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第43話 軽やかな背中

 コンクール当日。

 千春は、パンツジャケット姿に化粧も整えて、コンサートホールの前で人を待っていた。学生服姿の少女たちが、何人も彼女のことを振り返っては友人同士でこそこそと黄色い声をあげているが、そんなこと気にする余裕もなく、しきりに腕時計の時間を確認する。


(遅いな……はやく、中に入ってしまいたいんだけど)


 合流しやすいだろうとホール前の広場を集合場所にしたが、見つけやすいというのは、同じくらい目立つということだ。黄色い声はまだしも、知り合いに出会うことの方が、千春にとっては避けたいこと。県内開催となれば、同じように演奏を聞きに来た県内の高校生やOBが集まるだろう。

 その中には、千春の同期である吹奏楽部の卒業生も――


「おう」

「うわっ!?」


 そわそわしていたところに突然声を掛けられ、千春は文字通り飛び上がる。

 視線を降ろすと、ラフなどこかのバンドTにジーンズ姿の涼夏と目が合った。


「悪いな。道混んでたうえに駐輪場の場所分かんなくてよ」

「あ……いえ、迷ってるんでなくて良かった」


 さっきまでは小言のひとつも言いたい気分だったが、本人を前にしたら安心の方が勝って、そんな気持ちどこかに飛んで行ってしまった。


「じゃあ、行こうか」

「おう」


 返事をするや否や、涼夏はひとり、すたすたとホールの入り口へと歩いて行ってしまう。千春は、慌てた様子でその後ろを足早についていった。


 誰かに付き添いを頼もうと思った時、最初に声をかけたのは緋音だった。多少はこういうのに興味があるイメージがあったし、あのメンバーの中では一番気軽に誘いやすかったからだ。

 高校吹奏楽にトラウマがある蓮美は、流石に誘えない。

 涼夏は、ロック以外あまり興味がなさそうだし。

 栗花落も、まだふたりで出かけるほど仲良くなったとは言い難い。

 しかし、メッセージを送ってみたところ、実に丁寧な長文でお断りの返事が送られて来た。


「すみません……その日は姉が東京から帰って来るので、家族で出かけることになってまして」

「いや、良いんだ。家族水入らずで楽しんできてね」


 後で直接謝られもしたが、そういう都合なら仕方ない。

 となると、他の誰に頼むかだったが――蓮美はバツ、栗花落も優先度は低いとなると、残るは涼夏しかいなかった。

 半分ダメ元での誘いだったが、予想に反して涼夏は二つ返事でOKした。


「涼夏さん、吹奏楽とか興味あったんだ?」

「あ? 別に興味ねーよ」


 会場に向かいながら訪ねると、彼女はいつもの調子で乾いた笑みを浮かべる。


「ただ、蓮美とテメーがそこまで入れ込んでた音楽がどんなもんか、直接聞いてやろーと思ってな」

「ふふ、そういうの興味あるって言うんだと思う」

「やるつもり無きゃ興味ねーのと一緒だよ」


 相変わらずの物言いに、千春はいくらか自分の緊張が解けたのを感じた。案外、涼夏を連れて来たのは正解だったのかもしれない。今のバンドは、千春が公共の場で気を遣わなくていい数少ない場だ。そしてその空気は、涼夏ひとりで十分に担保される。

 だから、いつもの調子で油断していたのかもしれない。涼夏と合流する前までは気を張っていたはずの、「ここがどういう場所か」ということを。


「……千春?」


 名前を呼ばれて、千春ははたと立ち止まる。


 ――千春、あんた三年なのにB編成で悔しくないの?


 背中越しに聞いた声色だけで誰か分かった。

 振り返りたくない……が、無視をするわけにもいかない。

 気持ちを落ち着けるのにひと呼吸だけ置いて、千春はめいいっぱいの笑顔を浮かべて振り返った。


「や、久しぶりだね。元気してた?」

「まあ、見ての通り」


 そう口にした彼女は、身に着けたカジュアルめのパーティードレスを見下ろしながら身体を身体をゆする。高校生のコンクールとは言え、コンサートだからと多少は気合を入れて来たのだろう。ジャケット姿の千春と並べば、見た目だけならお似合いだった。


「誰だよ?」

「高校の同期で、吹部の部長だった子」

「ふーん」


 さほど興味無さそうに頷くと、元部長の子も眉をひそめて涼夏を見る。


「隣の誰?」

「えーっと、大学の先輩だよ」

「ふぅん」


 こちらもまた、さほど興味がない様子で頷く。

 微妙に針のむしろにさらされた気分の千春は、涼夏に顔を寄せて声をひそめた。


「バンドやってること、黙っておいてもらっても?」

「は? なんでだよ」

「いろいろと面倒なので……お願いします」

「……別に、言いふらすことでもねーけどよ」


 それでも指図されるのが気に食わないのか、涼夏は舌打ち交じりにホールに向けて踵を返す。


「話してけよ、あたしは先に行って席取っとく」

「え? いや、私も一緒に――」

「千春」


 後を追いかけようとした千春を、元部長が呼び止める。

 再び振り替えた彼女にアゴでエントランスを指されると、千春も浮かない顔で頷くほかなかった。




 エントランスのベンチにふたり並んで座ると、居心地の悪い無言の時間がしばし流れた。千春とて、会うのは覚悟していても話すつもりはなかったので、これといった話題のストックもない。


