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第31話 ロックしに来た

 照明が落ちた上演前のフロアは、静かでも騒がしくもない、しかし独特の静けさを纏っている。言葉で表すならば、そこに満ちているのは興奮と期待だ。涼夏は、この時間が好きだった。雑音はあるが音はない。そこに自分の音を浴びせかける快感は、ライブのステージに登ったことがある人間にしか味わうことができない。

 これが吹奏楽のコンクールであれば、囁き声のひとつも許されないような真の静寂が広がっていることだろう。それもまた期待と興奮の表れなのだろうが、緊張感が大違いだ。

 楽器をスピーカーに繋いで、上演前の軽い音出し。済ませると、涼夏は緋音の代わりにマイクの前に歩み出て、スポットライトを浴びる。


「初めまして。〝ザ・リベリオンズ〟です。バンド名は仮です」


 落ち着いたトーンで自己紹介を行うと、観客の中から口々に「お帰り!」「涼夏ちゃん!」と暖かい声があがる。


「初めましてっつってんだろ。挨拶の腰折るんじゃねーよ」


 壇上から悪態を溢すと、くすくすと堪えたような笑みがフロアに広がる。

 初東京ライブの蓮美たち他のメンバーからすれば、涼夏のおかげで多少なりアウェイ感が払しょくされた気分でありがたかったが、当の本人は耐えかねた様子で笑いを一掃するように弦を弾く。

 それはそれで、この人はどこでもこういう感じなんだと、別の意味で安心するものだ。


「確かに以前は、このお店にも、みんなにも世話になった。またこうして演奏する機会を与えた貰ったことにも感謝してる。だが――」


 涼夏は、弦に這わせていた指でマイクを掴んで、食い気味に身を乗り出す。


「今日のあたしはホームじゃねぇ。アウェイ戦のつもりでここに立っている。まだ地元のヤツらしか知らない、新しい〝あたしらの音楽〟を引っ提げて乗り込んで来たんだ」


 そこまで言って、真っ暗な客席の人型のシルエットしか見えない顔ぶれを一瞥する。やがて天を仰いでひと呼吸おくと、演奏楽しみで仕方がない子供みたいに悪戯な笑みを浮かべて、観客に啖呵を切る。


ロックケンカしに来たっつってんだ――買うだろ?」


 涼夏はひらりと背を向けると、爆発する歓声を受けながら緋音に中央の立ち位置を譲る。見計らったように千春がスティックを打ち鳴らすと、暗闇のステージへまばゆいばかりに灼熱のライトが降り注いだ。

 流れて来たイントロを耳にして、観客の何人かは「おっ」と目を丸くして、すぐに「へぇ」と興味深げに頷く。


 前座とはいえ流石に新曲ひとつだけでは締まりが悪い。そこでイントロソングとして先のサマバケのカバー曲も演奏することが決まったのが、ちょうど一週間前のことだ。

 きっかけは向日葵から届いた追加の楽譜データで、そこには山形での勝負の際に蓮美が思いつきで行ったジャズフュージョン(のような出鱈目の即興演奏)を、向日葵の手で歴とした一本の曲にアレンジしなおしたものだった。

 自分の曲が聞くに堪えないアレンジをされるのは我慢できないから――そんなメッセージ付きで送られて来たセルフアレンジ版は、涼夏たちのなんちゃってアレンジと比べると雲泥の完成度であった。


 この曲もセットリストに入れようと提案したのは蓮美だ。最初に楽譜を目にした時は、これもひとつの当てつけだろうと思ってムッとしたものだが、音符を追って頭の中で旋律を思い浮かべている間に、いつの間にか魅了されている自分が居た。

 しっかりとサマバケらしさを残しながらも、ギターレスのサクソフォンバンドとして全く別のアプローチが試みられている。アレンジでありながら、はじめからこういう曲であったかのように完成していたのだ。


 ムード感あふれる典型的なジャズフュージョンは、フロアの心を穏やかに魅了する。

 浴びせる曲ではなく、聞かせる曲。

 あまり涼夏のレパートリーに無いタイプの曲だったが、「東京に喧嘩を売りに行く」というテーマのうえで彼女も反対しなかった。東京における涼夏の印象――サマバケを食ってやるという意味で、カバー曲をぶつけるのは効果的だろうと考えた。


