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第41話 悔しくなんてなかった

 束の間の休息となった日帰り温泉旅行からしばらくして、栗花落が人数分のディスクと楽譜を持ってスタジオへとやってきた。


「新曲、できました」

「おお」


 感嘆の息と共に集まるメンバーを前に、彼女は自分のスマホに取り込んだであろうデジタル音源を再生する。


「ジャズバラードですか……」


 頷きながら聞く蓮美に、栗花落は微笑んで頷き返す。


「アップテンポの曲は、既に二曲ほどあるようですし。ひとつはこういうのもあってよいかと」

「思ったより仕上がりが早かったな」

「実は、みなさんのライブ映像を見せて貰った時から、いくつか曲の構成はあったんです。その中から、この間の旅行でのことも加味して合うものを仕上げました……とは言いますが」


 珍しく自信なさげに、彼女は眉尻を下げる。


「細かい仕上げは、これからと思っています。実際に演奏してみたみなさんの意見も聞きつつ、アレンジの調整を行おうかと。誰かのために曲を書くのは初めてなので、私も手探りなんですよ」

「上等だ。単なるバラードじゃつまんねぇからな」


 涼夏が不敵に笑んで、さっそく楽譜に目を通しながら弦に指を走らせる。

 たどたどしくはあるが、初見で既にそれらしい形になって聞こえるのは、流石の涼夏と言ったところか。


「全体的な難易度は、それほど高くはないかと思います。BMPも比較的大人しいですしね」

「あの、ひとつ良いですか?」


 蓮美が、おずおずと手をあげて栗花落を見つめる。


「栗花落さんのパート、ピアノなんですね。バイオリンではなく」

「ああ……今回は、コテコテのジャズロックですし、弦よりは鍵盤の方が馴染みやすいと思ったまでです。決して手を抜いたわけではないですよ」

「そういう意味で言ったんじゃないですが……」

「そうですね、私も今、バイオリンとしての私が入ったこのバンドの音楽を模索している段階です。見切り発車よりは、馴染むのが分かっているピアノの方が良いだろうと、作曲家としてそう判断した……と言えば、納得していただけるでしょうか?」

「分かりました。ありがとうございます」


 蓮美とて、突っかかるつもりで言ったわけじゃない。

 ただ、あれほどみんなを惹き付ける演奏をしてみせたバイオリンを捨てるのがもったいない――と言うより、このバンドならむしろ挑戦すべきなんじゃないだろうかと、そう思ったのだ。


(でも、それを差し置いても良い曲……栗花落さん、本当に力あるんだ)


 緋音から動画投稿の話を聞いて、蓮美も今日まで何曲か〝RAiN〟の曲は聞いてきた。パソコンによる打ち込みでの制作なのか、それこそポップステイストからジャズテイストから、EDMらしきものまで、ほとんど雑食のレパートリー。しかし、そのどれも何かしら耳に残るフレーズやメロディの展開があり、人気があるのも頷けると思った。


 蓮美をいざ知らず、栗花落は楽譜を配り終えた後に、じっと千春のことを見つめた。流石の千春も何事かと意識して、彼女を見つめ返す。


「あの、何か?」

「今回の曲は難易度自体はそう高くないですが、変拍子を何度か繰り返しますので。強いて言えばドラムが要かなと、私なりに考えていまして」

「それは、プレッシャーが掛かりますね」

「いえ、そつなくこなされるあなたなら、問題はないかと思いますが……」


 そこまで口にして、栗花落は言おうか言うまいか迷うように「んー」と小さく天を仰いで唸る。


「なんです? 気になるので言ってください」

「そうですか……なら」


 本人がそこまで言うのなら、と栗花落は改めて千春を見つめる。


「曲の完成度を高めるなら、もう少し難しくすることもできます」

「……それは、今の私だと難しいという判断で、そうしたんですか?」

「おそらくは可能です。しかし、叩けるだけです。表現には至らない」

「……なるほど」


 栗花落の言葉に思うところがあったのか、一度は食い下がった千春だったが、二度目は納得した様子で頷き返す。


「まずは、頂いた今の楽譜をこなしてみます。問題がないようなら、ステップアップとして考えさせてください」

「わかりました」


 千春の考えを尊重するように、栗花落は二つ返事で頷き返した。

 話が終わって、千春はじっと自分の楽譜を見つめる。


「あ、そうだテメーら」


 不意に、涼夏が声をあげた。相変わらず弦を弾きながらだが、文字通り片手間でメンバーの顔色をぐるりと見渡す。


「栗花落も正式なメンバーになったから、例の、適用するからな」

「例の?」


 栗花落本人に問い返され、彼女はようやくベースから手を放して、自分の足元に置いた貯金箱をバンバンと叩く。


「メンバー同士、敬語は禁止。緋音意外な。破ったら罰金百円」

「ふふふ、それは良いですね。私も、敬語のままでは少し距離があるなと思っていたところでした」

「じゃあ、栗花落も今日からな。いい感じに溜まってきてるぞ。ほとんどは蓮美のだが」

「仕方ないでしょ……咄嗟にだと出ちゃうんだもん」

「みなさん、仲が良いのはこういうところが関係していたんですね――ととっ。関係していたのね」


 栗花落は、大げさに焦った表情を浮かべてから敬語遣いを辞めて、代わりの例のキツネみたいな笑みを浮かべる。敬語のカドが取れたせいか、いっそう妖艶な艶を感じさせた。




 その日の練習を終えて電車で自宅に帰った千春は、耳にイヤホンをしたまま自室のベッドに身を投げ出した。身長が伸びたからと高校に入った時に買って貰ったセミダブルサイズのベッドは、六畳間の部屋でそれなりの存在感を発揮する。

 聞いているのは、スマホからブルートゥース接続で流れている新曲だ。合奏版と、自分のパートのみ版とを交互にリピートし、曲の中で自分がどういう演奏をすればいいかをイメージしながら聞くのは、中学時代の顧問に習ってからずっと続けていることだった。

 高校時代に、A編成に上がれず万年B編成であった時も、ずっと――


 ――千春、あんた三年なのにB編成で悔しくないの?


 不意に、高校時代に仲良くしていた同期の言葉が脳裏に過る。


 ――悔しくないわけではないけど、今回は二年の子がすごく伸びたんだ。

 ――入部した時から、いろいろ相談に乗ってた子でね。

 ――それがすごく、嬉しくて。


 ――その考え、やめてくれる?


 ――え?


 ――みんなが同じ方向向いてさ、自分が大会で演奏するって気持ちじゃなきゃ全国で金なんか取れないんだよ。

 ――Aの枠を取り合って切磋琢磨して、最高のメンバーで望まなきゃ。


 ――今のが最高のメンバーだと私は思うけれど。


 ――そうじゃない。

 ――ひとりでも「Aじゃなくていい」なんて中途半端な気持ちの人が居ると、周りもそれに引っ張られちゃうって言ってるの。

 ――三年もこの部に居て、そんなことも分からないの?


 同期の言葉が頭の中でこだましながら、千春は寝返りを打った。


「……ごめんね。本当は、悔しくなんてなかったんだ」


 ベッド脇の壁には、たわんだ紐にプリントされた写真がいくつもピンで留められていた。

 そのうちのひとつ――去年の全国大会の後に、高校の音楽室で部員みんなで撮った集合写真。その真ん中で、同期の彼女が手にする賞状には『銀賞』の文字が刻まれていた。

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