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第33話 ゆれる

 ゴウと足元に響くエンジン音と共に、夜の首都高をバスが駆ける。

 渋谷でのライブが終わって、山形行き最終の新幹線が行ってしまった涼夏たちは、宿を取らずに深夜バスで帰路へついていた。改めて今回の遠征費を精査した結果、少しでも負担を減らすためにこの弾丸ツアーの形に落ち着いたのである。

 2×2の四列席に横並びに席を取ったメンバーは、ライブの疲れもあり、社内消灯とほとんど同時にブランケットを被って眠りについた。ただひとり、涼夏だけは寝つきが悪いようで、最初の休憩サービスエリアを過ぎた後もしきりにみじろぎを繰り返していた。


「ん……どうしたんですか、寝ないんですか」

「……悪い、起こしたか」


 隣に座る蓮美が、寝ぼけ眼のふわふわした口調で声をかける。涼夏は、改めて席に深く座り直しながら、トーンを落として答えた。

 蓮美は、寝返りを打つように彼女の方を向くと、トロンとした目元で細く笑む。


「枕変わると眠れなかったり……?」

「そう言うのは特にねぇよ」

「じゃあ、深夜バス自体が苦手? 私も初めてなので、慣れてはいないですけど」

「そういう割には爆睡だな」

「やだ……寝てるとこ見ないで」


 蓮美は慌てて、もぞもぞと反対の方を向く。通路を挟んで向かいの席で、千春と緋音が肩を寄せ合って、静かに寝息を立てているのが見えた。


「……お前、あれ」

「あれ……? 何がです?」

「新曲、立ち位置だけで変わるって、なんでわかったんだ?」

「ああ……」


 説明しても良かったが、疲れているのと、眠気で億劫なのもあって、蓮美は薄笑いでごまかす。


「涼夏さんじゃ分かんないでしょうね……鈍感だもん」

「どういう意味だよそれ」

「ちょっと、バスん中でやめてください」


 触れ合う肩をどつかれて、蓮美が不機嫌そうに身じろぎする。


「じゃあ、ヒントあげます……私もそれで分かったようなものだし」

「おう」

「向日葵さんは、何のためにあの曲を書いたでしょう……はい、おしまい」

「はあ?」


 最大限のヒントのつもりだったが、涼夏は唸りながら首をかしげるばかりだった。やがて諦めたのか、うんと背筋を伸ばしてからため息をつく。


「あたし……この一年、何やってたんだろな」


 ぽつりと、誰に宛てるでもなく溢した言葉に、蓮美がちらりと盗み見るように視線を戻す。


「……実際、何してたんですか?」

「ツテでいろんなバンドを転々と。だから、何もしてなかったわけじゃねぇんだが」

「ふぅん」

「ふぅんってなんだよ」

「もしもそこでバンドが決まってたら、私は今、ここに居なかったんだなって思って」


 それを幸運と呼ぶべきか、不幸と呼ぶべきかは、感じる人によるだろう。しかし、少なくとも蓮美は、幸運なことだと思った。燻っていてくれてありがとう――そう言うと、なんだか皮肉のように聞こえてしまうが、涼夏にとっての〝この一年〟がなければ、蓮美が彼女と出会うことが無かったのは間違いない。

 もしも出会っていたとして、既に決まったバンドがある状態の彼女が、自分の演奏を聴いて一緒にやりたいと思ってくれただろうか。それこそ、サマーバケーションが解散していなかったとしても――考えれば考えるだけ、やはり幸運だったのだと蓮美はひとり納得する。


「……涼夏さん、このバンドでメジャー目指すんですよね」


 結成した当初、涼夏の口から聞かされた衝撃の目標を思い出す。当時の蓮美は、まだサクソフォンの演奏を再開したばかりで、先の展望なんて夢のまた夢――考えることなんてできなかった。

 しかし今日、渋谷でのライブを経て、そしてメジャーデビューを果たしたイクイノクスの演奏を聞いて、涼夏が目指す景色が自分の目にも見えたような気がした。


「私も……行きたいです。このバンドで、涼夏さんと」

「道は険しいぞ」

「とっくに谷底に突き落とされた後です。後は登るだけ。登り方を教えた責任……とってください」


 蓮美は、もう一度だけ涼夏の方に向けて寝返りを打つと、そのまま彼女の方に頭を乗せて目を閉じる。バスの走行音をゆりかごに、人肌の熱を感じると、あっという間に眠りの底へと落ちて行った。

