翌朝、蓮美はスマホの通知音で目が覚めた。夏休みだし、一件くらいなら無視して二度寝も決めようものだが、立て続けに鳴り響くバイブレーションに悪態を吐きながら枕元のスマホを手繰り寄せる。
「こんな時間に誰だよ、もー」
眠い目を擦りながら画面を見てギョッとした。待ち受け画面を埋め尽くす勢いで、SNSの通知がズラリと並んでいたのだ。しかも、今しがたのものではない。夜中に爆睡している間からずっと、何時間もひっきりなしに不特定多数のユーザーから「いいね」や「フォロー」が繰り返されている。
「なに……なになに……?」
一瞬で目も冴えて、慌ててロックを解除しSNSアプリを立ち上げる。蓮美が持っているアカウントは、普段使いの個人アカウントと、SNS担当大臣として任命されたバンドのアカウントのふたつだ。
突然の通知祭りにさらされていたのは、当然というか、バンドのアカウントのほう。ログインユーザーを切り替えてみると、そこにアップした覚えのないリール動画が一件増えていた。
投稿時間は昨日の夜中。恐る恐る中身を確認する。
――あー、ペナルティボックスの根無涼夏だ。
そこに映し出されたのは、自宅で撮影されたらしい涼夏の姿だった。何の捻りも飾り気もない告知動画のていで始まった中で、彼女はカメラに向かって『竜岩祭』のビラを突き付ける。
――あたしらペナルティボックスは、来るドラゴンロックフェスの市民ステージに飛び入り参加する。
――予告時間は、二日目の夕方五時。
――メインステージ『ドラゴン』で演るイクイノクスの裏枠だ。
――いいか、これは宣戦布告だ。
――あたしらは、イクイノクスよりも客を集めてフェスを盛り上げてやる。
――メインステージを喰って、最高のパフォーマンスを見せてやる。
――だから来いよ! ドラゴンロックフェス! 入場無料!
――以上!
ぶつ切りで終わった動画を見終えてなお、蓮美はスマホを見つめたまま固まってしまっていた。そうしている間にも、いいねのメーターが回り続けて、もうすぐ四ケタに届こうかというところ。
「……プチバズ?」
ありのままを口にしながら、昨日の涼夏の言葉を思い出していた。
バズは作るもの――その答えがこれだった。
「えええ!? 宣戦布告って……しかも、ご丁寧にイクイノクスのハッシュタグまでつけてるし!」
ほとんどフォロワーの増えていないペナルティボックスのアカウントで何百もの反応があるわけがない。そのほとんどは、おそらくイクイノクスのタグから流れて来たイクイノクスのファンによるものと思われた。
中にはサマバケのことも知っているのか、向日葵と涼夏がそれぞれ別のバンドを組んで戦うという状況を面白おかしく囃し立てたり、電撃解散したサマバケの悪口や煽りコメントのようなものも散見する。
「バズっていうか、炎上じゃん……これ」
呆れ半分、恐ろしさ半分で、とりあえずアプリの通知設定をオフにする。
鳴り続けていた通知が収まってひと息ついたかと思いきや、今度はテキストメッセージの通知が画面上にポップする。一緒に表示された送り主の名前を見て、蓮美は心臓が止まるかと思った。というか、実際に止まりかけた。
連絡を寄こしたのは、向日葵だった。
――今朝から変なリプ飛んでくるんだけど、アンタたち何かやった?