「久しぶりだね。卒業式以来かな」

「まあね」


 とりあえずとりとめのない話で間を持たそうとするが、特に話は広がらず、また無言の時間が訪れてしまった。

 ここからどう話を持って行って「じゃあ、行くね」と繋げるか、必死に頭で考えている間に、今度は元部長の方が口を開く。


「千春、大学でも音楽やってるの?」

「え?」


 これまた思いもよらない質問に絶句する。


「どうしてそんなこと」

「さっきの、根無涼夏でしょ。初見じゃ分かんなかったけど思い出した」

「あー、ははは」


 ついさっきまで「涼夏を連れてきて良かった」と思っていたところに、今度は彼女の地元での地味な知名度を恨む形になった。


「音楽やってる先輩と一緒だからって、そうとは限らないんじゃないかな?」

「普通の人ならね。でも千春だよ。そうに決まってんじゃん」

「それは、褒められてるのかな?」


 どちらとも言えず、しかも納得もできず、千春は苦笑しながら小さく唸る。

 そんな心中をつゆ知らず、元部長はいくらか晴れやかな顔で天井を仰いだ。


「良かった。千春が大学でも音楽続けてて」


 その言葉に、千春はキョトンとして彼女を見る。


「辞めるんじゃないかって思ってたから」

「どうして?」

「多いからさ。高校卒業を機にやめちゃう人。三年間頑張りすぎて満足しちゃうか、演奏が好きなんじゃなくって吹奏楽部が好きだから続けてただけの人か。千春は後者だと思ってた」

「それは……」


 言い返そうとするが言葉が出なかった。まさにその通り、大学進学を機にやめようと思っていたのだ。ぐうの音も出ない。


「なら、〝良かった〟ってのに繋がらないんじゃないかな? 私は別に、演奏が好きで続けてたわけじゃないんだし」

「確かに……でも、なんだろ。なんとなく、やめて欲しくは無かったのかも」

「曖昧な理由だね」

「本当のことだから仕方ないでしょ。それに、去年までの私は、南高吹奏楽部部長の私だったから。部長を辞めれば、何を大事にするかも変わるよ」


 ――三年もこの部に居て、そんなことも分からないの?


 去年の今頃、彼女から受けた叱責が耳に痛い。目の前の彼女は、千春の目から見て一年前とそれほど変わったようには見えなかったが、少しだけ大人びたようには感じられた。


「あー! 部長!」


 突然、素っ頓狂な声がエントランスに響く。ふたりして驚いて振り返ると、自販機に飲み物を買いに来たらしい母校の制服姿の生徒たちが、盛り上がりながら千春たちを見ていた。


「他の人の迷惑になるから騒がない! あと、元部長だから。今の部長に失礼だよ」

「うは! その言い方、部長だったころと変わんなーい!」

「馬鹿にしてんのかー?」


 元部長が笑いながら脅すと、部員たちはさらに喜んできゃいきゃいと声をあげる。千春は、そんな様子を微笑みながら見つめる。


「曲、マードックなんだって?」

「はい。楽しみにしててください! あの……千春先輩も!」


 遠慮がちに話を振られて、千春が柔らかい笑みを返す。


「もちろん。パーカスの子たちは元気にしてる?」

「はい、千春先輩が来るって張り切ってました。良かったら、大会の後に顔を出してください」

「集団行動を邪魔しちゃいけないから、いけそうならにしておくよ」

「大丈夫です! 県内開催だから、今日は楽器積むだけなので」


 積む、とは楽器運搬用のトラックに積むということだ。大がかりな楽器を使う吹奏楽のコンサートやコンクールでは、大きな運送トラックを借りて学校から会場まで一気に運ぶことが多いのである。

 そうこうしているうちに準備の時間が来たのか、セーラー服姿の後輩たちは改めて一礼をして足早に去っていった。残されたふたりは、軽やかで希望に満ちた背中を、角で見えなくなるまで目で追っていた。


「楽しみにしててくださいって、嬉しい言葉だと思わない?」

「え?」


 質問の意図が読めず、千春は素で聞き返す。


「応援してくださいとか、祈ってください、とかじゃなく、楽しみにしててください」

「ああ……確かに、頼もしい強豪の貫禄を感じるね」

「それもあるけど、ちゃんと代替わりして、今は彼女たちの吹奏楽部なんだなって」

「なるほど。元部長ならではの視点だね」

「あ、馬鹿にしてんのかー?」


 さっきと似たような流れで肘で小脇を小突かれると、どちらからともなく笑みがこぼれた。


「さて、先輩待ってんでしょ? 会場いこ」

「そうだね」


 エントランスを離れて会場の大きな防音扉へと向かう千春の背中は、ホールへやってきた時とはうって変わって、後輩たちと同じように、少しだけ軽やかだった。

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