陽の落ちた東京の街を、蓮美はひとりとぼとぼと歩く。
知らない街に行くあてなどあるわけがなく、ただ彷徨っているだけだ。
(夜行バスの時間は〇時ぐらいだっけ……五時間はある。どうしよう)
辺りは繁華街なのか、色とりどりの看板やネオンライトが点き始め、彼女にとっては少々アングラな空気を感じ始めた。
怖い、までは言わないが心細い。
でも、だからと言ってファミレスに戻ることもできない。
(……というか、どっちから来たっけ)
蓮美からすれば、東京はどこも似たような景色にしか見えない。
遠くに東京タワーが見えるから、何となくの方角は分かるような気もするが、そもそもはじめにどの方角からタワーを見ていたかを覚えていない。
(バスは新宿だったっけ……もう、そっちに行っちゃおうかな)
スマホのマップアプリや乗り換えアプリを頼りにすれば、バスターミナルにたどり着くことはできるだろう。
ただ、こんなところでも心細いのに新宿の夜に立ち向かうことなんてできるのだろうか。
ドラマや映画の中でしか知らないギラついた歌舞伎町のイメージが先行する彼女には、それもまた避けたいものだった。
「わっ!」
マップを見ていたスマホに突然着信が入って軽く飛び上がった。
通知に表示されていたのは向日葵の名前だった。
「……もしもし?」
『あ、出た。今どこに居るの?』
「向日葵さん……さっきのファミレスですか?」
『ううん、外。知らない土地で迷子になってんじゃないかって思って』
「う……だいたいその通りです」
『近くに何かある? 適当に店の名前とか何件か送ってくれれば』
「わかりました……」
言われた通り、近くに見える看板の店名をいくつかメッセージで送る。
すると十五分ほど経ってから、横断歩道の向こうに向日葵の姿が見えた。
「ひ、向日葵さん……ありがとうございます」
「勢い任せに飛び出すのは良いけど、ここが地元じゃないってのは頭に入れといてくれる?」
「肝に銘じておきます」
「それで、戻る?」
「う……それは」
「戻りたくはない、か。流石にね」
初めから分かっていたように、向日葵はさほど驚いた様子もなく辺りを見渡す。
それから、良いものを見つけたと言わんばかりの笑顔で通りの向こうを指さした。
向日葵が見つけたのは、一件の古いボウリング場だった。
複合アミューズメント施設に入っているようなものではなく、それ単体でお店を出しているのは都内ではもう珍しい。
蓮美はほとんどなすがまま、二ゲーム分の受付をして、シューズを選んで、店員に指定されたレーンまで連れてこられる。
「あの、私、ボウリングとかやったことないんですけど」
「高校の時行かなかった? 駅前のビルに入ってるやつ。夜になると学割で投げ放題とかやってる」
「私、高校まで地元だったので……ずっと北の方の」
蓮美の身の上話を聞きながら、向日葵は一投目を難なくスペアで決める。
スコーンと小気味のいい音が響いて、蓮美は思わず手を叩いた。
「大学生だって学割効くでしょ。スタジオの帰りとか寄らなかった?」
「いえ、特には……これ、どうやって投げるんです?」
「適当でいいわよ。友達に両手で転がす子とかも居たし。それで案外、ストライク取っちゃったり」
「それはそれでカッコ悪いので嫌で……す! わっ!」
向日葵の見様見真似で球を放るが、重みに身体が引っ張られたようにつんのめって、結局はガーターに一直線だった。
「ははっ。ほら、頑張れー。もう一回投げられるから」
「ちょっとはコツとか教えてくれてもいいのに」
ぶつくさ言いながらも、二回目は少し遠慮めに投げ、どうにか球はレーンの上を転がっていく。
やがて真ん中こそ外れたものの、端っこの四、五本を倒してどうにか得点となった。
「ふぅ……次、向日葵さんですよ」
「今度はストライクとってやる」
戻ってきた球を、布巾で磨きながら向日葵は生き生きとした目でレーンを見た。
ただ、口と意識ばかりは一投目で既に疲れ切った様子の蓮美に向く。
「一回も行ったこと無いってんじゃ、アイツも遊びはもう卒業したのね」
「向日葵さんは、よく行ってたんですか? 涼夏さんと」
「ライブがうまくいかなかったときとか、ストレス発散で。ピンが吹っ飛ぶの見るとスッキリしない?」
「ちょっとよくわかんないですね」
「わっ、一本残し。くやしー」
端っこ一本だけ残ったピンを、向日葵は危なげなく飛ばして再びスペア取る。
また入れ替えで、蓮美がレーンに立った。
(どうやったら、あんな風に思った方向に転がってくんだろ?)