「うっ……」
さっそく迷惑をかけているらしいことを目の当たりにして、蓮美は画面越しに拝みながら件の投稿をメッセージで共有する。
――すみません。これのせいだと思います。
――ほんともう、すみません。
動画を見ているのか、返信が届いたのは十分ほど経ってからのことだ。
――やってくれたわね。
「ごめんなさい……!」
短い文面に隠し切れない怒りを感じ取って、改めて画面に向かって頭を下げる。
――まあ、いいわよ。お祭りだしね。
――ただ結成間もないバンドにナメられたうえ、宣伝代わりに使われるのは気に食わない。
「ごもっともです」
――やるなら徹底的にやらせてもらうから。
――覚悟しといて。
「とことんって……何するつもりだろう」
デビューしたてとは言え、あちらはプロだ。プロに本気を出されたらひとたまりもないのではないだろうかと心配が頭を過るも、いったい何をされるのか想像もつかず、蓮美の心にはただただ心配だけが募る。
しかしながら、ぼーっとしてばかりもいられない。ことの顛末を確かめるべく、涼夏に電話をかけてみる――が応答しない。何度か繰り返してみるが、反応は同じだ。
夜中にあんな動画を編集してアップしてるんだ。今ごろ寝ているのか、それとも無視されているのか。仕方なく「気づいたら連絡ください」とだけメッセージを送り、それからバンドのグループチャットにもSNSの件を投下した。
流石に、蓮美ひとりで受け止めるには許容オーバーだ。誰でも良いから相談したい……というか愚痴りたかった。
お昼ごろになってから、ようやくみんな動画を確認したのか、グループ通話で作戦会議という名の愚痴り会が開かれるようになった。当然、涼夏の参加は無いどころか、そもそもメッセージに既読もついていない。
「悪い予感はしてたけど、まさか宣戦布告とはねぇ」
千春が苦笑する。言うほど深刻そうではないのは、涼夏ならやりかねないという思いがどこかにあったからで、それは他のメンバーもみんな同じことだった。
蓮美が、これ見よがしに大きなため息をつく。
「ステージに出るのは賛成だよ。舞台は小さくても、大きなイベントだから、どんな形でも出るべきだと思う。でも、何も勝負みたいにしなくたって」
「それも含めての、涼夏さんの考えなのでしょう。確かに、プチ炎じょ――プチバズほどの効果はあったのだし」
栗花落が口走りかけた言葉を言い換えると、蓮美のため息がまたひとつ増える。
「曲を提供してもらったのもあるし、私はイクイノクスや向日葵さんに対抗するつもりはないのに」
「でも涼夏さん的には、やっぱり気になっちゃう相手なんだろうね。それこそ目の上のたんこぶというか」
「だからと言って部活の大会でもないんだしさ、みんな一生懸命で良い演奏だったね、で終わらせるんじゃダメなのかな」
「わたしも……できればその方がいい、です」
緋音が心配そうな声色で同意してくれて、蓮美は自分だけがそう思っているわけじゃないことを知って安心する。一方で難色を示したのが栗花落だ。
「うーん……気持ちは分かるけれど、このバンドの目標があくまでメジャーを目指すということなら、道は部活の大会とそう変わらないかもしれないわね。狭き門を通るために、大勢のアーティストがふるいにかけられる世界だもの」
「それは……そうかもだけど」
「ただ、部活と違って誰もが同じ条件、同じ物差しで勝負をするわけじゃないという点だけ、注意しなくっちゃいけないけど」
いつも飄々としている栗花落にしては珍しく、鋭く諫めるようなトーンだった。言われていることは至極真っ当で、蓮美は続く愚痴を飲み込む。
通話越しにそれを感じ取ったのか、栗花落も緊張を解いて、ふっと柔らかい笑みを浮かべる。
「これが涼夏さんなりの戦い方だということ。あとは、私たちがそれに伸るか反るか……そういう話でなくって?」
伸るか反るか、そう言う話で言われてしまえば、蓮美の答えは最初から出ている。
(私は……このバンドで上を目指したい。だったら、向日葵さんとも真っ向から戦わなくっちゃいけない……ってことか)
