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第54話 ペナルティボックス

 涼夏の予測通り、二往復ほどで軽音部の機材はすべて運び終わり、スタジオにドラムセットやキーボードが組まれた。その間、涼夏は壁に備え付けられたスイッチを操作して天井の照明の位置を操作している。


「涼夏さん、こっちは準備できたけど」


 蓮美は、まだ虫の居所が悪いのかムスッとした顔で尋ねる。


「じゃあ先に着替えとけ」

「着替え? そういえば栗花落さんが――」


 思い出して振り返ると、栗花落が意味深な笑顔で自前のスーツケースに腰かけていた。嫌な予感がしたのは当然のことである。


 そして小一時間後――煌びやかなドレスに身を包んだバンドメンバーの姿がスタジオにあった。


「こ、こんなんでPV撮るの……!?」


 胸元に背中も大きく開いた白いドレスに、蓮美は前と後ろとどっちを手で隠したらいいのか分からず、ぐるぐるとその場で回転している。

 対する涼夏は、漆黒のドレスを身にまとったシックな姿に似合わず、堂々と腕組みをして答える。


「曲には合うだろ」

「それはそうだけど……」

「これ全部、栗花落さんの私物なの?」


 千春に尋ねられて、栗花落は小さく頷く。いつもはメンズカジュアルに近い服装を好む千春も、今は曲のイメージに合わせて爽やかなグリーンのドレスを着せられている。対する栗花落は、落ち着いて大人びた紺色だ。


「ウチのお店は、衣装もそれぞれで準備することになっているから」

「そうなんですね。安い代物ではなさそうだけど」

「それに見合うお給料もいただいているので」


 栗花落が微笑むのと同時に、スタジオに最後のひとりである緋音が入って来る。ドアを開けてからしばらく、狼狽えたように視線を泳がせていた彼女だったが、やがて意を決したように一思いに中へと飛び込む。


「わっ、緋音さん……綺麗」

「ほんとだ。女優さんみたい」


 真っ赤なドレスに身を包んだ緋音に、蓮美だけでなく、一同が目を見開き、心を奪われた。

 もとから素材の良い緋音が綺麗な衣装を着ればそれだけで相乗効果が生まれそうなものだが、髪の毛も巻いて、化粧も整えて、それこそ歌舞伎町かどこかに出かけても見劣りしない出来栄えに仕上がっている。

 もっとも、当の本人は恥ずかしそうに顔を覆って、指の隙間から辺りの様子を伺っている。


「ど……どうしてわたしだけ、こんなに化粧濃いんですか……? みんな薄いのに」

「そりゃ、お前以外はほとんどシルエットしか映らねぇから。雰囲気で良いんだよ雰囲気で」

「ええ……ど、どんなPVに……」

「簡単に見せちまえばこうだ」


 そう言って涼夏は、おもむろにスタジオの照明を落とす。そしていくつかのスポットライトにだけ灯をともし、即席のステージを照らす。鋭いビーム光のような輝きが頭上と背後からど真ん中に立つボーカルのポジションを照らし、他の面子は零れた光でぼんやりと浮かび上がる格好だ。


「あとは実際にカメラでどう撮れるか見て、光足りなさそうなら下からも多少照らしてもってくらいだな。あとは、スポットライトもフィルム噛ませて色付けるのも面白いかもしれん」

「涼夏さん、こういうスキル持ってたんだ……」

「馬鹿にしてんだろ。アキオさんとこで出させてもらってた時、たまにステージ作りの手伝いしてたんだよ」

「へぇ」


 以前「涼夏、音楽以外無能説」を提唱した蓮美は、幾分見直した様子で素直に関心する。これも音楽に関係すると言えばすることかもしれないが、少なくとも自分にできないことができるというのは、尊敬に値するものだ。


「撮影はアイツに頼むから」


 涼夏がアゴで指すと、いつの間にか入口のところに軽音サークルの会長が立って嬉しそうに手を振っていた。


「学部の先輩だから、素人が撮るよりはマシな映像撮ってくれんだろ」

「涼夏さん、流石に先輩に失礼」

「たった一年か二年先に生まれただけで上も下もあるかよ」

「その通り。私も手伝わせて貰えるだけで嬉しいので、お気になさらず」


 蓮美が涼夏を窘めるが、当の先輩がむしろやる気十分なのでそれ以上は何も言えなかった。


「ここも時間制だ。いろんなパターンで撮りまくって、いいとこだけ編集で繋ごうや」

「そうしましょう。さっそくライティングチェックするので、皆さん所定の位置に立ってください」


 急かされるように撮影がスタートする。収録の時と同じで、実際に撮られる側になってみると、どういう形で写っているのか、また完成するのか、全く想像ができないものだ。一抹の不安を抱えながらも、とにかくできることを精一杯にやるしかないと、何度も何度も、納得がいくまで演奏を繰り返した。