姿勢なのか、投げ方なのか。
理屈もよくわからず、蓮美はただ首をかしげる。
何度か、デモンストレーションのように素振りをしてみてから「これなら」とアタリをつけてレーン向き合った。
「遊びを卒業して大人になったアイツの言うことなら、少しは聞いてやってもいいんじゃない?」
「そんなこと――あっ!」
投げる直前に言われたものだから、またつんのめってしまった球はガーターに落ちていった。
蓮美がそれを、恨めしそうに見送る。
「投げる時に変なこと言うから……」
「変なことって感じるなら、一概にアイツの話を突っぱねてるわけじゃないのね」
向日葵は、レーン脇のベンチに腰掛けて瓶のコーラを煽った。
それから、テーブルの上に置いたもう一本の瓶を蓮美に向かって振る。
「飲む?」
「炭酸、好きじゃないので」
「じゃ、二本とも飲んじゃお」
蓮美はムスッとした顔で、向日葵の隣にどっかり腰を下ろした。
「次、向日葵さんですよ」
「どうせ時間あるんでしょ。そんなに急いだら疲れちゃうだけよ。時間貸しじゃなくてゲーム貸しなのが良いところなんだから」
「バスの時間まで付き合う気なんですか?」
「みんなのところに戻らないならね。大人として保護者にならなきゃ」
「ひとつしか違わないくせに」
「そう思えるようになったなら、アンタもちゃんと大人の階段登ってんのね」
向日葵はそう言ってコーラをもう一度だけ煽ると、すくりと立ち上がり球のところへ向かう。
「アメリカ、誘われたんだって?」
「……ええ、まあ。なんだか勢いみたいなところはありましたけど、相手は本気みたいです」
「すごいじゃない。アタシなら喜んで行っちゃうけど」
綺麗なフォームで放られたボールは、外枠から緩やかな弧を描いて並んだピンの真ん中に吸い込まれる。
ガコーンとひときわ大きな音が響いて、頭上のモニターからストライクのファンファーレが鳴る。
「私は……別に、興味はないです」
「どうして?」
「興味のあるなしに理由っていります?」
「何かをやるのに理由なんていらないけど、やらないのには理由が必要なのよ」
向日葵の言葉に、蓮美は何も言い返せずに黙ってしまう。
心当たりがありすぎる。ペナルティボックスを始めた時も、今回のアメリカの話でも。
ベンチに戻ってきた向日葵は、腰を下ろすと二本目のコーラに手を伸ばした。
「サマバケを組んだ時もそうだった。特に理由なんてなくって、なんとなく似たようなヤツがふたり揃ったから、一緒に音楽を始めただけ」
「ふたり? あのドラマーの海月とかって人は?」
「海月が入ったのは、サマバケがある程度形になってからよ。まあ、入ってくれたおかげで完成したところはあるけど。それまではライブごとにスポットでドラマーを雇ってた」
「スポット……そういうのもあるんだ」
「吹奏楽だって、毎年各パート綺麗に希望者が集まるわけじゃないでしょ。それと同じよ」
「ああ、なるほど」
腑に落ちた様子で蓮美が頷く。
代わりにもうひとつ、疑問というより単純な興味が沸きおこる。
「涼夏さんって、昔からあんな感じなんですか?」
「あんな感じって言うと?」
「身勝手というか……無神経というか」
「あはは! 散々な言われよう! いい気味だわ」
大げさに笑い転げた向日葵は、ベンチに座りなおして息を整えるように小さく深呼吸する。
「アイツは……そうね、昔からやりたいこととやりたくないことがハッキリしてるヤツだった」
そう口にして遠い昔を懐かしむように頭上の虚空を見上げる。