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第20話 交換条件

「何しに来たんだよ。東京に拠点移したんだろ?」


 すっかり臨戦態勢で睨みつける涼夏に一瞥もくれず、向日葵はスタジオの中を我が物顔で物色する。


「言ったでしょ。見舞いに来たのよ――なんてのはもちろんウソ。夏にこっちのイベントに出ることになったから、その打ち合わせ。一年ぶりの帰郷を兼ねてね」

「イベント……?」

「懐かしー。涼夏がぶっ壊して弁償したエフェクター、まだ使ってるんだ」


 はぐらかすように口にして、機材やドラムセットなどをしなやかな指でそっと撫でまわす。その傍らで、奇異の目を向ける涼夏のバンドメンバーたち一人ひとりに目を向けて、値踏みするように頭の天辺から足の先までを見据える。

 やがてサクソフォンを抱きしめる蓮美をじっと見つめて、勝ち誇ったように鼻を鳴らす。


「なるほど。アンタが次の踏み台ってわけ」

「え……?」


 言葉の意図が分からず、蓮美は戸惑いながら言葉を詰まらせる。どういうことか尋ねようか迷っているうちに、耳をつんざくベースの音がスタジオに響いた。


「練習中だ。邪魔すんなら出てけよ」

「ずいぶんな言い草ね。こっちだって時間つぶしなんだから、言われなくたって出てくわよ」


 売り言葉に買い言葉の涼夏、向日葵、両名の間に火花が散る。一触即発の空気を晴らしたのは、新たにスタジオに顔を出した小さな影だった。


「向日葵さん、スタジオの鍵借りて来たっす――げぇ!? 根無涼夏!」


 ウェーブがかったボブカットの髪を揺らす少女は、部屋の中にいた涼夏の顔を見るなり、汚物でも目にしたかのように大げさに飛びのく。涼夏は当然のように苛立った様子で、彼女を睨みつけた。


「誰だテメー」

「うわ、こわ……聞きしに勝る狂犬っぷり」

「ああ?」


 掴みかかる勢いの涼夏を遮るように、向日葵が間に割って入る。


「紹介するわ。ベースのダリア。アンタと違って、しっかりアタシのことを支えてくれる優秀なベーシストよ」

「べーだ。わかったか根無涼夏」


 向日葵の影から顔を覗かせて、ダリアはこれ見よがしに舌を出して涼夏を煽る。紹介の通り、彼女の小さな身体がすっぽり隠れてしまうのではないかと感じるギターケースを、重そうに背中に背負っていた。

 涼夏は厄介払いするように、シッシッと手を振った。


「さっさと行け」

「そんな口利いていいの、お客様に対して」

「は?」

「今日、アンタん家に泊まるから」

「泊ま……!?」


 突然の素っ頓狂な声に、部屋中の視線が一店に向く。声の主であった蓮美は、自分でも驚いた様子で口元を手で覆った。押し黙る姿を見て、向日葵が訳知り顔で笑みを浮かべる。


「じゃ、そういうことだから」


 それだけ言い残して、彼女はダリアを引き連れて颯爽と部屋を後にした。残される形になった涼夏は、それはそれで虫の居所が悪そうで、これ見よがしに舌打ちをする。


「今日はもうあがる。あいつが音出してる傍で練習なんざできるか」

「え、涼夏さん――」


 静止しかけた蓮美の手を振り切って、涼夏は手早く身支度を整え部屋を出て行く。


「……私たちも、今日はあがりにしようか」

「そう……ですね」


 千春と緋音が顔を見合わせて苦笑する。蓮美だけはいまだ険しい顔で、もどかしそうに涼夏が出て行った扉の方を見つめていた。


* * *


 その晩、涼夏は自室のちゃぶ台の上に『100万円貯まる!』と書かれた缶の貯金箱を置いて、昼間に徴収した罰金を収めていた。実家の和室にカーペットを敷いて、洋物の調度品やバンドグッズでまとめた部屋は一見整然としているようにも見えるが、和箪笥や旅館の余り物らしい行灯型の間接照明がカオスさを演出している。

 何枚目かの百円玉を投入したとき、溜息と共にふと手が止まる。しばらく時間が静止したかのように固まっていた彼女だったが、やがてむしゃくしゃした様子で頭をかきむしる。

 もちろん、それだけでは苛立ちは収まらない様子で、傍らに立てかけてあったベースを引っ張り出してアンプも繋がずに掻き鳴らした。


「ほんと変わんないわね。嬉しいも悲しいも怒りだって、全部音で表現するとこ」

「げ」


 声がして顔をあげると、襖の淵に身体を預けるようにして向日葵が立っていた。身に着けた薄手の浴衣は、涼夏の実家の旅館のものだ。


「従業員スペースに勝手に入ってくんじゃねーよ」

「ただの家でしょうが。しかもアンタ従業員じゃないし。オバさんが手伝いすらしないって嘆いてたわよ」

「うるせぇ。大学とバンドで忙しいんだよ」

「アンタが大学生ねぇ」


 向日葵は、先ほどと同じようにずけずけと部屋の中に入ってくるが、今度は周りのものに手を振れることなくベッドの上にどっかり腰を下ろす。古いベッドフレームが、ギシリと悲鳴をあげた。


