向日葵と別れてすぐ、蓮美はフロアへと戻って涼夏たちに合流した。
「あの、涼夏さん。聞きたいことがあるんだけど」
「戻って来るなり藪からスティックだな」
「新曲、涼夏さんの感覚でいいから、何か変わったところ……ないかな?」
「変わるって、何からだよ」
「その……サマバケで演奏してた時から」
蓮美は、少しだけ言い渋りかけたが、そこをぼかしても答えにはたどり着けないような気がして思い切って尋ねる。嫌な顔をされるのも覚悟の上だったものの、涼夏は思ったより平常心で首をかしげる。
「特に何ってことはないが」
「些細なことでも良いの。演奏を完成させるのに、必要なことだから」
蓮美が念を押すように言い添える。その様子から切実さを感じ取ったのか、涼夏はいくらか真面目に考え込んだ。
「……いや、やっぱり変わんねぇ。元々、あいつが書いたサマバケ用の曲だったんだし、当然だろ」
「でも、それだとおかしいと思う」
「蓮美ちゃん、どういうこと?」
横で聞いていた千春が、興味深そうに首を突っ込む。
蓮美は彼女に一度目くばせをしてから、たどたどしい口調で答えた。自分でも確証はない、でも、先ほどの向日葵との話の中で確信を得たこと。
「向日葵さんは、私たちのために曲を完成させてくれた。それが、サマバケの時と同じっていうのは、ヘンだよ。あの、向日葵さんがだよ」
「んなこと言われても、ベースパートはサマバケの時と何も変わってねぇんだから」
涼夏は、流石に少しイラついた様子で吐き捨てるように言う。彼女が、サマバケの曲とそれ以外の曲を間違えることだけは、決してない。それは、涼夏のやり方を知り尽くしている向日葵が、彼女の良さを十二分に引き出せるような曲を描いているからだ。
サマバケが持つ音楽の空気感は、指と身体に沁みついている。だから、今回の曲も、少なくともベースに関してはサマバケと同じであると自信を持って断言できる。
蓮美も、そんな彼女の様子から言葉の重みを感じ取って、改めて胸の内でかみ砕く。
(涼夏さんの言葉が本当なら……ベースは何も変わらず、他のパートに求められる役割が変わったってこと? いったい、どういう風に……)
考え込んだって、答えは出そうにない。
蓮美は小さく頷いて、涼夏を見返した。
「私、お店の人に場所がないか聞いて、少し音出してくるね」
「音出すって、そろそろテストの時間だぞ」
「それまでの時間も無駄にしたくないから」
ほとんど一方的に言い切って、蓮美は再びバックヤードへと駆けて行ってしまった。背中を見送った涼夏は、釈然としない様子で頭をかく。隣では、千春が苦い笑みを浮かべていた。
「何だってんだよ」
「蓮美ちゃんなりに、一生懸命なんだよ」
「一生懸命だけじゃ何も伝わらねぇだろうが」
「それは、涼夏さんにも言えることだと思う」
お前が言うなとまで言い添えたい千春だったが、今は去っていった蓮美の背中の方が気がかりだ。しかし、今ここで声を掛けるのも違うような気がすると、自分で自分にブレーキをかける。
蓮美は、何か大事なことのためにもがいている。そしてそれは、彼女自身が為さなければならないことだ。頼られることなくして手を出すのは、違うような気がした。
「涼夏さんと出会ってから、私、蓮美ちゃんに置いていかれてばっかりだな」
「あん?」
皮肉のつもりはなく、しかし言わずにはいられない言葉がこぼれていた。はっとして口を噤むが、とっくに聞こえていた涼夏は不思議そうに千春を見上げて、ギラついた瞳を鈍く光らせる。
千春は、たじろぎながらも「しまったな」と心の中でつぶやくが、こうなってはどうしようもないので腹をくくった。
「私、ずっと後悔してたんですよ。蓮美ちゃんと別の高校を選んだこと」
「あ?」
「私が第一志望を蹴って同じ高校、同じ吹奏楽部に入ってたら、彼女が苦しい思いをすることもなかった。一緒に立ち向かって、居場所を守れていたって」
「……思ったより自己評価たけぇのな、お前」
「え?」
涼夏の言葉の意味が解らず、千春はきょとんとして見つめ返す。
「だったら何で音に出ねーのかって思うが」
「言ってる意味がよく分からないですが」
「お前の演奏が物足りねーのな、お前の音に自分勝手さがねーんだよ」
「自分勝手……?」
「これは、自分にしか叩けねぇ音だ。誰にも真似できねぇって。そういう自分勝手さ」
「そんなこと言われましても……」
千春はそんなこと微塵も考えたことがなかった。
楽譜があり、全国津々浦々の吹奏楽部がで練習すれば誰でも叩ける縁の下の力持ち。むしろ同じ部のパーカスパートの中でも誰が叩いても良いし、叩きたい人が叩けばいい。それがモチベーションになるのなら、自分は余ったパートで良いから。それこそ、誰でも叩けるのだから。
千春はこれまで、そうやって部を回して来た。自分にしか叩けない音などない。そんなもの、吹奏楽のうえではノイズでしかないのだと。
そんな常識が涼夏に通じるわけがない。彼女は握りこぶしをドンと千春のみぞおちの辺りに打ち付ける。
「バンドにドラムはひとりしかいねぇんだ。テメーが叩くしかねぇ。〝仮〟でもテメー以外に叩けるヤツはいねぇ。代わりは居ねぇんだよ。あと、お前も後で罰金な」
「う……」
強打されたみぞおちを抑え込みながら、千春は涙目でコクリと頷く。
自分しかいない――そんな気持ちでドラムはおろか、他の楽器だって叩いたことはない。
何をどうすればいいのか、具体的なビジョンが全く見えない。
「ところで、今度は緋音はどこ行ったよ」
いつの間にか忽然と消えたボーカルの姿を探して、涼夏がきょろきょろと辺りを見渡す。
「緋音さんなら……さっきお手洗いに」
「そろそろ音量チェックだっつってんのによー! ウチのバンドまとまり無さ過ぎだろ!」
「それ、涼夏さんが言う……?」
二回目にして、ようやく言いたいことが言えた千春は、少しばかり気分が晴れたような気がした。