数日後、蓮美と千春は再び夏休み中の大学を訪れた。
今度は映像研究棟ではなく、自分達の属する地域企画系の研究棟だ。その中の、とあるゼミに用事があった。
「一年の柊さんと姉崎さんだね。どうぞ」
「失礼します」
ゼミ室には、男の先輩がひとり学校指定のノートPCとにらめっこしながら待っていた。彼は、蓮美たちが入室したのを見届けて、部屋の中央にあるソファーに着席を勧める。
「お茶のひとつも出せなくて悪いね。夏休みだから、いろいろ切らしちゃってて」
「いえ、自前のがあるので大丈夫です」
千春が鞄からペットボトルのお茶を取り出すと、先輩は安心したように笑顔を浮かべ、パイプイスを出してふたりの前に座った。
「ええと、それで竜岩祭について聞きたいんだっけ?」
「はい。こちらのゼミで運営に関わっていると伺ったもので」
「関わってるって言っても、ちょっとした企画の運営とボランティアスタッフだけどね」
そう言って、彼は教授のデスクらしきところから、ポストカードサイズのチラシを引っ張り出してふたりに手渡す。
「竜岩祭――ドラゴンロックフェスなんても呼ばれる県内、いや、東北最大級の音楽フェスだ。蔵王にあるオフシーズンのスキー場を利用して、近隣の温泉組合や商工会とも協力して開催される街ぐるみのイベントになってる」
「高校のころに、一度だけ友人と行ったことがあります。ほとんど蔵王版のフジロックって感じで、とても熱気あふれるイベントでした」
千春が相槌を打つと、先輩も満足げに頷き返す。
「年々規模が大きくなっているからね。近隣の県からのお客はもちろん遠方の客も呼び込んでいるから、今年もまた来場者数の記録更新が期待されてるよ」
その分、運営も大変なのだろう。先輩の語り口は、嬉しさ半分、面倒も半分といった様子だ。
「それで、要件は何かな? ボランティアスタッフなら喜んで募集中だけど」
「あの、単刀直入にお聞きしたいんですが……」
蓮美が、失礼を承知で尋ねる。
「竜岩祭って、どうすれば出演できますか……?」
「ああー、なるほど」
どんな返事が返って来るのか半分びくついていたところに、先輩の反応は思いのほかの「納得」だった。
「軽音部の友人から聞いてるよ。サマバケと組んでバンドやってるんだって?」
「え、あ……はい」
「どうすれば参加できる、ね。応募枠とゲスト枠があるけど、今年のはとっくに締め切られちゃってるから無理かなぁ……来年の開催なら、応募が始まったら情報共有はできるけど」
「う……ですよね」
開催はもう一ヶ月ちょっと先のことだ。とっくに応募期間も終わっていれば、出演スケジュールだって組み終わっている頃だろう。
「時間帯にこだわりはないので、もしも枠が空いた時の補欠……なんてのも、無理でしょうか?」
千春がダメもとで尋ねてみるが、それもまた先輩に苦笑されてしまう。
「確かに万が一はあるかもしれないけど、確約はできないかな。むしろ勉強の一環として参加させてもらってる僕らに、それを打診するほどの力は無いし」
「無理を言ってすみません」
「いや、良いんだ。フェスに興味を持って、出たいって思ってくれるのは、関わってる身としても嬉しいし……うーん」
先輩は、小さく唸りながらノートPCを手繰り寄せて何かを探し始める。やがて目的のものを見つけたのか、タブレットスタイルでも使える画面を外して蓮美たちに差し出した。
「望んでいるものとは違うかもしれないけど、こういうので良ければチャンスはあるかもね――」
その時に先輩から教えて貰ったものを、ふたりはさっそくスタジオ練の時にメンバーへと打ち明けた。
「ふれあい市民ステージだぁ?」
涼夏が、押し付けられたスマホの画面を見つめながら眉間に皺を寄せる。
