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第53話 プロモーションを撮ろう!

 ――明日の練習、スタジオじゃなくて大学に集合な。


 涼夏からメンバーのグループチャットにそんなメッセージが送られて来たのは、件の練習日前日の夜のことだった。最近はレコーディングなどもあり、スタジオ以外で練習日を過ごすのもままあることだったが、それにしても大学とは……ほとんどのメンバーが首をかしげながら、指定された正面の玄関口のあたりに集合すると、涼夏が待ちくたびれた様子でそこに立っていた。


「やっと来たか。行くぞ」

「行くってどこへ?」

「軽音サークルの城」


 当然の疑問を投げかけた蓮美に、涼夏はそれだけをさらりと答える。肝心の中身を言わないのはいつものことなので、誰もそれ以上に不平不満を投げる人はいなかった。唯一、栗花落だけはこれから何が起こるのか知っているのか、他の面子の反応を楽しんでいるかのようにニコニコと笑顔を浮かべている。


 夏休みとは言え、職員たちはお盆くらいしか長期休暇のない大学は、室内こそエアコンが効いて過ごしやすくなっている。しかし、本館から離れたところにあるサークル棟までの道のりは屋根もないカンカン照りで、ほんの数分歩いただけで滝のような汗が全身から噴き出していた。


「あ、来ましたね」


 サークル棟につくと、軽音サークルの会長が建物の入り口で待っていた。彼女は、バンドデビューしたての涼夏たちを軽音サークルのライブに出演できるよう取り計らってくれた、元サマバケのファンだ。


「おう。機材、貸して貰って悪いな」

「いえいえ。涼夏さんの頼みとあれば、壊されさえしなければいつでもお貸ししますよ」


 そう語る彼女の傍には、バラされたドラムセットと電子キーボード、それとスタンドマイクが一式準備されている。涼夏は、足りないものが無いか確かめるようにざっと機材を確認すると、頭の上に「?」が浮かび続けるバンドメンバーに向き直って言い放った。


「運ぶぞ」

「運ぶってどこへ?」


 再び尋ねる蓮美をよそに、涼夏は本館の向こうをズビシと指さす。


「研究棟」


 相変わらず要領を得ない真夏日の奇行だったが、一行は渋々と機材を持ち上げて、涼夏の後についていく他なかった。


 研究棟は、座学講義を行う本館と違って学部ごとに与えられた専用の実習棟だ。座学中心の一、二年のうちは本館通いが多いが、ゼミに所属する三年以上になると圧倒的に研究棟に入り浸る時間が多くなる。


「研究棟って初めて来たけど、なんか……ディープだね」


 棟に足を踏み入れてから、蓮美は高校の職員室にでも入った居心地で、おっかなびっくり辺りを見渡す。おそらくはこの棟を使用しているであろう学部の研究機材であったり、イベントのポスターだったり、よく分からないオブジェ(?)やコスプレ(?)衣装のようなものだったり……とにかく「その勉強をしている人にしか良さが理解できないであろう代物」に囲まれている状況だ。

 千春が先頭を行く涼夏に尋ねる。


「ここって何の学部の研究棟なのかな?」

「映像学部だよ。写真とか映画とか、その研究やってる。言ってなかったか? あたし、ここの所属」

「そうだったんだ。知らなかった」


 そう言えば大学の話とか全然したこと無かったなと、千春は改めて思い返した。千春と蓮美は、同じ地域振興系を主に扱う企画プロジェクト系の学科に属しているので互いに知るところではあったが。


「そうなると、緋音さんって何学部?」

「わたしは……文学部、です」

「ああ、なんか、ぽいと言われればぽいかも」

「そうですか……?」

「こうして、他の大学を見て回るのも興味深くて良いわね」


 栗花落の言葉に、他のメンバーはどう反応するべきか、一瞬押し黙ってしまう。彼女は音大を中退した身であり、目の前で大学トークをするのは節操が無かっただろうかと気を遣ってしまったのだ。それを知ってか知らずか、本人は素知らぬ様子で興味深そうに周囲の光景を眺めている。