 安らかな寝息を横耳に、涼夏はカーテンを閉め切られた窓の外の闇へ思いを巡らせる。


(インパクトは蓮美が持ってる。緋音と千春も、もう一歩だが華はある。だがメジャーを目指すなら、何かもうひと声欲しい。パンチの効いた劇薬が)


 目を閉じれば、脳裏に焼き付いたイクイノクスのステージが鮮明に思い浮かんでは離れない。眠るのは諦めて、家に帰るまで、これからのことを考えることにした。


* * *


「ぎゃっ!?」


 薄暗い店内に、カエルが潰れたような悲鳴が響いた。

 高級な皮張りのソファーが敷き詰められたボックス席は、今はフロアレディたちの待機場所として利用されているが、ここが夜のお店の中でもより格式高いところである様子を伺わせる。


「リンさん、待機中は静かにお願いしまーす」

「すみませんっ」


 ボーイに咎められて、リンと呼ばれた女性は、乱れたドレスを正しながらそそくさとソファーに腰かける。


「どうしたの?」


 隣に座る大人っぽいウェーブのボブカットが映えるフロアレディが、リンが手元で見ていたスマートフォンを覗き込む。そこには、どこかのライブハウスでのライブの動画が流れているところだった。


「推しバンが……泣く泣くライブに行くのを諦めた推しバンが……今日のライブでメジャーデビューを発表したの! 現地の友達が動画送ってくれて!」


 リンはまくしたてるように口にして、わなわなと肩を震わせた。


「まって、インディーラストライブとかメモリアルじゃん! どうしてウチは現地にいなかったの?」

「いかなかったからでしょう?」

「なんでいかなかったの? はい、整形にお金使って遠征費がなかったからです」


 自問自答した彼女は、しょんもりと肩を落としながらも、瞳だけは輝かせて動画に釘付けになる。


「どんなバンドなの?」

「サマバケのギターの子が新しく立ち上げたイクイノクスってバンド。サマバケのファンだったから、そのままおっかけてて」

「サマバケって、なんだっけ? 聞いたことはあるような」

「えー、サマーバケーション知らないの!? 地元出身の女子高生バンド!」

「私、バンドとかあまり詳しくないから」

「音大出身なのに?」

「ふふ、そっち方面は専門じゃなかったから。それに出身じゃなくて中退だし」


 ボブの女性が、くすくすと笑う。キツネっぽい顔立ちが笑みに包まれると、どこか神秘的な魅力にあふれる。


「ねえ、聞いて。今日のライブに元サマバケのベースの子も、別のバンドで出てたの。はあー、言えよ。どうしてウチは現地に居なかったの?」


 リンが動画のシークバーを遡って、別のバンドの演奏シーンが流れる。サクソフォンを携えた異色のバンド。隣で覗きこんでいた女性が、ふと息をのむ。それまでさほど興味が無さそうだったのに、一転して目を丸くして、画面に心を奪われる。


「……ねえ、元何のバンドの、誰って言ったっけ?」

「え? だからサマバケ……サマーバケーションの――」

「レインさん、ご指名。レインさん、ご指名。VIPルーム四卓でお願いしまーす」


 リンの言葉に、ボーイのコールが重なる。それでも名前を聞き逃さなかった女性は、優雅な立ち振る舞いですくりと立ち上がる。大きく背中の空いた青色のドレスが、僅かな照明の下で輝いていた。


「サマーバケーションの根無涼夏……ね。ねえリンちゃん。今日お店閉めたあと、時間ある?」

「今日はアフターも予定ないし暇だけど。なに、奢ってくれるの?」

「ふふふ、いいよ。代わりに、そのバンドのこと、もっと教えてくださる?」


 女性――レインと呼ばれた彼女は、妖艶な笑みでリンを見下ろしてから、ドレスの裾を翻して煌びやかなフロアへと歩み出て行った。

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