば、

自分の作った登場人物たちが、

その考えはちょっと違うよと教えてくれたのかもしれません。

執筆する物語が、病んだ心を癒してくれたのかもしれません。


脳はあいかわらずポンコツです。

薬を毎日飲んで、なんとか社会的に生きています。

今度車の免許の更新があって、

統合失調症は心療内科の主治医の診断書が必要です。

めんどくさいなぁと思いつつ、

通勤には車が必須なので、

近日中に診断書を取るのと、

免許の更新をします。

診断書もただじゃないから普通の人よりお金がかかる更新になります。

あんまり更新ごとにお金かけたくないので、

いつも安全運転でゴールドです。


また、気が向いたら続きを書きます。

頭の中にはあいかわらず言葉が渦巻いてます。

お付き合いいただけると幸いです。


ではまた。

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