「着いたぞ」


 不幸中の幸いか、目的地についたようで涼夏が話に割って入る。立ち止まった彼女の目の前には、コンサートホールの入り口のような、重くて分厚い防音扉が立ちふさがっていた。


「何です、ここ」


 三度目の質問となった蓮美に、涼夏は不敵な笑みで自慢げに答えた。


「ウチの学科が誇るスタジオだ」


 開け放たれた扉の向こうには、思ったよりも広い空間が広がっていた。いつも使っている楽器店のスタジオが数個余裕で入ってしまいそうなスペースに、真っ先に目についたのは部屋の奥に設えられた、巨大なホワイトバックのエリアだ。よく分からない機材が散乱している中に、そのエリアだけは何も物が置かれておらず、代わりに数台のスポットライトが白い壁や床を照らすように設置されている。


「すご。テレビとかで見たことある、モデルさんとかが写真撮るとこ!」


 目を輝かせる蓮美に、涼夏はさらに得意げになって胸を張る。


「学部員なら申請すりゃタダで使えるんだよ。今日はここで、動画にあげるPVを録る」

「へぇ…………ええっ!?」


 蓮美が素っ頓狂な声をあげて振り返った。


「撮影って、そんなのひと言も言ってないじゃないですか! お化粧も服も適当にしてきちゃったし……!」

「衣装と化粧なら栗花落に用意してもらってるぞ」


 涼夏の言葉に、栗花落が全部を知ってる顔で頷く。

 彼女ひとりだけ知らされていたというのが妙にカチンときて、蓮美は尚も涼夏に迫る。


「これ、涼夏さん罰金ですよね!?」

「あ?」

「バンドのことを勝手に決めたら罰金一万円!」

「ああー……そういや、そんなんだったな、あたしの」

「忘れたとは言わせないですよ! 私、いつもいつも罰金払わされてるのにぃ!」

「それはテメーの口が緩いからで……てか、今も罰金な」

「どうぞ!」


 蓮美は、肩をいきらせながらポケットに詰め込んでいたコインケースを取り出す。突き付けられた百円玉の束を前にして、涼夏は仕方なさそうに顔をしかめた。


「わーったよ、一万円だろ。今日はねーけど入れとくからよ」

「私たちの見てるところで入れてください」

「わーったわーった。だけど、撮影はするからな」


 悪びれる様子もなく、涼夏はホワイトバックのエリアに持って来たドラムセットを組み立て始める。


「あたしはスタジオの準備してるから、まだ持ってきてない機材持って来てくれ。あと2往復くらいで終わんだろ」

「わかりました!」


 すっかり虫の居所が悪くなってしまった蓮美に連れられて、他のメンバーはぞろぞろとサークル棟へ向かって行く。その背中を振り返ることなく見送って、涼夏は少し遠目の位置に立ってスタジオ全体を見渡した。


「あそこにドラム、ベースとサックスとキーボードがここ、ボーカルはいつもより前が良いか……?」


 ざっくりとしたアタリをつけて、暫定の立ち位置となる足元に養生テープを張っていく。撮影の際に考える必要があるのは、カメラの位置と立ち位置、光の加減、最後に演出だ。

 涼夏は、自分が立っているところを基本のカメラの位置と考えて、頭の中でPVのイメージを膨らませる。


「証明は暗くして、逆光でシルエットだけ見せるか。スモークをバンバン炊いて。それか、ボーカルだけスポットライトで抜くのもアリだな。何のための顔採用だよってんだ」


 口にしながら、あーだこーだと考えを巡らせスタジオ内を歩き回る。そうして部屋の中を何周かした後に、パチンと小気味よく指を鳴らした。


「決めた、これで行く」


 彼女の脳裏には、これ以上ない最適解のヴィジョンがくっきりと浮かび上がっていた。

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