本当のところは、考えないようにしていただけでずっと分かっていたことだ。
向日葵は、サマバケはすごいバンドだ。それを蹴飛ばしてやるくらいじゃなければ、この先もずっと涼夏と演奏し続けることはできない。ここで演奏することが涼夏にとっての最良なのだと――そう思わせるためには、蓮美にとって向日葵は、いつか乗り越えなければならない大きな壁なのだ。
「……おや」
不意に、千春の不安げな声が上がる。
「どうしたの?」
「いや、これは……見て貰った方が早いかな」
言うや否や、グループチャットのトーク画面にSNSの投稿らしきものが張り付けられた。みんなが一斉にURLを踏むと、映し出されたのはイクイノクスのSNSアカウントから投稿された動画だった。
練習用のスタジオかどこかを背景に私服姿の向日葵と、その後ろに賑やかしのようにダリアがカメラを睨みつけている。奇しくも、いや、たぶん意図的に涼夏の動画に被せるような構図だ。
――なんか、見ず知らずのバンドから勝手に宣戦布告されたけど、できるものなら勝手にどうぞ。
――アタシたちも、フェス当日は最高の演奏をみんなの前に届けるだけだから。
――それでも、もし市民ステージでそれに勝てるって意気込むなら、口だけじゃないって証明してもらいたいものね。
ほとんど煽りと言って良い前置きを終えて、向日葵はひと呼吸置いてから、大きな瞳で真っすぐにカメラの先の視聴者を捉える。
――事務所と連絡を取って、OKを貰いました。
――イクイノクスは、竜岩祭のステージでセカンド曲の先行発表を行います。
――アタシを育ててくれた地元最大の音楽フェスで、ぜひ聞いてください。
自信たっぷりに言い切って、動画は終わった。見終えた一同は、すっかり顔が青ざめていた。
「向日葵さん……火に油を注ぐようなことを」
「あっちも新曲をぶつけてくるとはね。見ず知らずのバンドと、メジャーデビューしたてのバンドとじゃ、話題性で完全に差が出るなあ」
「つ、つまり……全面対決ってことですか……?」
「ふふ、若さって素敵ねぇ」
これが彼女の言っていた「徹底的」なのかと、蓮美は恐ろしさすらも感じた。一方で、わざわざ涼夏の動画に反応して声明を出してくれたことに、どこか塩を送られたような心地もする。
動画は、イクイノクスのファンを中心にすぐに伸び始める。相乗効果で、喧嘩を吹っ掛けた大本の涼夏の動画も今まで以上の速度で伸びていく。手段はどうあれ、涼夏の狙いは果たされたわけだ。
新曲発表の前に、知名度をバズらせる。
「しかし……イクイノクスとの新曲勝負となると、これはなかなか、重たい仕事になりそうね」
そう語る栗花落の口ぶりは、むしろ楽しさすらも感じられた。
蓮美たちも、こうなればフェスでこれまで以上の演奏をするしかないと、覚悟を決めさせられたのである。
ただ――涼夏の炎上マーケティングはそれだけでは終わらなかった。
その日の夜、イクイノクスからのメッセージにさらに応えるように、一本の動画がペナルティボックスのSNSで公開された。
場所は相変わらずの涼夏の自室で、着の身着のままの撮影だった。
――新曲対決、上等だ。
――メインステージのメジャーバンドが、市民ステージの謎のバンドに負けるようなことがあったら、恥ずかしくて東京になんて帰れねぇよな?
――そうだなぁ……そしたら、あたしらのライブで前座でもやってもらおうか。
――山形の小さなライブハウスを満員にしてもらう。
完全に、渋谷ライブの意趣返しの注文だった。
あくまで価値も実力も対等だと、そうアピールしたいのだろう。
――だが、残念なことにウチが敗けても何も払えるモンはねぇ。
――だから代わりにコレ、やるよ。
そう言って涼夏は、両手で長い金髪を握りしめて見せびらかすように持ち上げる。
――東京に帰れない恥ずかしさに見会うには、丸刈りくらいしてやらねぇとな。
――もしもペナルティボックスが敗けたらバッサリいってやる。
身を乗り出し、カメラの向こうの人間全てに喧嘩を売る勢いで、彼女は高らかに宣言した。
――ドラゴンロックフェス、ステージ動員人数勝負の〝髪切りデスマッチ〟だ!