「ところで新曲、どこか発表の機会はあるの?」
あくる練習の日、スタジオで音を出し始める前のややだらけた時間の中で、蓮美が素朴な疑問を口にした。
「今んとこは無ぇ。夏だからライブやフェスはあるにはあるんだが、いまいちパッとしなくてな」
「前はあんなに『ステージに立たないバンドに価値はねぇ!』みたいなこと、口酸っぱく言ってたのに」
「ただ立っても意味がねぇっつってんだよ。田舎の小さなライブに出ても、メジャーに繋がるわけがねぇ」
「それはまあ、確かに」
もちろん場数を踏むという意味では、全く意味がないわけではない。
だが、どうせ立つなら少しでも道が開けそうな舞台に――メジャーを目指すバンドであるならば、限られた時間と登壇回数の中でそう考えるのは致し方ない。
「なるほど、このバンドはメジャーデビューを目指してるのね?」
すっかり敬語が抜けた栗花落が、感心したように目を丸くする。
「言ってなかったか? まあ、確かに言った記憶はねーが」
「いえ、目標を持って活動するのは良いことだと思う。しかし、だとしたら確かに盛り上げ方は考えていかなければならないかも?」
「そこなんだよ。あたしは、メジャーの経験はあるがマネジメント系はからっきしだ。小難しいこと考えるのは、向日葵の役目だったし」
「サマーバケーション?」
「なんだ、知ってたのか」
「お店の子に大ファンだったって子がいたもので」
しかし、栗花落が直接名前を出すことをしなかったのは、涼夏のサマバケへの温度感を探っていたからだろう。触れて良い話題なのだと確信した彼女は、矢継ぎ早に問いかける。
「そもそも、どういう経緯でデビューを? こういっちゃなんだけれど、東北の田舎の地元民すら知らないようなバンドが」
「もちろん実力はあるつもりだったが、運もあった。挙げた動画が、いろんな界隈で軽くバズってな。そっから声が掛かった」
「なるほど、実に今風」
納得したように頷く栗花落は、パチンと手を叩いて涼夏を上目遣いに見つめる。
「なら先例にあやかって動画、撮ります? ……て、あ、罰金ですね。しまったしまった」
ぺろりと舌を出してごまかすように笑う彼女に、涼夏は比較的神妙な顔つきで答える。
「あたしもそれは考えた。今どき、ライブで演奏するだけがバンドの舞台じゃねーからな。だが、動画を投稿するために足りねーもんがふたつある」
「またふたつ」
どっかで聞いたくだりに、横で聞いていた蓮美が呆れた様子で項垂れる。
「ひとつ。撮影機材が無ぇ。前は、高校の放送部の機材をかっぱらって撮影も編集もしたが」
「ウチの機材、使ってもいいよ?」
「RAiNさんの機材!?」
それまで会話に混ざれず、部屋の隅で様子を伺いながら楽譜とにらめっこしていた緋音が、素っ頓狂な声で飛び上がる。
「マジか。一個め、クリアしてたわ」
「そうは言っても、個人で揃えた物だから、レコーディング会社の設備に比べたら安っぽいけれど」
「構わねぇよ。放送部の設備と変わんねぇか、いっそマシなくらいだろ」
涼夏は、「ふたつ」と言いながら立てていた二本指のうち、ひとつを折りたたむ。
「じゃあ、問題は一個だけだ」
勿体ぶってメンバーの顔を見渡す彼女に、一同はごくりと生唾を飲む。
「バンド名が無ぇ」
「ああ……」
全員の口から、納得しつつも諦めたようなため息がこぼれる。
「いい加減に〝(仮)〟取らなくっちゃいけないよねぇ……候補は特にないけど」
「わたし……リベリオンズ、少し気に入ってますけど……?」
「何でだよ。一周回る必要もなくダサいだろ」
「ダサ……!?」
「名前は大事よ。このバンドらしい、素敵なバンド名をつけてあげなくっちゃ」
「それが簡単に思いついてたら〝(仮)〟なんてつかないんだから」
四者四様の反応を示す中で、ひとり千春だけがぼーっとドラムスローンに座ったまま一言もしゃべらず、虚空を見つめていた。
心配した蓮美が、彼女の目の前で手を振って声を掛ける。
「千春ちゃん大丈夫? 体調悪い?」
「ああ、ごめん。大丈夫だよ。昨日ちょっと、遅くまで練習してたせいかな」
「あら……変にプレッシャーかけちゃったせいかしら?」
栗花落が投げかけた視線に、千春ははにかんで首を横に振る。
「いい曲だったから、もっと叩いてみたかったんだ。それだけだよ」
「ありがとう。そう言って貰えると、私も嬉しい」
