「イクイノクスです! 今日は、よろしくお願いします!」
ほどなくして、今夜の主役がライブハウスに現着する。
山形のスタジオで会った向日葵と、ダリア、その後ろにポスターに乗っていた三人目のメンバーが続く。
「よろしくお願いしまぁす」
三人目――菜々の姿を見た涼夏たちの第一印象は、色んな意味で「でっか」だった。
そこらの一般男性を凌ぐ高い身長に、跳ねっ返りが強く左右に大きく広がった天然パーマのロングヘア。そして夏場の薄着だからこそ余計に協調されるグラマーなボディライン。肩幅も広めかつ、腰つきも安産型。
いわゆる「恵体」と呼べる風貌だ。歳は二十半ばのように見えるが、およそ学生のころは運動部の争奪戦であったに違いない。しかし、糸目と言っても過言ではない目蓋の重たい目元と、キビキビさからかけ離れたのんびりした身のこなしから、運動部らしさは一切感じられなかった。
「げ、根無涼夏。ずうずうしくも、よく来たっすね」
ステージフロアに入って来るなり、ダリアが涼夏を指さし顔を引きつらせる。
「そりゃ来るだろ。約束なんだから」
「インディーですらない無名バンドを組み込むなんて、前座でも破格の待遇っすよ。そういうとこ、ちゃんと理解して欲しいもんす」
「分かってるよ。いちいち突っかかってくんなよ」
「うー、がるるるるる」
「こらー、ダリアちゃん。お客様に喧嘩売っちゃダメでしょう?」
不意にダリアの背後に現れた巨大な影――菜々が、彼女の小さな身体を羽交い絞めにする。大小凸凹なふたりがこうして並ぶと、互いの身長差が余計に際立った。
お互いに直立しているはずなのに、ほとんどダリアの頭の上に菜々の豊かな胸が乗ってしまっている。
「やめろ! 視界が狭くなるだろ!」
「わたしもダリアちゃんのこと見えなぁい」
「おっぱいでかすぎるんだ馬鹿!」
怒りの矛先を変えたダリアが、ぴょんぴょんヘディングするように菜々の下乳目掛けて頭突きを食らわせる。四方八方に敵意むき出しの彼女を目の当たりにして、涼夏は面倒を押し付けるように向日葵を見る。
「ちゃんと首輪繋いどけよ」
「悪いわね。例の件、この子なりにショックだったみたいで。そのせいで最近荒れてんのよ」
例の件とは、言わずもがな涼夏を獲得するか否かをかけた蓮美との勝負のことである。リーダーであり尊敬もする向日葵の考えだとしても、イクイノクスの現行ベーシストであるダリアにとっては、面白くない話であることは間違いない。
荒れるのも当然のことだ。
「対抗意識燃やして技術も上達したから、良くも悪くもってとこ」
「発破役に使われんのは、良い気はしねぇな」
「そんなつもり無いわよ。アタシ、当たり前に勝つつもりだったし。でも、アンタたちがどんな音を出すのか少しだけ気になったから――あの曲は餞別よ」
「にしては、ずいぶん本腰入れて書いたようだが?」
「ウチの前座で出るんだもの、このくらい演ってくれなきゃ困るってことよ」
向日葵の言葉に、遠巻きで聞き耳を立てていた蓮美が息を飲む。
やはり、彼女からの挑戦だと思っていた自分の考えは正しかったという確認の意味もありつつ、一方でそれに応えきれていないと自覚する自分への焦りと戒めの気持ちも強い。
「それで、ちゃんと演れるんでしょうね?」
「まあまあだな」
「アンタの口からでる〝まあまあ〟は、〝当てはないけどやってみる〟の意味だと思ってるけど」
「そんなんサマバケの頃から日常茶飯事だろ」
「それは言えてる」
向日葵が悪戯な笑みを浮かべると、踵を返してバックヤードへと向かって行く。
「せいぜいがっかりさせないことね。サプライズだけど、今日は記念ライブでもあるんだから」
「は、何のだよ?」
「言ったでしょ。サプラ~ァイズ♪」
そのまま手をひらひらと振りながら、他ふたりを引き連れて行ってしまった。これから設営の音量チェックの時間だが、メインかつトリである彼女たちは順番的に一番最後だ。こちらに顔を出したのは現場への挨拶のためである。
向日葵の姿が完全に見えなくなる前に、蓮美が慌てて歩み出る。
「ごめん、千春ちゃん。私、ちょっと外すね」
「え? うん、わかった。特に今は問題ないと思うけど」
千春が涼夏の姿を盗み見ると、向日葵が居なくなったことで再びアキオと話し込み始めたところだった。気に留める様子もないので、問題ないだろうと判断して、頷き返す。
「ありがと。行って来るね!」
蓮美は矢継ぎ早にお礼を言って、小走りで後を追った。