(改めて演奏して思う……向日葵さんって、本当にすごい人だ)


 演奏に身を委ねていた蓮美は、向日葵がこの曲を書いていた時に何を考えていたのかが、旋律から入って来るかのようにも感じていた。

 サマーバケーションは、涼夏が何と言おうと、向日葵がセンターとなりギターとボーカルが矢面に立つように組まれたバンドだ。当然、彼女が書く曲もそのようにできている。

 蓮美たち用のアレンジ版も、ボーカルと、ギターの代わりを務めるサクソフォンが目立つように組まれていた。


 もっとも、そんな作曲者の思惑をよそに、涼夏は当然のように自分の演奏に全力を注ぐ。彼女が楽譜から逸脱することはないが、弾く弦のひとつひとつ、溢れる音のひとつひとつが、根無涼夏という存在を主張せずにはいられない。

 向日葵は、それすらも計算しているのだろう。涼夏が主張してもなおバンドがひとつにまとまるように、そして自分がセンターを張れるように、この曲はできている。


(そんな彼女が書いた曲なのに……なんで新曲は、あんなにまとまりが無いんだろう)


 仮に、自分たちの演奏技術の劣りを棚に上げたとしても――サマバケの曲が感動を計算されつくされたコース料理なら、新曲は好き勝手に食べたいものを注文した大衆酒場のテーブルだ。それぞれの皿が食指を誘う、魅力的な香りを発しているが、どれから手をつけたらいいか分からない。そういうまとまりのなさ。


 ――あの曲はアタシのアンサーなんだから。


 開演前の踊り場で、向日葵は蓮美にそう言った。新曲は、向日葵の中で疑いようもなく完成しているのだ。


(ならきっと、私たちの受け取り方が間違ってる。あの曲との向かい方が……)


 おそらくはそれが、蓮美がずっと抱いていた違和感の正体だった。新曲は、サマバケの曲と何か根本的なところが違う。

 バンドの顔であるギター&ボーカルの向日葵。

 負けず劣らず存在感を放つ涼夏。

 ふたりの喧嘩のような音楽性が〝サマーバケーション〟なのだとしたら、これは――


(……あっ)


 蓮美は気づく。いや、気づかされる。

 気持ちのいいハイトーンを奏でるさ中、音と一緒に頭の中がまっさらになったところに、向日葵の想いがストンと入って来たかのようだった。吹奏楽は、楽譜と向き合う音楽だ。だからこそ直接音と向き合う涼夏ではなく、蓮美にこそ、楽譜に込められた意図が読み取れた。


 カバー曲が終わり、涼夏が再び挑発的なMCを飛ばす。

 蓮美は居ても立ってもいられず、トークを遮るように涼夏へと歩み寄った。


「あの」

「は……なんだよ?」


 虚を突かれて、流石の涼夏も驚いたように振り向く。


「立ち位置を変えたいんですが」

「なに言ってんだ、お前」

「大事なことなんです。新曲……完成させるために」


 マイクを通さない蓮美の声は、周りのバンドメンバーにしか聞こえない。しかし、何やら問題が発生したらしいという空気を観客は目ざとく察知し、心配するようなざわめきが広がる。


 蓮美の提案は、涼夏にとって全く意味が解らないものだった。立ち位置を変えたところで、いったいどう曲が完成するというのか。

 しかしながら、しばらく蓮美とじっと見つめ合った後、彼女の瞳の中に譲れない熱のようなものを感じ取り、静かに頷く。


「どうすんだ。言ってみろ」

「えっと……緋音さんを私の傍に。代わりに涼夏さんは、もう少しステージの中央寄りに」


 蓮美に言われた通り、緋音と涼夏が立ち位置を移動する。それまでダイヤモンド状に組まれていた四人のフォーメーションは、蓮美と緋音をまとめてひとつの頂点とした、三角形のように変わる。

 新しい立ち位置で、蓮美は横目で涼夏の場所を確認すると、隣に並んだ緋音の袖を引いて、涼夏に気づかれないように一歩下がる。


(これでいい。これが、向日葵さんからの挑戦に対する――私のアンサー)


 ステージ上からでは、ライトが眩しくてフロアの顔は見えない。しかし、きっとどこかで向日葵たちもステージを見ているだろう。そう信じて、蓮美は自分の直感に胸を張った。

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