そう言ってふたり笑い合うが、千春の表情には確かな疲れが見え隠れする。
「ひとまずバンド名に関しては保留な。演奏が出来上がってねーうちには、撮影も録音もできやしねーんだから。だが宿題だ。ひとり、最低三つは候補考えてくること」
「三つも!? 私、そう言うの苦手なのに……」
「一個ずつ出したところで、パッとしねーのが集まって終わるんだよ、こういうのは。ふたつでも足りねぇ。ネタ出し尽くしたつもりになったところで、三つ目を腹の底から捻り出せ」
「涼夏さん……表現が下品」
「気合入れろって意味だよ。むしろ何想像してんだよ。男子小学生か」
「涼夏さんの言い方が悪いんでしょ!?」
男子小学生呼ばわりが流石に恥ずかしかったのか、蓮美は顔を赤らめて、かぶせ気味にツッコミを入れた。実際のところ、名前やら題名やらをつけるのが苦手な彼女にとっては、気の滅入る宿題である。
「つーわけで、今日はミスっても良いからひと通り合わせてみるぞ。栗花落は、作曲者の意見でどんどんダメ出ししてくれ」
「ええ。まあ、ダメ出しと言うよりは、みなさんの意見を聞きたいかな。演奏しにくいとか、もっとこうしたいとか、意見をくれると嬉しいな」
「そんじゃ、始めんぞ。千春、出だし」
「え? ああ、うん、いくよ」
ワンテンポ返事が遅れて、千春のドラムから音合わせがスタートする。
楽譜を貰って一度目の練習ということで、出来は散々なものだったが、みなそれなりに「自分がどうこの曲を演奏するか」のイメージがついた一日となった。
「それじゃあ、悪いけど私は先に返らせてもらうね」
練習が終わって、千春はいのいちばんに荷物をまとめて挨拶をする。
「千春ちゃん、今日はしっかり休んでね」
「うん。帰ったらすぐにベッドで爆睡できそうだよ。それじゃあ、また次の練習日に」
爽やかな微笑みを残してスタジオを後にした彼女だったが、廊下に出て分厚い防音扉が閉まるなり、大きなため息が零れた。
(体力落ちたな……ちょっと眠れなかったくらいで、こんなボロボロになるなんて)
自嘲気味に笑ってから、パンパンと軽く両の頬を手のひらで叩く。
(帰りの電車、寝過ごさないようにしなくちゃ)
電車の時間を確かめようと、荷物からスマホを引っ張り出したところで、見慣れないアイコンのメッセージ通知が来ているのに気づく。
何の気もなしに開封して、千春は自分の思慮の無さと、寝不足で思考力が低下していた状態をひどく恨んだ。
――千春先輩、お久しぶりです。あこや南高校の椎名です。
メッセージに書かれていた名前を見て、迂闊に既読をつけてしまったことを後悔する。送信相手は、千春の出身校の三年で、今はパーカスリーダーをしている、かつての後輩だった。
メッセージは数件に渡っていた。その大半が、久しぶりかつ突然のメッセージを詫びながらも、去年までのことを懐かしむような、ある種の定型文がつらつらと流れていくばかりだ。
しかし最後の方になって、ようやく本題らしき投稿を目にする。
――実は、今年の東北大会が県のコンサートホールで開催されるんです。
――全国に王手をかけた大事な大会です。
――ぜひ、見に来ていただけませんか?
――私たち、最高の演奏で先輩に恩返しをしたいです。
最後まで読み切って、千春は渋い顔で眉間に皺を寄せた。
夏休みで時間はあるのだから、可愛い後輩の頼みを聞いてあげたいのはやまやまだが、正直、行きたくない気持ちが勝っていた。
かといって、薄情な先輩と思われたくもない。
適当な予定があることにして断っても良かったが、そういう嘘はつきたくないのが千春の信条だった。
(どうしたもんかな)
答えの出ない自問自答を繰り返しながら、もう一度だけ最後の言葉に目を通す。
――最高の演奏で先輩に恩返しをしたいです。
恩を返されるようなことを、してあげられた覚えがない。万年B編成の、実力無き先輩だったのだ。悪意を持って言えば、後輩にA編成の席を譲ってあげたという結果がせいぜい。
しかし、OB連絡用のグループチャットではなく、個人チャットで来たところが余計に断りにくさを演出していた。
(……ひとりでは、ちょっと無理だな。せめて誰かに付き添って貰えるなら)
そうは言っても、当然ながら吹部の同期OBに頼む気にはなれない。
千春は、ほとんど縋る気持ちで、背後で固く閉じられた防音扉の方を恨めしそうに振り向くのだった。