ざわめきが止まないフロアを制するように、涼夏が改めてステージサイドに設置されたマイクの前に立つ。
「バタバタして悪いな。ウチの新顔がまた突然の思い付きをしたみたいで」
「い、いつものことみたいに言わないで」
恥ずかしそうに口ごもる蓮美を横目に、涼夏はMCを続ける。
「先に演奏した曲は、この箱なら聞いたことがある人もいるだろ。サマバケのカバーだ。だが、次の曲は違う。正真正銘、あたしらのオリジナルだ」
フロアに「おお」と感嘆と期待の声が漏れる。
「書いたのは、この後オオトリで演奏する出しゃばりなギタボ女。悔しいが作曲センスはピカイチ」
今度は失笑が伝播する。ぼかしても誰のことかまるわかりで、バックヤードからステージを眺めていた本人も得意げな笑みを浮かべる。
「サマバケはもう過去のバンドだ。この箱に、過去のあたしはいない。あたしらも、たぶんあいつも、この場所でサマバケを越えて行く。そのための曲だ」
自ら期待値をあげていくのは、涼夏自身もまた抜群の自信があるわけではないからだ。口にすることで不退転の覚悟でステージに臨むしかなくなる。
思えば、彼女の生き方は、後にも先にもそうだった。
気を抜くと、どこかに逃げ道を作ってしまいそうになる。だから、一度走り出したら自分から来た道を壊していく。高校の軽音部という島を飛び出して、自分達だけのバンドを作った時から、ずっと――
「いくぞ、『FIREWORK』」
一曲目同様に、涼夏がスタンドポジションに戻るのを見計らって、千春がスティックを鳴らす。今回は、勝負の時のように曲自体のテイストに手を加えることはしていない。立ち位置を変えた以外は、練習通りの演奏だ。
FIREWORK――花火と名付けられた曲名にはサマバケの名残があるが、ドラムとベースだけで繋ぐ長めのイントロは、まさしく空に尺が打ちあがる前の闇と静けさに似ていた。ドラムが会場の喧騒なら、序盤から激しめのベースリフは、花火と恋に揺れ動く心の潮騒だった。
やがて、期待が最高潮に高まったところでサクソフォンとボーカルのメロディが色とりどりに花開く。ジャズライクながらも縦ノリハイテンポの叩きつけるような音の粒が、夜空を埋め尽くすスターマインを思わせる。
フロアの照明の明滅に乗せて、観客たちの目の前には、花火大会の幻影が広がっていた。
(向日葵さんがこの曲で表現したかったこと……ようやく分かった)
サクソフォンとして派手な花火を打ち上げながら、蓮美は今一度、自分の出した答えが正しかったことを認識する。
花火大会の主役は、もちろん花火だ。しかしそれは建前で、本当の主役は、それを見上げる人のほうだ。花開いては散っていく花火に心を重ねて、人生で一度しか来ない、今日という夏に命を燃やす。
たとえその後に燃え尽きるとしても、人生で最も美しい一瞬を夜空に刻むために。
これは、涼夏のための曲だ。
揺れ動く人の心を担う、ベースこそが主役となる――
ステージの中央寄り、やや前衛。弾ける汗を輝かせながら演奏する彼女の姿に、誰もが魅了されていた。観客の心にもまた、涼夏という花火が刻まれる。
「根無涼夏のくせに……ぐぬぬ」
バックヤードから、ダリアが歯がゆそうに唇を噛んでフロアの熱気を見守っていた。悔しいが、あの演奏に、あの立ち姿に心を奪われる。根無涼夏という、ひとりのベーシストに。
「皮肉なもんよね……あの曲、アタシが〝サマバケ〟で居る間には、どうやっても完成させることができなかったのに。アイツが別のバンドを組んで、演奏を聞いた途端に、鬼のようにインスピレーションが湧いたの」
隣で同じようにステージを見つめる向日葵は、仏頂面で愚痴をこぼす。
「なんで書けなかったのか、本当は分かってた。ただ、認めるのが癪だったのよ――」
やがて、フロアの輝きに当てられたように目を細めて、どこか嬉しそうに、しかし諦めも含んだ眼差しで笑みを浮かべた。