「今でも信じられないわ。てっきり東京に来るもんだと思ってたのに」

「それじゃあ親が許さなかったんだよ」

「ははっ、オバさん昔っから厳しいものね」


 笑いながら腕を枕代わりにベッドに横になる。


「それでもアンタなら来ると思ってた。んなこと知るかってギラついた顔して」


 向日葵の言葉に、涼夏は何も答えず再び百円玉を貯金箱に詰め込み始める。向日葵もすらりと伸びた脚を投げ出して天井を見上げ、照明にかざすように手のひらを伸ばした。


「アンタ、アタシのためにベース弾くつもりがあるなら、東京に連れてってやるけど」

「やなこった。それにもう、ダリアとかいう女捕まえてんだろ」

「あの子も優秀だけど、まだ若い。高校生だし技術もこれから。育成ありきのつもり」

「高校生って、今まだ学期中だろうが。なんで東北くんだりまで来てんだよ」

「学校行ってないんだって。それで一緒に来たいって言うなら、断る理由はないし」

「狂犬を手なずけるのは諦めて、子犬を忠犬に育てることにしたわけだ」


 もちろん、昼間にダリアから狂犬呼ばわりされたことへの当てつけだ。向日葵は意にも介してない様子で笑い飛ばすと、寝返りを打って涼夏を見る。


「そういうアンタだって、あのサックスの――従順そうなの手なずけてるじゃない。ギターレスバンドとかアタシへの当てつけ?」

「従順? 蓮美が? 馬鹿言え。あたしより狂犬だぞ、あいつ」

「ふーん、どうだか」


 向日葵は、ニヤケた顔で懐からスマホを取り出すと、投稿サイトの動画を再生して涼夏へ突き付ける。


「でも、ステージはサイアク」

「……見たのかよ」

「サマバケのカバーなんてしちゃって。案外、涼夏の方が未練タラタラなんじゃないの?」


 叩かれた軽口に、涼夏は鬱陶しそうに睨み返す。向日葵が「おーこわ」とわざとらしく驚いてみせて、自分も動画に視線を落とす。


「あの曲、誰が書いたと思ってんのよ。アタシが書いたのは、サマバケのための曲。サマバケだから映える曲」

「わーってるよ……てか、そのステージで理解した。あれはあたしらの曲じゃねぇ」

「あたしら……ねぇ」


 向日葵は、つまらなさそうに生返事をしてスマホを懐に仕舞う。


「曲、あげようか」

「は?」

「代わりに条件があるの。七月の暮れに渋谷でライブするんだけど、その前座で完成した曲を披露すること。予定してたバンドが遠征中にケガしちゃったらしくてね。その代わりよ」

「テメーの前座でしかも代役とか死んでもヤだね。それに七月の暮れって、ひと月ちょっとじゃねーか。間に合うのかよ」

「ちょうどあるのよ。演奏する予定のなくなった書きかけの曲が、ひとつだけ」


 そう言って、彼女は挑戦的な眼を涼夏へ向ける。大きく、吸い込まれそうな瑠璃色の瞳。


「あの日、解散しなければ数日後には書き上げていたはずの、サマバケの新曲……いや、もう遺作って言うべきね」

「お前、それ――」

「ちょうどいい機会だから供養させてよ。曲に罪は無いから」


 まっすぐな視線と申し出に、涼夏は向日葵の本心を計りかねていた。喧嘩別れした仲だであったし、プライドの呵責が強い。

 どうにも返事のできない気持ちを唸り声に変えて、おもむろに立ち上がる。


「ちょっと、どこ行くのよ。返事は」

「単車で流してくる」

「単車って、アンタのただの原付でしょうが……ああ、もう!」


 聞く耳を持たずにスカジャンを羽織った涼夏は、床を踏み鳴らすほど大げさな足音を立てて部屋を出て行った。


「アタシ、明後日までこっちにいるから! それまでに決めなさいよ!? 聞いてんの!?」


 返事もなく置き去りにされた向日葵は、呆れきった表情で、そのままふて寝を決め込んだ。涼夏の方は、玄関を飛び出して原付に跨ると、乱暴にキーを回してエンジンをかける。ヘルメットを被って、一度だけ明かりがついたままの自室の窓を見上げるが、すぐに虫の音がさんざめく温泉街の夜道へと車を走らせて行った。

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