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第2話 地獄も救いも脳の中にある

まぁ、今回もつらつらと書きます。

タイトルにはざっくりと、

地獄も救いも脳の中にあると書きましたけど、

実際、苦しいと感じることも、幸せだと感じることも、

脳の認知次第かなと思うんです。


前回、脳が壊れたとか書きましたけど、

医者が何か説明したわけでないので、

素人目線なので話半分で読んでくださいね。

本で読んだ限りですと、ドーパミンが適切に出ないので、

統合失調症になって、幻覚幻聴が起きたり、

認知がおかしくなったりするわけです。

どこに行っても見張られているとか、

真顔の人間はすべて私に対して怒りを覚えているとか。

扇風機の音が、死ね、死ねと聞こえるとか、

そのくらい認知が歪みます。

それを、脳が壊れていると表現しました。

私の体感で壊れてると思っただけですので、

もっと適切な言葉があるのかもしれません。

ただ、体感として、一度派手に壊れてポンコツのままなんとかやっているという感じです。


さて、脳の中の地獄と救いについて書きます。

脳が壊れて認知が歪んでこう感じると書きましたが、

まぁ、適切な言葉は、生きているだけで地獄という感じでした。

生きていてごめんなさい、

生きているだけでみんなの迷惑になっている。

生きていちゃいけないとよく考えていました。

統合失調症になって間もなくは、

何にもすることができませんでした。

食べて寝て排泄する。

生きている意味なんてないと本気で考えていました。

役に立つ人間だけが必要とされる社会であるのならば、

私のような人間はいなくなるべきだと本気で思っていました。

当時の日記がまだデータとしてパソコンの中にあります。

苦しみがつづられていて、

まさしく地獄を感じていました。

執筆に取り掛かったのは、

当時ネットで知り合った彼氏です。

今となっては元カレです。

かれこれ12年付き合って別れました。

まぁ、それはあまり語ることではないから、

今回はさらっと。

このシリーズ書き続けていたら書くかもしれませんね。

彼氏が言うのには、何か物語を書いてみたらどうかということでした。

彼氏も執筆して、いろいろの小説賞レースに投稿していたようでした。

今となっては別れたので小説をやっているかはわかりませんが、

途中から、文章を書くよりも、プログラミングをすることが楽しそうになっていましたね。


さて、当時の彼氏に言われて、物語を書くことを始めてみました。

一番最初の物語を書いて、当時のホームページに上げたのが、

ざっと前世紀です。20世紀です。

当時は一話完結の短編を書いていました。

起承転結を流れを作って書くのが、

なんと言うかな、箱庭を作るような気持ちになりました。

同時に、自分の中に物語があることにも気が付きました。

脳は地獄を感じていますが、

そうでないことも考えられるのだと感じました。

元彼からは最後まで感想をもらうことはできませんでした。

それでも、物語と言う私の箱庭を手に入れられたことは大きいです。

物語の中では、私の好きなものを配置して書くことができます。

地獄のない世界を作ることができます。

何かの邪魔をする登場人物を出すのがストレスならば、

私の物語では出さないこともできるのです。

そして、前にも書きましたが、

物語は私だけが完結に導くことができるのです。

好きな物語を好きなように書いて、自分の思った最後まで導く。

物語の中に、私の苦しみを出して、

物語の中で癒すこともできます。

物語を通して、私は癒しの手段を手に入れました。

執筆をすることで、私の認知が穏やかになっていきます。

体調が悪いとあいかわらず認知がおかしくなりますが、

物語を書く癖がついているので、

自分の中に別の誰かを作ることが容易です。

いわゆるキャラクター的なものですね。

体調不良ですごく落ち込んでいるときに、認知がおかしくて脳が地獄を見ているときに、

同じ脳内で、今まで作ってきたキャラクターの誰かが、

ちょっとおかしくなっているよと言ってくれます。

お腹の具合は大丈夫かなとか、

今の時期でしたら水分足りているかなとか、

塩分タブレット食べてみようよとか、

まずは身体を冷やそうとか、

深呼吸をして背伸びしてみようとか、

とにかく今まで執筆してきたキャラクターたちが、

脳内の地獄にいる私に手を差し伸べてくれます。


これらはすべて脳内で起きていることです。

地獄も救いも脳内にあります。

ただ、生きていくにあたっては、

救いがあった方がいいと思います。

苦しみばかりは、やっぱり辛いです。

必要とされないとか、

無視されるとか、

そう感じ続けるのは、認知の歪みとはいえ、つらいです。

執筆をコツコツ続けていくことにより、

統合失調症の壊れた脳が引き起こす、

歪んだ認知から助けてくれる脳内の存在ができました。

私にとって、執筆は癒しなのだと思います。


薬は手放せませんし、

通院はずっと続きます。

周りに支えてくれる存在がちゃんといることも、

ちゃんと感じられるようになってきました。

味方はいる。

私の内側にも外側にも。

今もまだ、ポンコツの脳をだましだまし使っています。

時折認知が歪みますが、

いろいろな存在が助けてくれます。

その中に、執筆で描いた物語があることは、言うまでもありません。

執筆は、脳内に自分だけの世界を作ること。

私はそこに癒しを作りました。

まだ地獄は隣にありますが、

執筆を続けていって、癒しと救いを手に入れました。


これからこちらの方にも、

今まで執筆した物語を投稿していきます。

ちょっとうるさくなるかもしれませんが、

気が向いたら読んでください。


では、気が向いたらまた書きます。

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