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第44話 ゴールドの勲章

 会場へと入った千春は、ずらりと並んだ客席の中から涼夏の姿を探す。開演を前にして、ホール内は各校の応援団や保護者、一般の鑑賞者を含めてほとんど満員状態だ。それでも、煌々と輝くド金髪を持つ涼夏ならすぐに見つかると思っていたのだが、一向にその姿が見当たらない。


(おかしいな。席取っててくれるって……トイレでも行ってるのかな?)

「おい」


 首を傾げかけたところで、どこかから涼夏の声が聞こえる。

 戸惑いながら姿を探すと、しばらくしてから千春の方を向いて手を挙げる彼女の姿を見つけることができた。

 見つからないはずだ。

 客席の中腹ほどにある入口から入って、後部座席の方を探していた千春に対して、涼夏は一般客が座れる中でも一番前のど真ん中の席を陣取っていたのだ。


「涼夏さん……一番前?」

「ライブなら〝かぶりつき〟が常識だろ」

「ライブハウスならそうかもだけど、コンサートホールは真ん中よりもやや後ろ辺りが一番音が響くようにできてるんだよ」

「はあ? 先に言えよ。通りでガラガラだったわけだ」


 ぎっしり詰まった後方座席に比べて、涼夏の周りの列はまばらに人が座る程度だ。

 それも開演直前になれば埋まりはするだろうが、最後の最後でようやくといったところである。

 千春の話を聞いて、涼夏はすぐに手荷物をまとめて席を立つ。


「席、移るの?」

「だって後ろのが良いんだろ」

「そうだけど、流石にふたり並んで空いてるとこがあるかどうか」

「詰めて貰えば良いだろ。指定席でもあるまい」


 言ってることはその通りなのだが、それを何の気なしに言ってのけてやってのけるのが涼夏らしいなと、千春は尊敬なんだか呆れなんだか分からない気持ちを抱かされる。


「お、そことそこ、空いてんじゃん。すんません。詰めて貰っていいスか?」


 そう言われて「イヤだ」という人もそう居ないだろう。すぐに何人かの人が席を立ってズレてくれて、ふたり分の空席ができる。

 とにもかくにも座るところができて安心していた千春だったが、背中に妙な威圧感を感じて、恐る恐る振り返った。


「……さっきぶり」

「どうも」


 すぐ後ろに、先ほど別れたばかりの元部長が居た。

 それじゃあ、先輩が席を取ってるから――そんな感じでさわやかに別れたばかりだったのに、数分と立たずの再会だ。実に気まずい。


「ああ、千春の同期の」


 だというのに、涼夏はそんなことつゆ知らずに、当たり前のように話題を振る。

 元部長も、よそ行きのにこやかな笑顔で答える。


「はじめまして。千春がお世話になってます」

「おう」


 挨拶以外、特に話すことはないのか、それっきり涼夏がステージの方を向いたのが千春にとって不幸中の幸いだった。千春も「じゃあ……」と断りを入れて前を向く。ほどなくして、開演を告げるブザーが鳴り響いた。


 開会の挨拶の後、さっそく順番に各出場校の演奏が始まる。流石は、県大会を勝ち抜いてきた実力者たちと言うべきか。トップバッターの高校から、緊張や迷いを一切感じさせない、重厚な大編成の響きをホールに披露する。

 吹奏楽の大会は、運営委員会から指定された「課題曲」と、各校がそれぞれの持ち味を加味して選ぶ「自由曲」との二曲編成で行われる。与えられた持ち時間の中で、それぞれの演奏にどれだけ時間をかけるかの配分も千差万別であるが、そこはやはり学校ごとの個性が出る自由曲の比重が大きく、ライバル校たちも相手の自由曲がどれだけの仕上がりなのかを気にして耳をそばだてる。


(懐かしいな、この感じ。純粋に音楽を楽しむのが半分。残りの半分は、不安や焦り、強豪校の見事な演奏に中てられて委縮する……または、闘志を燃え上がらせる感じ)


 正直に言えば、千春はこの大会独特の空気が好きではない。音楽に勝敗をつけるという感覚が、未だによく分からない。よく分からないが、それを含めての「部活動」としての吹奏楽なのだ。


(彼女の言ってることも分かるよ。たいていの部員は、金賞という目標を持って音楽をやっている。高校を卒業して、目に見えた目標がなくなった時、演奏をする意味も失われてしまうんだろうね)


 それが、卒業を機に吹奏楽からも、音楽からすらも離れてしまう元吹奏楽部員が多いという現実だ。それでも音楽の世界に残るのは、演奏で食べていこうという志の強い者か、音楽をうまく趣味にすることができた割り切り上手かのどちらか。