「そう。先輩のゼミでこのステージを運営しているらしくってね。他の本番ステージと比べたら当然見劣りはするけど、ここなら当日の飛び入り参加でも受け付けてるって話だよ」
「これ、あれだろ。アマチュアとも言えない一般人のカラオケ大会。エリアの隅も隅の方で細々とやってる、ジジババとかガキが参加するやつ」
「わたしは、そういう方が気が楽ですけど……」
「楽かどうかでステージを選ぶんじゃねーよ」
「ひっ……すみません、すみません」
肩をひっぱたかれた緋音が平謝りするのを横目に、千春が涼夏を見つめる。
「涼夏さん詳しいね」
「竜岩祭自体は、サマバケで出たことあるんだよ。それと……ほれ」
涼夏が、自分のスマホでフェスの公式サイトの「協賛」の項目を拡大表示する。するとそこには涼夏の実家である宿の名前があった。
蓮美が目を丸くする。
「涼夏さん家も関わってるんだ」
「スポンサーで金出してるだけだけどな。代わりに宿泊客の斡旋をやってもらってんだよ」
「なるほど」
話を聞きながら、先輩に言われたことを思い出す。温泉組合も協力しているとは、つまりこういうことなのだろう。
「竜岩祭自体は望むところだけどよ、ショボい市民ステージってのは流石になあ……集客力も宣伝力も皆無だぞ。流石に出る意味がねぇ。見てみろメインステージとの違いを」
そう言って、涼夏は運営が公開している昨年の写真つきレポート記事を提示する。
大きなセットにかぶりつく観客で大盛り上がりの写真が何枚も続いた最後に、小さく町内会のお祭りみたいな規模の市民ステージの写真が申し訳程度に添えられていた。
先輩から提案を受けた時は、多少は光明が見えた気分の蓮美だったものの、この写真を見せられたら流石に尻込みもする。
「そもそも、今年のメインステージって誰が出るんだろう?」
「参加したことは無いけれど、それなりのメジャーバンドとかも出演されるはずよ」
栗花落の補足を受けながら、蓮美は気を紛らわせるように自分のスマホで出演スケジュールを探し始めた。中に好きなバンドでも居れば、多少は出演のモチベーションにもなるかも……そう思ってのことだったが、リストに目を走らせてすぐにスクロールの手が止まる。
「……うそ」
驚きで硬直した彼女を前に、他の面々は何事かと視線を向ける。
蓮美は、やや戸惑いながらも状況を受け入れて、スマホをみんなに見せた。
「二日目……メインステージでイクイノクスが出てる」
「なに?」
涼夏が、蓮美のスマホをひったくって目を落とす。
すると確かにリストに刻まれた『Equinox』の名前が飛び込んできた。
「向日葵のヤロウ……そういや、この間帰って来た時、打ち合わせがどうこうっつってたな。これのことかよ」
わなわなと肩を震わせながら、スマホをポイッと放って蓮美へ返す。取り落としそうになったのをギリギリキャッチした蓮美は、神妙な顔でもう一度だけ画面に目を落とした。
「なんか、どんどん先に行っちゃうね」
素直な心境を口にしたつもりだったが、言ってから失言だったかなと慌てて口を噤む。恐る恐る涼夏の様子を伺うと、彼女は苦虫を噛み潰した顔で苦しそうに唸っていた。
「よし、出るぞ、市民ステージ」
それから、まさしく苦渋の決断を告げるように、そう言い放つ。
「新曲をここで出す」
「え?」
涼夏以外の全員が驚いて、思わずホワイトボードを見た。そこにはまだ、先日の涼夏のグラフが消されずに残されていて、矢印が高まりに高まり切った最後のところに煌々と輝く『新曲』の文字が目に付いた。
「ま、まだ、ここの盛り上がりが無いんだけど……?」
半ば煽ったようになってしまった責任か、蓮美が恐る恐る、グラフの途中にある『バズ』の文字を指し示す。
「手を打つ」
「どういうふうに……?」
「言ったろ。バズは作るんだよ。使えるモン全部を使ってな」
そう語る涼夏の自信満々な様子に、嫌な予感を覚えたのは蓮美だけではなかった。