「――
「向日葵さん……」
初めて耳にした、尊敬するリーダーの弱気の発言に、ダリアは何も返す言葉が思いつかずに、ただその横顔を見上げることしかできなかった。チクリと胸に針を刺されたような気分だったが、それでも、今彼女の隣でベースを弾くのは自分なのだと、誉れを胸に秘めて、この後のステージに全霊を捧げることを誓う。
フロアに満ちた、割れんばかりの大歓声を締めくくりに、涼夏たちのステージは幕を閉じた。してやったぜと――満足げに笑う涼夏の表情に、この曲の全てが詰まっていた。
「やったな、おい!」
観客に惜しまれながらバックヤードへ戻る途中、居ても立っても居られなくなった涼夏は、蓮美の背中をバシリと叩く。蓮美は勢いでつんのめりそうになりながらも、どうにか持ちこたえて振り返る。
「今度の思い付きは、上手くいったようで何よりだったよ」
「なんだ、まだMCのこと根に持ってんのか。まあ、結果オーライだろ」
いつになく上機嫌な涼夏の横っ面に、突然の拍手が降り注ぐ。
入れ替わりにステージに上がる向日葵が、バックヤードの袖で彼女たちを出迎えていたのだ。
「やるじゃない。良いステージだったわ」
「テメーに言われると、なんか興が削がれるな」
「なんでよ! アタシが提供してあげた曲でしょ? 少しは感謝しなさいよ」
「感謝してるよ」
涼夏は、真正面から向日葵を見つめ片手の手のひらを掲げる。
「良い曲だった。やっぱ、お前の曲
向日葵も、何とも言えない苦い表情を浮かべながらも、差し向けられた手のひらに、自分の手のひらを打ち付ける。パンッと乾いた音が響いた。
「満足してないで、ちゃんとこの後のステージ見てなさいよ」
「それはもちろんだが――」
ドリンクくらい飲ませてくれ、と言いかけた涼夏の唇を抑えるように、向日葵の人差し指が押し付けられた。蓮美が、ムッとして一歩前に歩み出る。
「アタシ、先に行ってるから」
「は?」
涼夏が聴き返す間もなく、向日葵は例の七弦ギターを引っ提げてステージへと向かって行ってしまった。
「なに言ってんだ、あいつ。あたしらのが先に演っただろ」
残された涼夏は首をかしげることしかできなかったが、向日葵の言葉の意味は、その後すぐに知ることとなった。
「お待たせしました。〝
ステージ中央に立つ向日葵の挨拶ひとつで、満員のフロアが最高潮に沸き立つ。
滾る熱が一旦落ち着くのをゆっくりと待って、再び静まり返った中で彼女は言葉を続けた。
「アタシたちのステージの前に、今日はひとつ報告があります。このたびメジャーレーベルから、アタシたちのCDが出ることが決まりました」
「な……」
観客たちとほぼ同時に、涼夏も言葉を飲んだ。向日葵が語るのは、要するにメジャーデビューの報告である。
どよめく客席の空気に気分を良くしたようで、彼女は勝ち誇ったような笑みを浮かべる。
「実は今日が、インディーとしてのラストライブになります。精一杯、イケるとこまで演るので、皆さんも最後までついてきてください」
歓声が、彼女の問いに対するアンサーだった。
メンバーに目配せをして、すぐに一曲目の演奏が始まる。
イケるとこまで行く――その言葉に相違ない、最初から手加減無しトップギアのナンバーだ。恵体の菜々が繰り出すパワフルなドラムストロークに、小柄ながらも繊細なピック捌きで魅了するダリアのベース。そして、実力に裏打ちされた破壊的な超絶技巧を繰り出す向日葵のギターと、客の心を手づかみで握り込むようなヘヴィなボーカル。
向日葵という、ロック界のひとりの彗星のポテンシャルを惜しみなく発揮する、コテコテのハードロック――いや、ヘヴィメタルロック。
それが〝Equinox〟というバンドだ。
涼夏を除く三人は、ただただ押し寄せる音の波に圧倒されるばかりだった。ただひとり涼夏だけは、いつになく真剣な表情で、穴が開くほどステージ上の向日葵を見つめ続けていた。