(その意味では、涼夏さんは典型的な志の強い人。蓮美ちゃんも、涼夏さんに引っ張られて、わりとそっちの気が強くなってる。私は、やめてしまう側の人間だったはずだけど……まあ、おかげで趣味には落ち着けたのかな。緋音さんのこともあるし)


 涼夏と蓮美は、より良い演奏のために一心不乱に邁進している。一方で、音楽を覚えたての緋音は、千春が面倒を見ながら「覚えたて」という一番楽しいだろう時期を懸命に過ごしている。

 両極端だが、ある意味でバランスは良かった。そこに実力者である栗花落が加わることで天秤がどう傾いてしまうか、千春はそれだけが心配だった。もしも「志の強い」方に傾いて、緋音がついていけないくなってしまうことがあったら――


 しかし蓋を開けてみれば、栗花落は天秤の皿に乗らず、むしろ真ん中で支える針そのもののような不思議な立ち位置に収まっている。それは、彼女の心ひとつで、どちらに肩入れすることもできるということだ。


(まだ彼女のこと、掴み切れてないなあ)


 得体の知れない恐怖――とまでは言わないが、試されているような、妙な視線を感じるのは確かだった。


 何校かの演奏が終わり、いよいよ千春の母校の番がやってきた。

 危機馴染みのあるアナウンスと共に、ステージ上に今は第一に懐かしさを感じるようになった制服が並ぶ。


「続いては、あこや南高校吹奏楽部です。指揮は落合ひろみ。自由曲は『マードックからの最後の手紙』です」


 マードックからの最後の手紙――タイタニック号沈没事故に直面したウィリアム・マクマスター・マードック一等航海士の悲壮と、生き残った人々の明日への希望を描いた楽曲だ。作曲は、樽屋雅徳。モチーフがモチーフながらも、生粋のジャパン吹奏楽である。

 曲は、夢と希望に満ちた航海の始まりからスタートする。豪華客船の船員であるマードックの誇りや充実感。着飾ったお客たちによる、賑やかで煌びやかな船内の様子が思い起こされるようだ。


 それが中盤で一転。

 けたたましいトランペットにより、突然のアクシデント――暗礁への衝突が示唆される。金管の不協和音がお客や船員の混乱を掻き立て、そんな中でマードックは懸命に、ひとりでも多くの客を救うために奔走する。

 急げ。

 急げ。

 沈む前に、急げ!


 焦り、不安、孤独、絶望。このパートで鳴りやまない鼓動と感情の渦を表現し続けるのが、千春の後輩たちパーカッションだ。

 中でもボーランと呼ばれる民族楽器によるソロは、船尾を持ち上げた黒鉄の巨体が海に沈み、マードックと共にこと切れる瞬間までの光景を、情熱的に叩きつける。

 担当するのは、千春にメッセージを送ってよこした、パーカスの現リーダーだった。


(すごい……去年に比べても、はるかに上達してる)


 彼女たちの成長を直前まで見てきたからこそ、千春は一層目を見張った。自分たちが卒業した時とは、まるっきり別人だ。演奏の巧さももちろんだが、それ以上に表現力と鬼気迫る力強さ。金賞のために必死な部員たちの想いが、タイタニック号の事故の中で必死に生きようとする人々の想いに重なり、聞き手を圧倒する。


 隣に座る涼夏も真顔で目を見開き、生唾を飲んだ。いや、飲まされた。

 気を抜けば喰い殺されてしまうような打楽器の濁流の中で、足元を踏ん張らなければ、自分も海の底に引きずり込まれてしまうような心地だった。

 思わず、両の手の平が座席の手すりを握りしめた。


 やがて、嵐の後の静けさのように曲調は穏やかに、次第に明日への希望を抱く勇猛さを描きはじめる。

 命をかけて客を救ったマードックの勇気を称えつつ、これから先の時代を生きていく覚悟を胸に刻む威風堂々のフィナーレだった。


 曲の終わりと共に、万雷の拍手がホールを包み込んだ。もちろん、千春も手の平が真っ赤に染まるまで拍手を送り続けた。

 手を叩くのに夢中だったせいか、いつの間にか頬を伝っていた涙を拭うような余裕は、ひとつも無かった。


 圧巻の演奏で、あこや南高校吹奏楽部は無事に東北大会金賞、そして全国大会への出場を決めた。部員たちの悲鳴にも似た喜びの声に、再びの拍手が送られた。

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