一応スタッフに断りを入れてバックヤードの扉をくぐると、壮麗なフロアとはうって変わって、味気ない事務室の廊下が続いていた。うちのひとつ、楽屋らしい部屋にイクイノクスが入っていく前に、先頭を行く向日葵を呼び止める。
「あの、向日葵さん。少しだけ時間、良いですか?」
振り返った向日葵は、声をかけたのが蓮美だと知ると、あからさまに面倒臭そうなそぶりと声色で答える。
「大事なライブの前で、それなりに忙しいんだけど」
「ほんの少し、五分……いえ、三分でも良いんです」
懇願する蓮美に向日葵は渋々頷いて、彼女を廊下の奥へ来るよう顎で指図した。
突き当りの扉を開けると、そこは非常階段の踊り場だった。スタンド型の灰皿があるところを見ると、従業員向けの喫煙ブースでもあるようだ。
「タバコ……吸うんですか?」
「声使う生活してんのに吸うわけないでしょ。単に人気のない場所を選んだだけよ」
「ああ、そ、そうですよね」
何を馬鹿なことを聞いたんだと重ねて凹む蓮美だったが、貰った時間は短い、意を決して本題に入る。
「新曲……実はまだ、自分のものにできてないんです。だから作曲者の意見を聞きたくって」
その言葉に向日葵は一瞬だけ目を丸くして、それからつまらなさそうに踊り場の手すりで頬杖をついた。
「意見も何も、渡した楽譜を好きに解釈して演奏したらいいじゃない。演りづらいならアレンジだってできるんでしょう?」
「そうじゃなくって、その……私、吹奏楽部出身なので、誰も演奏したことない曲を演奏するって経験が初めてで……だから、少しでも手掛かりというか、情報が欲しいんです」
「それでアタシに凸って来たの?」
「向日葵さんがこの曲でイメージしたものとか、大事にしたものとか……何でもいいんです。本当ならそれも楽譜から汲み取れたらいいんですけど、わたし、そこまで優秀じゃないから」
「〝そこまで優秀じゃない〟ヤツと、アイツは組まない」
向日葵が言葉をピシャリと遮る。
蓮美が思わず口を噤むと、代わりに向日葵が大口を開けて盛大なため息を吐いた。
「何か癪だから言うのやめた。あげた曲だもの、好きにやりなさいよ」
「それじゃ困るんです。涼夏さんにとっても大事なライブなんです」
「そりゃ、アンタみたいな子に寝取られて田舎でくすぶってちゃ、一回一回のライブが真剣勝負でしょうよ」
「寝と――」
蓮美が顔を真っ赤にして、わなわなと震えあがる。
「もとはと言えばあなたがフったんですよね!? だったら、そんなヤな表現される筋合いありません!」
「どうかしら。駆け引きとしては利口な手じゃない? アイツ、アタシのありがたみを噛みしめ始めてるころじゃないかなって」
「そんなこと――」
言い返したいが、上手く言葉が出てこない。蓮美自身解っているので、今のこのバンドで、涼夏はまだ納得のいく演奏ができていない。自分とふたりで始めたバンドなのに、まだ彼女を満足させることができていない。
自分は、もう一度サックスを手にする勇気を与えて貰ったのに、彼女に「自分と組んで良かった」とただの一度も思わせられていない。
それが、たまらなく悔しい。
身が張り裂けそうなほど。
息ができないほど。
「あああああああああああああああああ!!!!」
代わりに、蓮美は力いっぱい叫び声をあげた。ほとんど雄叫びだった。流石の向日葵もぎょっとして、微動だにせず彼女を見つめている。
叫ぶついでに肺の中の空気を全部出し切ると、自然と身体が新鮮な空気を欲した。
「わた……私が……涼夏さんを有名にします!」
「はい?」
「私が、サマバケの時以上の演奏を涼夏さんから引き出してみせます!」
ほとんど負け惜しみのような言葉だった。サマバケ解散の過去を知り、そして今があるからこそ口にできる負け惜しみ。
だけど、そのために自分が居るのだと。
そのために涼夏は自分を選んだのだと。
蓮美は改めて認識する。
「……言ったわね」
アドレナリン全開で興奮気味の蓮美を前に、向日葵はぼそりと答えた。
低く唸るような声色は歌唱の時のそれに似て、それでいて一抹の憂いが滲んでいる。
「だったら、なおさらこの曲を演り切ってみせなさい。あの曲はアタシの……アンサーなんだから」
そう言い捨てて、向日葵は建物の中へと戻って行ってしまった。
残された蓮美は、都会の熱気を肌で感じながら、最後の言葉を反芻する。
アンサー、つまり答え。
向日葵があの曲に何を込めたのか、そこにたどり着かなければならないと、先ほど啖呵を切ったばかりの蓮美の心に新たな覚悟が加わった。