 演奏さえしていれば、みんな次第に不安や不安は、音に乗ってどこかへと飛んで行く。むしろ演出やら意見を出し合うようになり、次第に撮影自体にも熱が入っていく。


「――カット! うん、OKです!」


 そして、スタジオの貸し出し時間いっぱいになって、ようやく最後のOKが会長の口から発せられた。ライブと違って、メイクや衣装が崩れるのを防ぐために無造作に汗も拭うことができない中で押し留められていた汗が、滝のように一気に噴き出す。それは、長時間の緊張が解けて零れ落ちた、安堵の汗だったのかもしれない。


「お疲れ様。あとは、音源の本録りをして、編集して、完成ね」


 栗花落がひとりだけ、汗ひとつかかずにケロっとした顔で残りのスケジュールをつらつらと語る。


「今日のPVの雰囲気で曲の表現も最終調整できそうだから、それで完成としましょう。動画の編集も、私のほうでざっくりやってしまって良いのかしら?」

「おう。まあ、ある程度できたら一旦集まって確認はしてぇな」

「それはもちろんです。あとは、アップロード先……そろそろアカウントも作って、準備しないとですね」

「アカウントってことは……いい加減にバンド名、決めないとだね」


 撮影で疲れ切ったところへ先延ばしにしていた課題が再び顔を表して、蓮美はすっかりげんなりしてしまった。あれからも何度か案を出し合ったものの、しっくり来たものはまだ無い。

 他に良いのが思い浮かばなければこれでいいか――な、Bプラン的な候補はいくつかあるのだが、バンド名という一番大事なものを決めるのに「これで良いか」で納得できるものではない。


「あー、それだけど、一個思いついたのあるんだ」


 ベースを片付けながら、涼夏が思い出したように声をあげる。

 それまでなんだかんだ言って一個も案を出していなかった彼女だったが、鞄から見慣れた貯金箱を引っ張り出してスポットライトが降り注ぐスタジオのど真ん中に置く。


「これ、海外でなんつーか知ってるか?」

「え……貯金箱? ……バンク?」


 突然の問いに、蓮美が首をかしげながら答える。正直なところそれが正しいのかも分からないが、涼夏は呆れたような顔をして首を横に振る。


「こいつは罰金箱だろ。海外だと〝スウェアボックス〟とか〝スウェアジャー〟とか言う。本来は『汚い言葉を使ったら罰金』っつーシロモノらしい……と、この間、洋ドラ見て知った」

「涼夏さん、洋ドラ見るんだ……で、それをバンド名にすると?」

「馬鹿野郎。んなもん、日本人が聞いてもなんじゃそらだろ」

「そりゃ、まあ。私もあんまりピンと来てないし」


 蓮美が同意を求めるように見渡すと、他のメンバーも同様に頷く。


「だから、バカでも分かるように簡単にする」


 涼夏は缶カラの貯金箱を缶蹴りみたいに踏んづけて、したり顔で笑みを浮かべた。


 〝ペナルティボックス〟。


「ペナルティ……なんか、ヤンキーみたいな名前だね」

「反抗的と言え。でも、あたしらにゃピッタリだろ」

「ヤンキーになったつもりはないもん」


 とりあえず噛みついてみた蓮美だったが、何度か口の中で繰り返し唱えてみると、思いのほか耳障りが良い。何か、妙にしっくりくる。


「パンドラボックスみたいで、いいんじゃないですか? 押し込められた感動の爆発ーみたいな」


 千春の口から、ようやくの賛成意見が飛び出して、緋音が同調するように首を振る。


「はい……カッコいいと思います。それでいて、ちょっとカワイイもある……かもです」

「確かに。ちょっっぴりおもちゃ箱感もあるわね。それでいて、蓮美さんが言うように退廃的な感じはバンドの空気にピッタリかと」


 好意的な意見を受けて、涼夏は満足げに頷く。それから最後に蓮美を見て、もう一度だけ問いかけた。


「で、どうだ?」


 蓮美にとっては、今までずっと口だけだったのに、いきなりそれっぽい案を出して来られたのが釈然としない気持ちだ。しかし、良いかもと思ってしまったものにわざと首を振ることもできない。

 仕方なく、照れ隠しのようにそっぽを向いて堪えた。


「良いんじゃないですか。罰金箱。私たちっぽくて」

「よーし、それじゃあ蓮美の罰金でもって決定だ」


 ――今日からあたしらは〝ペナルティボックス〟だ。

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